今も昔も、方向性は異なるが、物語における主人公は重要な存在とされている。しかし、私はあえて異を唱えたい。そんな、おそらく誰の参考にもならないエッセイ。
とある人が、ブログで、いわゆる「最強主人公」を批判していました。
その人は、物語における、主人公の成長を重視する立場であるようでした。
最近のライトノベルの読者は、主人公が努力したり成長したりすることを好まない、という話があります。
それに対して、主人公が成長することは物語にとって必須だとする方々が、自身の主張を展開しているところを、なろうのエッセイでも見かけます。
しかし、成長云々以前の話として、私が疑問に思うのは、「物語の主人公は、そんなに注目しなければならないほど大切なのだろうか?」ということです。
主人公が成長するか、しないか、といったことに注目するよりは、作中の女性をどうやって理想のヒロインに近付けるか、の方が、営業的に考えても、遥かに大事なのではないでしょうか?
先に結論を書いてしまえば、「物語の主人公は、大変重要な存在だと思われており、あえて影を薄くするメリットは無い」でしょう。
なので、この先を読む価値は、ほとんどありません。
「魅力的な主人公が作れない」と悩んでいる人に、逆転の発想を与えることができる可能性はありますが、このエッセイの内容を参考にしても底辺まっしぐらなので、あまり本気にしないでください。
私が、主人公の存在価値に対して疑問を抱いていることには、私が好む物語の種類が関係しています。
例えば、ショート・ショートであれば、アイディアの奇抜さが大事なのであり、キャラクターの良し悪しは、それほど重要視されません。
キャラクター自体が驚くべきポイントになっているのであれば、話は別ですが……。
他にも、ミステリー小説やサスペンスドラマがあります。
確かに、キャラクターが良い方が、話としては面白くなるので、主人公は大事だと言えそうですが……そんなことよりも、読者や視聴者を驚かせるようなトリックや犯人の方が重要だと、私は考えています。
私には、若干の危惧を抱いていることがあります。
それは、物語の受け手の受け取り方が、このまま狭くなっていき、それが固定化してしまうのではないか、ということです。
私が好きな推理作家の小説に、以下のような話がありました。
・主人公の男A(探偵役)は、自分のことを見下している、傲慢な恋人の女B(被害者)にうんざりしていた。
・主人公Aは、非常に情けない言動をしている男C(犯人候補)の恋人の女D(犯人候補)に惚れて、強奪しようとした。
・そのことを知った恋人Bは怒り狂い、主人公Aとトラブルになった。
・その後、恋人Bは何者かに殺された。AはBを殺した犯人だと疑われ、命の危険にすら晒された。
・Aは、Dと恋愛関係になるために事件を解決しようとする。
・しかし、CやDも、AこそがBを殺した犯人だと思っており、捜査が難航する。
この物語の感想を書いた人がいたのですが、「主人公がクズすぎて、全く楽しめなかった」とのことでした。
しかし、この話の場合、「皆に犯人だと思われている主人公が、どのようにして事件の真相を解き明かすか」が一番大事であり、主人公の人格や魅力に期待するような物語でないことは明らかです。
その頭の切り替えができない人が、ミステリージャンルの読者にすら存在していることは、私にとっては衝撃的でした。
そもそもの話として、物語の主人公は、何のために存在しているのでしょうか?
人によっても、物語によっても、答えは変わると思いますが、私にとっては「案内人としての役割を果たすため」です。
いわゆる旅番組で、案内人と呼ばれる方々は、自分が目立つことを重要視していないはずです。
紹介したい街や国、あるいは、名所や景色が大切なのであって、彼等が目立とうとすれば、鬱陶しく感じるのではないでしょうか?
しかし、案内人がいない番組で街並みや景色を見せられても、イマイチ気分が盛り上がらず、眠くなってしまいます。
そのことを考えれば、誰かが視聴者を楽しませ、飽きさせない役割を果たすことは大切でしょう。
そのための、トークの巧みさなどのテクニックは重要だと思いますが、それは、紹介している場所の魅力があってこそだと思います。
優秀な案内人だと思われる方は、紹介している場所の魅力を伝えるのが上手いはずですから。
私の個人的な意見ですが、主人公重視が作品の魅力を損ない、悪影響を及ぼしているジャンルは、あると思います。
具体的に言えば、ハーレムと呼ばれているジャンルです。
※ここで語源や由来にこだわると、話がややこしくなってしまいますので、あくまでも、複数の女性が男性主人公を囲んでいる状態の話だとさせてください。
ハーレム作品を読む方々の目当ては、本来的には、主人公を囲んでいる女性達でしょう。
ハーレム作品を楽しむ方々の多くは男性であり、主人公は、女性の魅力を紹介したり、引き出したりするために存在しているはずです。
ハーレム作品において、女性達の魅力が感じられない、というのは、極めて問題のある話だと思います。
それは、主人公が、自分の周囲にいる女性の魅力を、読者に紹介していないからではないでしょうか?
もっとも、読者の方々の中には、ハーレム要員が主人公に惚れていること自体を最重要だと考えている方もいるようですが……。
その意見を採用するのは、思いとどまっていただきたい、というのが私の個人的な願望です。
ただし、主人公は目立たない方がいい、とは言えません。
極端な例として、女性達が仲良くしている様子を楽しむ作品であれば、主人公は極めて重要です。
それは、主人公自身が、読者に売り込むための重要な商品だからです。
そのような話で、主人公に案内人として振る舞われたら困ります。何事にも例外はある、ということです。
しかし、そのような話でなければ、主人公が最前線で読者を楽しませなくても良いのではないでしょうか?
根本的に、「作者の分身」と見なされることの多い主人公は、大活躍するのに向いていないポジションだと思うのですが……。
そんなことを今さら考えるのであれば、ライトノベルなど書かない方が良いのではないか、とも思いますけどね……。