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ザクセン公爵家令嬢メヒティルト

ザクセン公爵家と言えば皇国で最も有名な家である。

 一つは広いだけで貧乏だった公爵領を豊かな土地に変えた手腕の持ち主だということ。

 そしてもう一つはメヒティルトという難病を発症してしまった気の毒な令嬢がいることだ。

 メヒティルトがかかったのは<パラリューゼ病>と呼ばれるものだ。

 発症すると視力と足の筋力が衰え、何も見えなくなり、歩くことすらできなくなってしまう。

 原因は不明で、治療法もわかっていない。

 一生ベッドから降りられない暮らしを強いられることになる。

 メヒティルトは公爵家の屋敷の一室に用意されたベッドでぼんやりとしていた。

 やせ衰えていてかつては皇国屈指の美と言われた容貌は見る影もない。

 黄金にたとえられていた髪はつやを失い、至高のサファイアと言われていた目は閉ざされ、処女雪のようだった肌は荒れている。

 

「皇国最大の宝とまで言われた美姫もみじめなものだ」

 口さがない人はそう言いあい、美貌の公爵令嬢という誰もがうらやむ境遇から転落した彼女に対し、暗い喜びを示していた。

 そんな彼女のところを訪れる者はめったにいないが、今日はその数少ない例外がやってきた。

 この国の皇太子であり、皇位継承を確実視されているフーベルトゥースである。

 皇太子と公爵令嬢という組み合わせはいやでも人の耳目を集めてしまうため、目立たぬように細心の注意をはらっての来訪だった。

「久しいな、ティル。なかなか会いに来れなくてすまぬ」

「お気になさらず、フーベ様。皇王陛下にかわって政務をおこなっていらっしゃるのですから、当然ですわ」

 二人は互いを愛称で呼びあい、気安い口調である。

 二人はいとこ同士で、兄妹同然の幼少期を過ごしたせいで、非公式の場では砕けた態度になるのだ。

「それで本日のご用件は? ドラゴンに乗ってこの国に仕官を求めてきたという魔法使いの件だと推測いたしますが?」

「さすがだな、ティル。君の知恵を借りたくてきたのだ。仕事でしか来られない私を許してくれるなら、どうか答えてほしい」

 己を責めるフーベルトゥースに対してメヒティルトはやさしく微笑む。

「フーベ様とレイラくらいですわ。今のわたくしのところに来てくださるのは」

 彼女は少し冷たい口調で言う。

 かつての彼女は皇国の知恵者であり、公爵領を豊かにする政策を打ち出した張本人だった。

 最大の宝と言われたのは彼女の美貌ではなく、頭脳を指しているとひと握りの人間だけが知っていた。

 両親も彼女の兄も彼女を自慢にしてかわいがったものである。

 ところが彼女が<パラリューゼ病>を発症してからは彼らは手のひらを返した。

 彼女が知恵者という事実があまり知られていないのをいいことに、彼女の功績をとりあげて屋敷の一室に押しこめて見向きもしなくなった。

 生きていくことが許されているのは、彼らの罪悪感というよりは外聞を気にした結果だろうとフーベルトゥースは思っている。

 <パラリューゼ病>は治療方法が見つかっていない難病だが、食事を与えていれば死ぬことはないからだ。

 そんな彼女の心のなぐさめは毎日のように来てくれ、世話もしてくれる乳母のレイラと、仕事のついでに見舞いもしてくれるフーベルトゥースくらいである。

 

「そうか……」

 フーベルトゥースは何も言えなくなってしまった。

 仕事の時しか来ない自分も同罪ではないかと思ったからだ。

 

「お気になさらず」

 目が見えないはずのメヒティルトは、彼の心境を読んでいるとしか思えないことを的確なタイミングで言う。

 頭脳の方は衰えていないとフーベルトゥースが思うゆえんだ。

「例の魔法使い、ミロスラフ様でしたか。情報が少なくて何とも言えませんね。知恵者のようにも思えますけど、世俗と離れて生活していたのが原因なだけのような気もいたします」

 ティルはそう回答する。

「……そうなのか?」

 フーベルトゥースは納得できない。

 ミロスラフの言動はどう考えても目の前のいとこに匹敵するか、それ以上の知恵者だとしか思えなかったからだ。

「ドラゴンにあわてるなと言ったのはどう思うのだ? 私は他国との交渉はあとからでもできるという意味だと考えたのだが」

「たしかにそう考えられますね。しかし、単にそのドラゴンとだけで話をしたかったのではありませんか?」

「ま、まさか……そんな……」

 メヒティルトの指摘にフーベルトゥースは愕然とする。

 ミロスラフがもしも聞いていれば、どうしてメヒティルトと同じ考えができないのか不思議に思ったに違いない。

 ただ、メヒティルトは言葉をつけ加える。

「もちろんそうミスリードさせるためという可能性も捨てきれません。複数の意味に受け取れる言葉を用いるというのは、策士の基本ですからね。そういう意味で、ミロスラフ様が知恵者という可能性は五割くらいはあるでしょうか」

 

「うーむ、彼が知恵者でない可能性がそんなにもあるなんて、私には信じられん……ティルの言うことだから間違いではないと思うが」

 フーベルトゥースにメヒティルトは再び微笑む。

「お会いしたことがないので、これ以上の予測はしかねます」

「……会わせたいと言ったら、君は私を恨むか?」

「かまいませんよ」

 メヒティルトはおだやかに応える。

「最近、息が苦しい時があるのです。おそらく余命三か月でしょう」

 彼女のはかない表情にフーベルトゥースは息を飲む。

 <パラリューゼ病>にかかった者は呼吸が苦しくなると死期が近い証拠だという。

 メヒティルトの優秀な頭脳は、自分の残された時間すらわかってしまうのだ。

 フーベルトゥースにしてみれば残酷で痛々しく、やり場のない悲しみで胸があふれてしまう。

「ミロスラフ様をいつでもお連れください。それが最後のご奉公です」

「……わかった」

 

 フーベルトゥースは断腸の思いで答える。

 腹をくくったメヒティルトの気持ちを否定したくなかったのだ。

 彼が去ったあと、彼女は息を吐く。

 

(やっと帰ってくれたわね。偽善者さん)

 

 彼女はフーベルトゥースのことがきらいだった。

 気遣う手紙を一通もよこしたことがなく、知恵を借りたい時しかやってこないからだ。

 皇太子が望めば近臣たちがいくらでも手配してくれるだろう。

 それなのに何もないことが、彼の彼女に対する心情を物語っている。

 

(わたくしが病気になったとたん手のひらを返したやつら、顔がいいとか、頭がいいとか、そんな理由で会いに来るだけのやつら、滅びればいいのに)

 メヒティルトは外に顔を向けながら、呪いの言葉を脳内に放つ。

 昔は家族想い、領民想いだった姫君も、酷薄な仕打ちにさらされた結果、すっかり心が冷えきっていた。

 ミロスラフに会っても気づいたことをそのまま伝えるか、それは彼女の気分次第である。

(ミロスラフという男が本当にこの国を滅ぼせる危険人物だったら……黙っていましょうか)

 こんな国なんて滅んでしまえばいい。

 今でも自分に懸命に尽くしてくれるレイラだけはできれば助かってほしいとは思うが、彼女以外は心底どうでもよかった。

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