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俺の名前を着た君に。  作者: 蒼葉
Ⅴ、俺はまた、こうして嘘を重ねている。
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#4、真っ黒な感情

 藤宮の涙は、体温は、今まで感じたことのないほどに、温かかった。懐かしい香りに包まれて、じん、と心が溶け出す。


 彼女は間宮家と同様、異世界人でありながら、皇族に仕える一族の生まれだ。昔から器用で要領が良いのだと、母が昔、誇らしげに話していた。

 母と藤宮は古くからの友人で、由佳(ゆか)美代(みよ)と、互いに下の名前で呼び合う仲だった。俺も、小さな頃から何度か世話になったことがある。


「……どうして、藤宮さんが、ここに?」


 そう訊ねると、藤宮は俺から腕を外した。その場に立ち上がってから、俺は違和感を覚えた。藤宮の背丈は、俺の胸ほどしかない。

 ……こんなに、小さかっただろうか。

 藤宮も、俺の顔を見上げながら、驚いた顔をしていた。


「伊織くん……大人びた顔つきになったうえに、背もすっかり伸びて。……そりゃ、そうか。あれから、二年も経ったんだものね」


 そう、俺と母が玉座の前で銃口を向けられたあの日から、二年の歳月が経っていた。波琉の記憶が戻るのを待っていたら、いつの間にか、こんなにも月日が流れてしまった。


 この二年で変わったことといえば、言葉どおり、俺の身長が伸びたことくらいで、他は何も変わらない。

 波琉の調子も相変わらずで、母の行方も分からぬまま。俺の置かれた状況は、何一つ改善していない。

 時ばかりが過ぎてしまった俺を嘲笑うかのように、この世界の空はやはり青く広がっていて、時折鳥がゆったりと頭上を横切った。


「伊織くん、大体のことは聞いてる。……ごめんね。辛かったよね。もっと早く、助けてあげられれば良かった」


 彼女のその一言に、心の奥底に抱え込んできた不安と恐怖が、どっと溢れ出してきた。


 本当は、ずっと、ずっと、怖かった。

 どうして、大勢の者の前で、恨まれながら殺されなければならないのだろう。

 俺は皇族じゃない。

 世界の端っこの方でもいい。ただ、平穏に暮らしていたかった。それだけなのに。

 失敗の許されない任務を命じられ、知らない世界に飛ばされて。母の行方も分からなくて。

 なのに、俺が苦しみを吐き出せる人なんて、俺の声を聞いてくれる人なんて、誰一人いなかった。


「……くっ……う」


 せき止められていた川の水が、一気に溢れてくるみたいだった。

 俺は初めて、二年前のことで、泣いた。

 嗚咽が漏れるたび、藤宮は、ごめんね、と言って俺の背中を優しくさすった。

 藤宮の優しさに、崩れた涙腺がさらに緩くなる。俺は零れる涙を拭いながら、首を横に振った。


「私がここにいるのはね、私が伊織くんを、異世界からここへ呼び戻したからなの」

「藤宮さんが?」

「見て」


 藤宮が懐から取り出したのは、くすんだ色の血晶玉。

 緑に覆われたこの世界に、赤黒いその色は、あまりにも毒々しい。


「血晶玉には、ある特性があってね。この玉に、人の血の成分を加えることで、その血の流れる者を異世界から此方の世界へ呼ぶことができるの。伊織くんが東国を出る前、血を採取されたのを、覚えてる?」


 藤宮の問いに、ゆっくりと頷いた。母に、東国を出ると告げられた日から、半年ほど前のことだ。健康診断で血液検査をするからと言われ、採血された記憶がある。

 それと同時に、西国でも採血されたことを、ふと思い出した。まさか、と思い、俺は口に手を当てた。


「採取した伊織くんの血液は、異世界人の血が流れていることを確かめるのに使われていたみたいで。それが皇宮内で冷凍保存されているのを、運良く見つけたから、その一部を盗み出してきたの。なんとしても、二人を助けたくて」


 異世界人であることを確認する目的なんて、あるとするなら一つしかない。やっぱり、俺を西国へ差し出すことは前々から決められていた、計画的なものだったんだ。

 そして、二年前、西国のあの研究員が俺の血を採血したのも、国の姫を預けることの、保険をかけるためだろう。

 俺が王女の元から逃げ出そうものなら、強制的に異世界から呼び戻し、命を奪うつもりなんだ。

 そう悟った瞬間、冷や汗がじわりと噴き出した。胃がきりりと痛む。


「母さんは……? 母さんも、異世界から呼び戻してくれたのですか!?」


 ふと思い出し慌てて訊ねると、藤宮は垂れた瞳に悲しみの色を滲ませて、力なく首を横に振った。


「あの時採血されたのは、伊織くんだけだったでしょう。私の手元に美代の血液がない以上、ここには呼べなかった。……もしかして、異世界で美代とはぐれたの?」


「……はい…………」


 小さな声で答えると、藤宮は失望したような表情で、そう、と肩を落とした。


「…………そもそも、なんで……なんで、俺と母さんだったんですか。皇帝は、俺と母さんの死を望んだのですか? 皇族の犯した罪って何ですか!? …………俺は何も知らないのに。」


 俺には世界が、敵に見えた。

 捌け口の無いまま、積もり積もっていた負の感情が、ぽろぽろと口から零れた。自分の吐き出した言葉が耳に返るたび、ますます自分が孤独に思えて、不安に押し潰されそうだ。


 俺の言葉に、藤宮は重そうな口を開いた。その口から落とされたのは、中つ国の存在した過去だった。

 中つ国が世界を傷付けたこと。

 東国が自国の利のために中つ国の肩を持ったこと。

 結果、両国が孤立し異世界が生まれたこと。

 中つ国の人々の子孫が異世界人であり、その国の王家の末裔が、現東国皇妃であること。

 それらはすべて、俺の見たことも聞いたこともない話で。気の遠くなるような歴史を知ると同時に、自分を含めた異世界人が、何故嫌われているのかという理由を、俺はここで、生まれて初めて知った。


「現東国皇帝は、過去の罪を償うことで、東国と異世界人が救われることを、願った。そして、東国と旧中つ国の王家の血を引く東国皇太子に、罪をすべて背負わせることを、選んだ。……けれど、とある問題が起こった」


「問題?」


「皇帝が、病に倒れた。東国の世継ぎは一人と決められているから、本当は、皇太子の処刑後に、真の皇妃を迎え入れ、真の世継ぎを生ませ、次の皇帝として育てる予定だった。けれど、皇帝にはその時間が、残されていなかった。死ぬべくして生まれたはずの皇太子を、皇帝として迎え入れないわけにはいかなくなった。でも、皇帝が病に倒れたのは、西国に制裁を申し出た後だった。だから──」


 俺は唾を飲み込んだ。

 藤宮の唇が、ゆっくりと動きだす。


「皇帝は、皇太子の身代わりを探した。」


 ずん、と心臓を射抜かれたような胸の痛みが、呼吸を乱した。


「皇太子と同じ歳の、異世界人の少年を探した。それも、一般国民よりは、皇族に仕える者であることを条件にね。仕えている以上、皇帝の命には逆らえないし、国民からの異議も出ないだろうという理由で。そうして皇帝の目に留まったのが、伊織くん、だった」


「……そんな」


 足の力が抜けた。とても、立ってはいられなかった。重力に負けて、そのまま草の上に崩れるように座り込む。藤宮が、心配そうに同じ場所に屈み込んだ。


「……そんなの……全部、大人の……勝手な……都合じゃないか……なんで……。母さんや父さんは……それを受け入れたの……?」


 藤宮は静かに首を横に振る。顎のラインまで伸びた真っ黒な彼女の髪が、するすると揺れた。


「“受け入れた”んじゃない。“逆らえなかった”の。でも、両親のことは責めないであげて。東国皇帝に背いた者は、老若男女問わず、結界の力で必ず殺される。美代だって、そんな立場にある自分を、過酷な運命を伊織くんに背負わせてしまう自分を、本当に、悔やんでた」


 藤宮は強い眼差しで、まっすぐ俺の瞳を捉えていた。けれど、その瞳の中には、悲しみの涙が浮かんでいた。俺は、思わず俯く。


「それにね、何もできない自分でも、せめて伊織くんのためにと、美代は決断したの。……自分も伊織くんと同じ運命を背負うのことを。」


 ──大丈夫、母さんは、あんたを一人にはしないよ。


 母の言葉を思い出すと、ぶわっと世界が滲んだ。溢れた涙は、地を覆う緑の上に零れ落ち、朝露のように輝いた。


 ……嘘だよ。結局、俺、一人にさせられてるじゃないか。母さん、何処にいるんだよ……。


「美代と伊織くんが、皇帝の都合で殺されるなんて……私は、許せなかった。だから二人の救われる道を、必死に探してきた。そうして二年の歳月をかけてやっと、その答えと、それを実行できるだけの、準備が整った」


「救われる……道?」


 藤宮は、すうと息を吸うと、覚悟と吸い込んだ息と共に、言葉を吐き出した。


「東国皇帝を、(あや)める。」


 彼女は、本気だった。垂れた黒い瞳が、怪しく光っている。


「そんな……逆らえば、殺されるんでしょう? そんなことして、失敗なんかしたら、どうするんです。それに、西国の王は、俺が無事に王女の治療を見届けたら、俺の声に耳を傾けてくれるって」


「そんなの、建前に決まってるでしょう」


 藤宮の口調が鋭くなった。


「あの冷徹な西国の王が、異世界人の言葉を素直に聞くだなんて、考えられない。旧中つ国の過去の行いを、恨んでいるのだもの。姫の無事を確認してから、ゆっくり処刑を決行するに決まってる」


「……じゃあ、命じられた任務を放棄しようが遂行しようが、俺も母さんも、助からない……ってこと?」


 目の前が真っ暗になった。出口のない、深い谷底に突き落とされたようだった。


「助かる道は、他にある」


 藤宮の言葉は、暗闇を照らす一筋の光となって、俺の耳へと届く。


「西国は、東国皇帝の結界の力を、恐れている。東国皇帝が命を落とせば、結界の力を受け継ぐ血筋の者は、現皇太子だけになる。皇太子の処刑よりも、皇帝の死が先であれば、皇太子を処刑人として差し出されたこの機会を、西国が逃すはずがない。西国は、血眼になって皇太子の死を望むでしょう。その状況に持ち込むことができれば、伊織くんの“自分は皇族ではない”という言葉を、西国は吟味せざるを得なくなる」


 藤宮の言葉は、俺の脳を震わせた。

 俺の死が先か、東国皇帝の死が先か。

 それが、藤宮の提示した計画の、命運を分ける。


「……でも、どうやってそれを実行するというのですか。失敗すれば、後がない。第一、皇帝には血の守り人がそばに付いてるし、神屋敷の人間も、たくさんいる」


「殺しは私がやる。力で勝てなければ、頭脳で勝てばいいの。この二年、私は今まで以上に皇族に尽くすことで、地位と彼らの信頼を手に入れた。おかげで、皇帝のそばでの仕事を任されるようになった。食事に毒を盛るくらい、簡単にできる」


 藤宮の瞳には、決意と覚悟の色が見えていた。

 俺は再び立ち上がった。拳を握りしめ、彼女の黒い瞳を見つめた。


「……殺しは、俺がやります」

「えっ?」


「第三者の藤宮さんに、リスクを背負わせるわけには、いきません。藤宮さんの体調不良を理由に、一日だけ、藤宮さんの信頼を置かれた俺が、代理として働く、ということにしてください。二年前と比べて俺の身長はかなり伸びた。肩幅だって、うんと広くなった。それに、俺は皇帝と一度も顔を合わせたことがないんです。きっと皇帝も、俺が、二年前の少年と同一人物だとは気付かない」


「……確かに、あの日の処刑人を侍衛にして西国の王女を異世界に送ったことは、公になっていないし、皇帝も、二年前の少年はとっくに死んだと思っているから、ばれないだろうけれど……」


「公にしていないんですか?」


「ええ。だって、異世界人を毛嫌いしているくせに、王女をその世界へ送るだなんて話が漏れれば、西国王家の体裁が保てないじゃない? その場にいた東国外交官が、東国へ話を持ち帰ってきたけれど、皇帝へは私が口止めした。命短いのに、懸念ごとを増やすな、どうか制裁は成功したことにしてくれ、とね」


「それなら、尚更、俺が殺ります」

「……でも」

「殺らせてください」


 数十の、真っ黒な銃口が揺れる情景。

 広場に真っ直ぐに伸びた真っ黒な絨毯。

 俺に向けられた、民衆の、黒い囁き声。

 記憶の風に煽られて、真っ黒な感情が、どろりと生まれ、身体の隅々まで熱くする。


「……憎いんです。身勝手な理由で、俺と母さんを犠牲にした、皇帝が。殺るなら、俺の手で、仕留めたい」


 拳をさらに強く握り直したまま、口から零れ出たその言葉は、その場の空気をも黒く染める。


「……それを成すことで、たとえ大切な何かを失ったとしても? それは、伊織くんが自らの手を汚すことを意味する。そして、一度ついた手の汚れはいくら洗ったって、落ちることなんてないのよ。……それでも、それを実行する覚悟はある?」


 藤宮には迷いがあるようだった。

 俺を自分の意志に従わせるべきか、俺のことを止めるべきか。だからこそ、こんなことを訊くのだろう。


「あるに決まってる。だって、俺は今の時点で既にすべてを失っているに等しいんですよ。これ以上、失うものなんて、何もない。失ったものを取り戻すためなら、俺は何だってする」


 藤宮は、暫くの沈黙を挟んだ後に、分かった、と呟いた。


「本当は、この計画を聞かせたらすぐ、王女の元に帰ってもらう予定だったけれど。伊織くんの意志を、尊重する。その代わり、約束して」


 藤宮は、垂れた瞳に力を込めて、真っ直ぐ、俺の目を捉えた。


「計画の実行を終えたら、すぐに異世界へ戻ること。これは伊織くんが皇帝を殺した犯人である事実をばれないようにするためでもある。そして戻ったら、王女の侍衛の任務も速やかに遂行すること。西国の信頼を得るためにね」


 藤宮の言葉を胸に刻んだ。俺の中に生まれた黒い意志は、どんどん闇の暗さを増してゆく。

 あんな国など、たとえ潰れてしまっても構わない。


「それから、美代のこと……」


 藤宮は、今にも泣きだしそうな顔をして言った。


「私、伊織くんと美代、二人ともに生きて欲しいの。お願い。異世界に戻ったら、どうか、美代を見つけだして」

挿絵(By みてみん) 

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