病床の皇王
皇太子フーベルトゥースが職務をとっているのには理由がある。
現皇王ヴィルヘルム二世は病床にあるからだ。
普通の風邪であるはずだが、ヴィルヘルムは長年の激務がたたったのか体力が落ちていると判断された。
そのせいでフーベルトゥースが代役を買って出て、療養している身である。
実は無理をすれば復帰できるのだが、その必要を感じていなかった。
「立派な息子を持てたのはよかった」
すっかりやつれてしまったヴィルヘルム二世はベッドの上から窓をながめながら、ぽつりと言う。
「そうですねえ」
彼のそばに座って相槌を打ったのは皇后である。
リルエン公爵家の出身で、ヴィルヘルム二世とは仲睦まじい夫婦だった。
政略結婚するべき相手と恋に落ちるという、本来自由に結婚できない王侯貴族たちがうらやむような展開の果てに三男二女をもうけている。
フーベルトゥースは皇太子として皇王代理として職務にはげみ、次男は軍隊に入って頭角を現した。
三男は侯爵家の婿養子に入ることが決まっていて、二人の皇女も縁組が決まっている。
両親の仲が良好な影響を受けたのか兄弟姉妹の仲は悪くなく、誰も後継者争いの心配をしていなかった。
「次男が元帥として、三男が宰相として、二人の娘たちが女性勢力を掌握してフーベルトゥースを助けていく。理想的な展開になりそうだ」
「まだ気が早いですわ。元帥も宰相も皇王の子だからと言ってなれるものではありませんよ」
気の早い夫を皇后がたしなめる。
「それに最近は気がかりになることができました」
「ああ、ミロスラフという男か」
皇后の言葉にヴィルヘルム二世は気のない返事をした。
「あの男をどう扱うかで、フーベルトゥースの器量が決まる。ある意味試金石のようなものか」
「あなたはどうお考えですの?」
皇后は不安そうにたずねる。
できれば夫にこの気持ちを晴らしてもらいたいと思っている顔だった。
「真意はわからぬが、皇国に敵意を持っていないのはたしかだ。ならば利益をもたらせるように活用すればよい。敵意がない者たちとどのようにつき合うかも、皇王の器量というものよ」
「そういうものですか……」
落ち着いたヴィルヘルム二世を見て、皇后も少しは安心する。
「フーベはあなたほどの胆力は持ち合わせていないのが、心配ですわね」
「なに、試練の果てに身につくものよ。いきなり持っておる者は少ない。フーベルトゥースのやつもこれから度胸を身に着けていけばよいのだ」
ヴィルヘルム二世はおだやかに言った。
「それまで時間はかかるだろうから、まだまだ死ねんな」
「わたくしより先に死なないでくださいね」
皇后はすねたようにくぎを刺す。
「ははは。気をつけると言いたいが、人の寿命は天上の神々が決めるもの。私の一存でどうにかできるものではない」
皇王は笑う。
いい年の夫婦だというのに甘酸っぱい空気が満ちていて、とても病人がいる部屋には見えない。
(もういやだ、この部屋)
皇王の身の回りの世話を任せられている侍女は内心悲鳴をあげる。
至高の玉座に座る身分の人と同じ部屋にいると緊張するからではない。
隙があればすぐに皇后とイチャイチャしはじめるからだった。
そのため、普通とは別の意味で病床の皇王の世話する仕事は、侍女たちの間では不人気なのである。
フーベルトゥースがなかなか見舞いにこない理由の一つでもあった。
(この年になって両親が仲睦まじい姿を見せつけられてたまるか!)
というのが彼の叫びである。
弟や妹たちは全員同意してくれるのが救いだった。
「ほう、皇王は病気なのか」
「ええ、だから皇太子がしゃしゃり出てるのですよ」
エアロにメヒティルトが毒がこもった表現を用いながら、この国の情勢を簡単に説明する。
ミロは昼寝から起きて、偶然そのことを聞いてしまった。
「ご主人様には何も言う必要はないでしょうが、念のためエアロ様にも情報をと思いまして」
「うむ。私ごときがどれだけマスターのお役に立てるのかはわからないが、だからと言って何もしないわけにもいかんからな」
両者は協力し合ってミロのために働こうと誓い合い、ひとまず情報のすり合わせをおこなっている。
「何だ、皇王は病気だったのか。じゃあ何か対処でも考えようかな」
ミロは深く考えずに発言した。
エアロはきょとんとしてメヒティルトに小声でたずねる。
「おい女、この場合ご主人様は何とおっしゃったのだ?」
「む、難しいですね……わたくしたち相手に初めて知ったという態度をおとりになった理由がわかりません。対外的には今まで知らなかった、知った以上は行動を起こすということなのでしょうが……そうか、メアリー殿」
メヒティルトの明晰な頭脳はもっともらしい事実を思いついた。
「メアリー殿は皇太子フーベルトゥースの乳母だった方です。ようするにご主人様を監視するための重要な存在と言えます」
メヒティルトは知っていた。
フーベルトゥースが隠したがっていることも彼女の頭脳はごまかせなかった。
「なんだと……」
エアロの表情がけわしくなり、声が低くなる。
か弱いメヒティルトはビクリと体を震わせた。
「おい、エアロ。メヒティルトをおどかすな」
ミロがエアロの気配に気づいて注意をする。
「し、失礼しました」
エアロはあわてて敵意を消した。
「やはりご主人様は何もかもお見通し……あえて何もおっしゃらないのはわたくしたちを鍛え育てるおつもりなのでしょう」
「そ、そうか。では精進しなければならないな! マスターの期待に応え続けるために」
メヒティルトは決意し、エアロは大いに張り切る。