鉄砲洲稲荷(オリジナル落語)
発言者名をつけて落語脚本調にしています。
登場人物:()内は発言者時表示
八五郎(八)
女体化した熊五郎(熊)
まだ電気なども無く夜が真っ暗だったころは、狐狸妖怪さまざまがその闇の中を駆け回っていたそうですな。今で言うと迷信なのでしょうが、そのころは広く信じられていたものです。
夜も明るくなった現代では、逆にそういった不思議なことが起こるということを望んでいるような節がありますな。魔法使いの映画が流行ったり、他の世界で大きな力をふるう小説が人気になったり。落語の世界では、今も昔も不思議なこと、荒唐無稽なことが平然と起こるもので、それが落語が長く愛されている一つの理由であるのかもしれませんな。
さて、お話はガスの明かりが夜を照らした明治の時代のこと。
八「おい、熊。おい(ドンドンと戸を叩く)野郎、まだ寝てやがるな。ちっと働いたと思ったら、その金で酒飲んですぐこれだ。おい、あ…ったく戸締りもしねえで。いや、野郎盗まれるようなもんなんざ持ってないか。まあいいや、上がるぞ!」
戸をがたんと開け、どたどたと上がり込み、金目の物なんて何もない部屋の丸く膨らんだ布団の脇に座ると。
八「なんだ熊、また二日酔いか?ビールとか、飲みつけないものやったんだろ?ちっ、ビールなぁ、俺も飲んでみてぇよ。高ぇんだな。お前は腕のいい大工だから稼ぎもいいからそういう高ぇのもやれるだろうが、その稼ぎも全部飲みにつかっちゃあなぁ、おい熊」
熊「こんこん…」
八「なんだよ、妙な甲高い咳しやがって?風邪か?」
熊「こんこん…」
八「おいおい、大丈夫かよ。様子みてやろう。いいか、布団まくるぞ」
布団をまくってそこにありましたのは、熊さんの姿ではなく、齢十三、四の少女。しかもただの少女でなく
八「お、おい、熊はどこ行った?こんな娘連れ込…むような顔をあいつはしていないが。いや、それよりもこの娘の姿かたちか。なんだいこれ、頭の上にピーンと大きな耳が立ってら。尻には大きな尻尾もある。こんこんとも鳴きやがって…こいつは狐か?」
熊「ん、んん、おう…ふあああ…なんだ、八じゃねえか」
八「うわ!しゃべったあ!な、なんでい、お前は誰だい?!」
熊「誰って、八、おめえねぼけてんのか?俺の顔を見忘れたか。熊だよ」
八「見たことねぇ顔に見覚えなんてあるかよ。なんだ、お前、俺の名前も知ってるし本当に熊なのか?」
熊「熊以外の何だってんだ」
八「なりは狐っぽいと思うんだがね。うん、しかしな。お前が熊だってんなら、お前の死んだ親父とお袋の名前を言ってみろよ。本物の熊なら知ってるはずだ」
熊「なんだってそうなるんだ?まあいいや、親父が鯖でお袋が虎だ」
八「まるで猫の名前だ…が、あたりだ。そんなバカみたいな名前を知ってるなんてお前は本当に熊なんだな?!」
熊「ちょっと待て、待ってくれ。さっきから動物の名前が多すぎて自分でもわからなくなってきた。えー、熊、狐、鯖、虎、猫…熊、狐、鯖、虎、猫…あぁ、たしかに俺は熊だ」
八「その間抜けなところも話し方も熊だな。お前な、自分じゃわからんだろうが、お前は今とんでもないことになってる。鏡…なんてこの家にはないか。ほらそこの、水瓶のぞいてみろよ」
熊「水瓶だ?それで何がわかるってのかね?まぁいいさ、のども乾いてたんだ。ふん、水瓶、水瓶ね…んん?!おい!八!八!なんだこれ?!」
八「やっとわかったか」
熊「お前…水瓶の中に娘っ子を閉じ込めたのか?!いつかなにかやらかすんじゃねぇと思っていたが、お前はとんでもねぇやつだ!」
八「そんなことできるか!ひとをなんだと思ってやがったこんちきしょう!よぉく見やがれ、それは水に映ったてめえの顔だ!」
熊「え?あ、あぁ、ほんとだ。お目々がおっきくて…鼻が小っちゃくて…お耳もおっきい…これがあたい…?」
八「気持ち悪い喋り方になったな。いままでも乱暴で聞いてられなかったが。おい、これからは適当に爺さんっぽくしゃべっておけよ。なんかそういうのが一部で受けるってんだ。そんで熊よ、なんでこうなっちまったか心当たりはあるのか?おおかたお狐様の祟りなんだろうが」
熊「爺さんっぽくってな…うん。あー、あー。お狐様かい?そうじゃのう、占いに見せたら、前世が狩人で狐を殺したと言われたことがあるのじゃ」
八「いいねその調子だ。他には因縁はあるのか?」
熊「他にはのう、道端のお稲荷様の社に小便をしっかけたことがあるのう。あと賽銭をくすねた」
八「ひどい事をするな、これはいよいよお稲荷様の祟りだな」
熊「あとは、お稲荷様にお供えされていたいなり寿司を盗んで食べたのじゃ。そしてこれらすべてが昨日の晩の話じゃ」
八「一晩でそんなにやっちまったのか?!」
熊「そんな因縁で自分のいなり寿司を無くしたのじゃろう」
八「またぐらを叩くな!下品だよ!そういう格好で!…あーあー、とんでもない野郎だよお前は本当に。これはきっとどんなにお稲荷様に謝っても元の格好には戻れないぞ」
熊「まぁそれもよかろう。もう熊という男はこの世におらぬも同然じゃ。これからは狐娘のお熊ちゃんとして生きてゆくのじゃ。これ幸い方々博打の借金などは踏み倒せよう。あとはどうやって食いつないでいくかじゃな。ここに神社でも建てるかの?」
これを聞きまして、八五郎は考えを巡らせる。
幸いなことに今の熊の見た目はかわいらしい。そして明らかに人間離れしている。そしてかわいらしい。爺さん口調が受けるんだ、と言わせてみたがこれも調子がいい。あとかわいらしい。
八「よし、熊…いやお熊ちゃん!ここをカフェーにしよう。お前の役割は、芝居の役者と茶屋の看板娘の間みたいなものだ。給仕をする、お話をする、握手をする。なに、芸者のように芸事を覚えなくてもいいんだ。軽い気持ちでな。どうだい?」
熊「何故握手をするかはわからぬが、それなりに楽ができるならわしはそれでよいぞ。でもな、お前みたいな…むさくるしい男連中ばかりを相手にするのは嫌じゃ」
八「いやあ、俺は女の子たちにも人気は出るんじゃないかと思うぞ。試しにうちのかかあに会ってみてくれよ。ほら、とりあえず服の世話とか頼みたいしな」
と、お熊ちゃんを八五郎の奥さんに引き合わせたところ、かわいいかわいいと甘やかしまして、お熊ちゃんもまんざらでもない様子でして、普段着だ女給の服だと面倒を見てもらえることになりました。
熊さんの遠い親戚の娘でお熊ちゃんだって。稲荷神社の巫女さんらしいよ。あの耳と尻尾はお稲荷様から授かったんだって。そういえば熊さんは死んじゃったんだそうだよ、と設定を重ねていきまして、ついにいなりカフェーが開店しました。開店すると看板娘がかわいい、珍しい格好だと評判が評判を呼び、連日客が殺到。女性客も多く、女性時間男性時間で分けての営業となりました。
カフェーの人気出し物に「お熊ちゃんのいなり寿司作り」というものがありまして、ただお熊ちゃんがいなり寿司を作ってふるまうだけなのですが、客席の方からの「きっとお熊ちゃんは我慢できずに油揚げを食べちゃうよ」なんてつぶやきを大きなお耳で聞きますと、その通りにやって見せるなど茶目っ気が評判を呼びました。
このように大変にぎわっておりました、そんなある日。
八「なあ、お熊ちゃんちょっと話があるんだが」
熊「なんじゃ八、今日の売り上げが悪かったかの?」
八「いや、売り上げはいいんだが…最近お客様との狐拳が多いよな」
狐拳をご存じない方のために説明したしますと、じゃんけんなどの拳あそびの一種で、狐、猟師、庄屋の三すくみのもので、それぞれのポーズをとって勝負するというお座敷遊びのことです。
熊「そうじゃの。皆よう遊んでくれるのう」
八「あぁいうのはなぁ…お座敷遊びだろ?ちょっと俺の目指すカフェーとは方向性が違うんだよな。それにお熊ちゃんはいつも狐の拳しか出さないだろ?」
熊「狐だからしかたないじゃろ。それに勝った方が飲み物を注文する遊びじゃ。わしのかわいい拳を見る、気持ちよく勝つ、気持ちよく飲み物を頼む、気持ちよくお足をもらう。だれも損がないであろう」
八「そうだけどな。カフェーの方向性が…」
熊「お前な、カフェーの方向性と言うが、わしから見ればお前の方が問題じゃな。八よ。客から小声でなんと言われているか知っておるか?わしにはちゃんとこの大きな耳で聞こえておるのだぞ」
八「なんて言ってるんだい」
熊「『あの男はお熊ちゃんのなんだ?』『男が目障り』『お熊ちゃんに近づかないでほしい』『彼氏面するな』ほとんどはくだらないことだが、つまらない恨みを買っているな。まだまだあるが聞きたいか?」
八「聞きたくない…くっ!そうだよな…俺の考える方向性でも俺は不要なんだ。お熊ちゃんに男の影はいらねぇんだ…わかってるんだがどうすればいいのかがわからない」
なにやら八五郎も相当ゆがんだ信念があるようで。
熊「ふむ、それじゃあな、いい考えがあるぞ。わしもここの給金がお布施と、人気が信心とされてな、お稲荷様に祟られた身ながら少しの神格を得たのじゃ。神通力じゃな。わしがどこかのお稲荷様にお頼みすれば、お前も狐娘の姿にしてやることができる」
八「なん…だって…?ほ、本当か?」
熊「これで娘がふたり、だれも文句など言うまい。ふたりは八熊!じゃな。どうじゃ、八?」
八「そうか…それしかないかな…俺も狐娘になれば、かかあもお熊ちゃんじゃなくて俺を見てくれるようになるかな…」
熊「…すまぬ、何か他のところにも妙な影響が出ていたようじゃな。どうじゃ八、お前はどこかの稲荷を信心してはいないか?信心があるところのお稲荷様の方がわしもお話がしやすい」
八「お稲荷様か…俺は信心はしていないが、たしか死んだ親父が京橋の方のお稲荷様を信心していたな」
熊「京橋のお稲荷様か…ううむ、それはちいとお話がしにくいのう」
八「なんだ、お前が小便しっかけて賽銭盗んでいなり寿司を食べたのはそこだったのか?」
熊「そんなはなしよく覚えておったのう…いやいや、それは違うのじゃ。それは違うのじゃが、ほれ京橋のお稲荷様といえば鉄砲洲稲荷さまじゃろう。わしは鉄砲にはかなわんからな」
八「そうか、じゃあ庄屋どん稲荷を探してみよう」
「鉄砲洲稲荷」というおはなしでした