#1、故郷
✿ 登場人物 ✿
♢琥珀
東国の皇太子でありながら、世界から疎まれる異世界人の血を引いている。
真っ黒で癖のない髪の毛と、引き込まれそうな程の強い意志を宿したような黒く大きな瞳は母親によく似ている。
一度決めたことには頑固で、思い立ったら考える前にすぐ行動に出てしまう。嘘をつくのが下手。
♢神屋敷 蓮
琥珀の幼馴染であり、親友であり、尚且つ琥珀の血の守り人である。
小柄だが、体力や運動神経はずば抜けている。
茶色い髪の毛に、灰色の丸い瞳。
気遣い屋であり、命に代えても琥珀を守ると心に誓っている。
♢朝倉 徹眞
左のこめかみから頬にかけて、大きな切り傷がある、長身銀髪の男。
ナイフのような金色の瞳は、今にも人を殺せそうなほど鋭い。
西国の兵士だったが、西国を裏切り、王と王女を斬りつけて逃亡した過去がある。
言葉も荒く、厳しいが、根は優しく面倒見の良い一面もある。
♢夜郷 架瑠亜
南国出身の黒髪の少女。深い藍色の真の瞳を持ちながら、異世界人の血も引いている。
内向的な性格で、人間嫌いな節がある。
西国兵士に殺されそうになっていたところを琥珀に助けられ、徹眞の家で暮らすことになった。
❀ 第二章までのあらすじ ❀
皇帝の死をきっかけに、東国でクーデターが起こり、琥珀は皇宮を追われる。一時的に異世界へと逃れるも、再び現世界へ戻されてしまう。
現世界に残っていた蓮と合流し、身を隠しながら樹海を彷徨っていたところを徹眞に拾われ、徹眞と共に暮らすこととなった。
徹眞に厳しく鍛えられる毎日を送る中で、西国兵士に殺されかけていた架瑠亜と出会い、命を救う。四人での新たな生活が始まったところで、琥珀に受け継がれていた東国皇帝の結界を張る力が暴走し始める……。
何が起こったのか分からなかった。
世界が目まぐるしく回転し、右も左も上も下も全く分からない。
落ちているのか、浮いているのか、はたまた沈んでいるのか。空中なのか、水中なのか、地面の上なのか。
唯一分かるのは、自分が何処かには確実に存在しているということだけだ。
やがて、草木の香りが強くなる。
いつものどこか埃っぽい淀んだ空気とは異なる、どこまでも透き通った空気。
どことなく懐かしい。
思わず一つ、深呼吸をした。新鮮な空気が肺いっぱいに広がってゆく。日頃自分にのしかかった荷の重みも一瞬忘れてしまうほどに心地良い。
次に目を開けた時、視界はクリアになっていて、見知らぬ森の中に放り出されていた。
風で草木が揺れ、鳥のさえずりが空に響いている。
この感覚を、脳天を重く貫く激痛を、俺は知っている。
以前にも似たようなことがあった。だとすると、俺は再び世界を越えてきたのかもしれない。頭を抱える。
──然るべき時が、来たのだ。
できるなら……いや、心底、俺はこの世界に戻ってきたくはなかった。ずっと向こう側にいたかった。自分の運命を見せつけられたような気分だ。吐きそうなくらいに。
俺はもう、逃げられない。
「ええっ……ここ、どこ? 私、どうなってしまったの?」
頭に高い声が響く。
声の主は、綺麗な金髪とブルーの瞳をした彼女だ。辺りを見渡し、混乱しているご様子。俺の姿をその瞳で捉えたかと思えば、光の速さで俺の元へ駆け寄ってきた。
「よかった……! 私一人だけじゃなかった! それにしても、本当に腐れ縁ね、中学、高校とずっと同じ学校で、こんなわけの分からない森の中に迷い込む時も一緒だなんて!」
「そんなの……当たり前だろ。俺らは双子なんだから。勝手に縁を腐らせるな」
「双子ってそういうものなの? 私にはよく分からないのだけれど。こんなにも顔も性別も性格も異なるのに、変なの」
顔や性格はともかく、性別の異なる双子はいくらでもいるだろう。
知らない森の中に飛ばされてもなお、動じずポジティブな姿勢を崩さない彼女に心做しか、救われたような気持ちにもなっていた。
この先どうしよう。
いずれこうなることは分かっていたはずだ。それなのに、もういつまでも、彼女の明るさに縋ってばかりはいられないのだと思うと、呼吸が苦しくなる。胃が絞られるような憂鬱に、支配される。
今までいかに、現実逃避していたかということを思い知らされた。
襲われる不安から逃げるように、ため息が零れる。左手首の、黒い石で出来たブレスレットを回すようにして触れた。
「また、ため息ついて。ため息は幸せが逃げてしまうって、いつも言っているでしょう」
「はいはい……って、お前、何処行く気だ」
彼女はいつの間にか俺に背を向けてその場を離れようとしている。
「探索。まずはここが何処だか分からないと話にならないでしょう?」
「勝手に動くなよ。お前に何かあったら困るんだよ、色々。」
「困るって何さ。それとも、お兄ちゃんはずっとここにいるつもり? それもどうかと思うんですけど」
「なわけないだろ。でもむやみに動くのは危険だって言ってんの」
「大丈夫だよ。気をつけるから」
気をつけるとかそういう問題じゃないんだよ。
そう思いながらも、何を言っても無駄だと悟った俺は、黙って彼女に付いて行くことにした。
「ね、こんなに深い森に来たのなんて、生まれて初めて!」
何故だろう。彼女は何やら浮かれている様子だった。
彼女に賛同するかのように、木々の隙間から見える空はどこまでも青い。風が穏やかに吹き渡り、地面に咲き乱れる花がそれに合わせて揺れる。
それと裏腹に俺の気持ちはずっと沈んでいた。俺の表情に彼女がむっとするのが分かる。彼女はこの状況をピクニックか何かと勘違いしているに違いない。
突然、彼女が前方を指差し、声を上げた。
「あれ! 何! 何か飛んで来る!」
彼女の人差し指の先に、木々を上手く避けながらこちらに近づいてきている黒い影が三つあった。
「鳥か?」
声に出した後、すぐに気づいた。
違う、あれは鳥じゃない。あれの老婆が笑い狂ったような鳴き声に、俺は聞き覚えがあった。あれは……。
「蝙蝠……!」
身の毛のよだつ思いがした。咄嗟に彼女の手を取り、反対方向に駆け出す。
「コウモリ? って、小さな翼の可愛い動物だよね? どうして逃げるの?」
「いいから黙って逃げろ!」
いや、彼女も逃げる必要があるのか? 襲われる危険性があるのは俺だけだ。だが逃げている間に彼女に何かあったら……。
「きゃっ」
高い声と同時に右手から彼女の手がするりと抜け落ちた。振り返ると、足元にうずくまる彼女の姿があった。木の根に躓いて転んだらしい。
「立てるか?」
俺は走ってきた方角の蝙蝠との距離を気にしながら、腰を屈めて彼女の手を取る。俺は早くあの蝙蝠から距離をとりたいのだが、彼女の腰は重たい。
なかなか立ち上がる様子を見せない彼女に、苛立ちと焦りを覚えた。
「痛たた……お兄ちゃん、逃げるなら、早く逃げて。私と逃げていたら、きっと追い付かれちゃうよ」
「んなこと喋ってる暇があったら、早く立て……!」
どうしたらいい。この場合、彼女を置いて逃げるべきか。
逃げて、もしもはぐれてしまったら合流する術がない。だがこのままでは……。
「お兄ちゃん! 後ろにも!」
彼女が青い瞳を見開いて叫んだ。振り返ると、別の蝙蝠が、俺から約一メートル先まで迫っていた。目線よりもやや高い位置を飛ぶそれは、一直線に俺目掛けて加速した。
咄嗟の判断だ。
落ちていた、長めの木の枝を拾い上げ、蝙蝠目掛けて振り回した。その蝙蝠は怖気付くように一瞬俺から離れたが、再び隙を狙って俺に近付こうと羽ばたく。
際限が無い。
こうしている間に、逆方向からの三匹に追い付かれなんかしたら……俺は……。
「こっちの三匹は任せろ!」
突如後ろの方から少年の声が降ってきた。
声の主は、普通の少年だとは思えないような素早さで、視界の端から現れた。蝙蝠を大きな刀で斬り落としてゆく。
……助かった。
何処からともなく現れた謎の少年の存在に、そう一息ついた。
だが、それも束の間だった。
この世のものとは思えぬほど、不快で不気味な叫び声が森の中に響き渡ったのだ。それは俺の振り回す枝の先をふらふらと飛んでいた蝙蝠の鳴き声だった。
まるで、老婆と赤子が同時に大声で泣き喚いているような鳴き声に、辛うじて左耳を塞いだ。鼓膜が破けそうな、甲高い鳴き声に脳が揺れる。
その叫びは一分ほど続いた。
鳴き声が漸く止んだ瞬間、どさ、と、隣で何かが倒れ込む音がした。振り返ると、さっきまで足を押さえてしゃがみ込んでいた筈の彼女が、その場に意識を失くして倒れている。
「波琉っ……!?」
倒れた彼女に気を取られた。
名前を呼んだ瞬間、その鳴き声を上げた蝙蝠が、するりと、俺の手にした木の枝をすり抜けた。小さな口が、俺に向かって大きく開かれる。
あ……噛まれ……
「危ない!」
少年の叫び声が耳に響いた。声質が、先程の、大きな刀を手にした少年よりも低かったから、彼とは別の少年だと分かった。
彼もまた、凄まじい速度で、目の先を通り過ぎる。
彼は刀を地面と平行に振り、俺に向かう蝙蝠を引き裂いてみせた。蝙蝠が落下したのを確認し、俺の方を素早く振り返る。
激しい動きによってフードが外れ、癖の無い黒髪がふわっと風に吹かれた。
露わになった彼の容姿は俺と同じく、どう見たって異世界人のそれだった。だが、その黒い瞳は、引き込まれそうなほどの強い光を宿している。
見たところ、同い年くらいで、身長は、俺よりも少し低いといったところだろうか。
「ありが……」
「後ろ!」
礼を言おうとしたところ、彼は目付きを鋭くさせながら、再び叫んだ。
咄嗟に後ろを振り返る。防ぎきれない程の速さで新たな一匹が真っ直ぐ飛んできていた。
足がすくむ。目で追うのがやっとの蝙蝠のスピードに手も足も出ない。
情けないことに、しゃがみ込んで目を瞑ることしか出来なかった。
痛みを覚悟し目を瞑って二秒。しかし、体に異変は生じなかった。
代わりに感じたのは、ぽた、ぽたと頬に生温い水滴が落ちてくる感触。
そっと目を開け顔を上げると、俺の方に覆い被さるような形で俺の後ろの木の幹に手を付く彼の姿があった。彼の首の根元から左肩にかけてを、蝙蝠は美味そうにかぶりつき、その部分は血で赤く染まっていた。
俺の頬に落ちたのは、彼のその血液だった。




