4話 サンプル
夕食を取ったなら、すぐに自室に引きこもり。そして鏡に魔力を程良く込めて、神様が顔を出してくれるのをじっと待つ。飼い主が扉を開けるのを待ち構える忠犬のごとく、スタンバる。これがこのところのイーラの日課。
お勤めの時間を急に夜に変更した上、やけに熱心に取り組んでいる彼女に対し、家族や使用人たちは不思議顔。いきなりどうしたんだろうねと、頭の上にはてなマークを浮かべている。別に悪いことでもないので、彼らもとやかく言うつもりはないのだけれど。
でも、気をつけた方が良いかもしれない。イーラ付きの侍女にして乳姉妹であるアンナなどは、挙動の不審な主の様子に、何か勘づいている節が見える。切れ者と評判の彼女に対し、何処か抜けてるイーラが隠し事など出来るだろうか。いや、出来るはずがない。反語。
まあ、名探偵アンナの活躍は乞うご期待ということにして、イーラの様子を見てみれば。どうやら、向こう側に動きがあったようだ。つまらなさそうに鏡面を見つめていたイーラの瞳が期待に輝き、頬がうっすらと朱に染まる。
プライベートを死守するために、テーブルに伏せられていた神様の部屋の卓上鏡。それが持ち上げられたのだろう、妖精の鏡が一人の男性の顔を映し出した。
「お待ちしておりましたわっ!」
この人物が神様などではなく、ただの人間に過ぎないというのは、イーラにだってわかってる。それなのに何故、彼との会話を続けているのか。毎晩毎晩、心待ちにしているのか。
その答えは、とても簡単。何も映さない鏡を相手にするよりも、話の通じる会話の方がずっと楽しいですからね。
そういう訳で。
今日も今日とて、イーラは鏡を覗きこむのです。
「神様の国って、日本って言いましたっけ?」
「だから、カミじゃなくてジンだってば」
「聞いたことのない国名なんですけど、それって、どの辺にある国なんですか?」
伯爵家の令嬢として、節度のある立ち振る舞いを求められたり。社交界で、腹の探り合いじみたやり取りをしてみたり。そういったものとは違う、自分の立ち位置など全く考えなくてもいい、何処か遠いところにいる彼との会話。それはイーラにとって、とても貴重な時間。安らぎと癒やしとを与えてくれる場。もっと端的に言ってしまえば、ストレス発散のいい機会。
なのでイーラは取り繕わない。標準装備の猫の皮など脱ぎ捨てる。言葉遣いなんて適当だ。多少、はしたなくたってへっちゃらだ。こっそりとくすねてきたお菓子を口に放り込み、手ずから注いだ果実水をグビグビと。
あー、たまりませんね、この一時。一日の疲れが抜けてくわー。
彼女の名誉のために言っておくと、例え自室であろうと、普段の彼女はここまでだらけない。映らないはずの鏡越しの会話という非日常が、旅の恥はかき捨て的な空間を作り上げているのだ。
そしてなにより、アンナがいない。怒ると怖い、彼女の目がない。神聖なるお勤めの真っ最中なので、泣く泣く彼女には立ち入らないように告げているのだ。
「あー。ユーラシア大陸ってわかる? その東の果ての海に浮かぶ島国なんだけど」
「ゆーらしあ? やっぱり聞いたことないですねー」
小首を傾げつつ、答えるイーラ。彼女の住む王国があるこの大陸も、遠すぎてまだ全然開拓されていない新大陸も、そんな名前とは違うのだ。
あっ! あれかしら?
「神様の国での呼び方と、こっちでの呼び方が違うんでしょうか?」
「いやー。多分、そうじゃないんだよなー」
同じものを指しているのに、国によって呼び方が違う。そんなの良くあることだ。例えば妖精は、帝国ではジンと呼ぶらしいし。
……ジンって、神様の名前と同じね。でもまあ、私が呼ぶ時は神様でいいでしょ。だって、今行っているのは神聖な儀式なのだしね。そんなことを考えつつ、またお菓子をひょいと口に放り込むイーラ。
でもどうやら、神様の言っていることは、そう言うことではない様子。
「こっちでも調べたんだけどさ、イーラさんの住んでる国の名前とか、色々。グーグル先生に聞いても、やっぱりヒットしないんだよね」
グーグル? うちの家名と似てるわね。先生って、神様の教師なのかしら? すごいわね、仕事してるのに勉強も続けてるの? っていうか、神様って何歳なんでしょ? 多分、同じか少し年下くらいって思うんだけど。ひょいパク、グビグビ。
ちなみに、イーラが18歳なのに対して、神青年は24歳である。東洋人が若く見られるのは、異世界基準でも同じらしい。
「あのさ、元々イーラさんが話そうとしていた神様って、同じ大陸とかに住んでるの?」
「まさかっ! 神様は、神の箱庭と呼ばれる最初の世界におられると伝えられています。ここは、妖精が作り上げた二番目の世界ですから」
「そっちの妖精すごいな、世界を作るって。それって十分、神の御業じゃないの?」
「神の手によって創られていないから、不完全なのです。人は死ぬ運命にありますし、世界もいつか終焉を迎えるのです。それ故に、人は神を求める……のですが、そちらでは違うのですか?」
なんだろう? なんだか、すごく違和感がある。
神様、世界の成り立ちとか、妖精についてとか、ご存じないの? あんまり遠すぎて、別の形で神話が伝わっているのかしら?
「なんか、すっごく不思議そうな顔してるな、イーラさん。話が噛み合わないのは多分、世界が違うんだ。そっちとこっちとで」
んー?
イーラの傾げる小首が急角度。
「いやだから。その鏡、神の箱庭ってのに繋ごうとして、別の世界に繋いじゃったんじゃないかって」
「……人が住む世界が、ここ以外にもあるのですか?」
世界とは、複数存在する。それはイーラだって知っている。
最初の世界である、神の箱庭。二番目の、この妖精世界。他にも精霊の住む世界とか、魔族の住む世界なんかもあるらしい。でも、人の住む、他の世界?
「そんなの、初耳です」
「俺だって。そもそも、こっちじゃ異世界なんて空想上の産物でしかないんだから。……でも、あるんだなあ、異世界。現在進行形で体験しちゃってるもんなあ」
この体験が壮大なドッキリとか、ないだろう。無名の一般人にわざわざそんなことをしても、視聴率は取れない。実は最初に思ったとおり、これは霊界通信だったとか。まあ、仮にそうだとしても、あの世だって多分、異世界だ。
うん、やっぱり俺、異世界交流してるっぽい。
「人の住む異世界ですかー。何だか、しっくりきません」
「そうか? 俺なんかにしてみれば、わかんないことだらけでしっくりくるも、こないもないけど」
「だって、そちらの世界、誰が作ったんですか? 妖精を統べる4柱の主は、勝手に世界を作ったことを神様に叱られて、今も箱庭で正座してるんですよ?」
「何その罰」
一体、どれだけ長いこと足が痺れ続けているのやら。というか、あるのな正座。異世界にも。
思わず笑ってしまう神青年だけど、困ったことにイーラの質問には答えられるようで答えられない。ビッグバンによって宇宙が誕生したというのは知識として持っているけど、じゃあ詳しく説明してと言われても無理。
そもそも、ビックバンの前には何があったの? 宇宙はなかったにせよ、宇宙以外の何かはあったの? それとも何もなかったの? 何もないのに爆発したの? 多分、専門家に聞いたところではっきりしたところなどわからないと思う。というか、宇宙と世界とはまた違う区分という線すらある。
「誰が世界を作ったかなんて、誰も知らないよ。神様かもしれないし、そうでないかもしれない。神様だって沢山いるし」
「沢山? 神が?」
「ああ。一つの神しか信じてないって人もいるけど、多数の神様がいてもOKって人もいる。日本なんて、神様が多すぎて大変なことになってるし」
唯一神からトイレの神様まで。日本における信仰はとても幅広い。
ちなみに彼は、神の存在を否定はしないけど別に信仰もしていない、けど困った時には神頼み派だ。
「どうしましょう、ますますしっくりきません。何だか、壮大な悪戯を仕掛けられているような気がします」
「悪戯って。そんなことする奴なんていないだろ?」
「妖精ならやりかねません」
「パないな、妖精」
世界を作ったかと思えば、人一人に壮大な悪戯を仕掛けてみたりする。
ずいぶんと、困った存在らしい、あちらの妖精とやらは。
「私からしてみれば、あっさりと納得出来る神様の方が変ですよ」
「まー、異世界っていうものの下地が出来てる……からかなあ?」
「下地って?」
「小説とか、漫画とか、アニメとか。こっちの人間が異世界に行ったり、逆に向こうから来たりとか。そういうお話が流行ってるんだよ」
そもそも、どこからかやってきた英雄が試練を経て貴い存在になるという物語は、遙か昔から存在する。それこそ、古典や神話の時代から。貴種流離譚と呼ばれる系統の物語がそれだ。異世界召喚や転移転生といったお話も、とても大雑把に、こだわる人からは怒られてしまうほど大雑把に言ってしまうなら、この系統の変化系と言えるだろう。
なので、少なくとも日本人でこの状況を受け入れられないという人間は少ないのではないだろうか。けれど、イーラは違ったよう。
「小説? 漫画とかアニメ? それって何ですか?」
そうか、そこからか。
異世界だもんなー。話を聞く限り、定番の中世風って感じだもんなー。紙とか高価だし、そもそも字を読める人間が少なかったりするんだろうなー。まして、アニメとかわかるはずもない。
しみじみと納得する神青年だったけれど。ふと、悪戯心がわき上がる。これ、アニメみせてみたら、どういう反応するんだ?
思い立ってしまったならば、試してみざるを得ないもの。彼は鏡をパソコンの前まで移動すると、おもむろにとあるページを開いてみせた。
「あの? 神様?」
「ちょっとまってなー。今、わかりやすいの見せてやるから」
アニメのDVDなどはもっていないけど、ネット経由で配信されている作品なら山ほどある。世界最大の雑貨屋の有料アカウントを持っているので、そのおまけで無料で見れるものだってある。
たしか、こんなタイトルだったような……あった、これだこれ。少し前に放送していた、主人公の少年が勇者として異世界に召喚されるという定番の内容の作品。奇をてらっていないし、お色気シーンなんかもなかったはず。これなら見せても大丈夫だろう。
鏡をモニターへと向けて、クリックっと。
「……何です? ……何ですかこれっ!!」
おお、イーラのテンションが上がってきた様子。
「動いてるっ! 絵が動いてるんですけどっ! しゃべってるんですけどっ!! 魂取られませんか大丈夫なんですか神様ぁっ!!」
うむ。良い反応である。
鏡はモニターの方を向いてしまっているので、彼女の様子を見れないのが悔やまれる。だが、良い感じに狼狽しているようだ。
「えっ? この人、酷くないですか? 勝手に呼びつけておいて、思い通りにならないと怒るとか。でもいますよね-、こういう人」
ん?
何だかイーラの反応が、最初と変わってきているような。
「きゃあああっ! ちょっとっ! 怪我っ! 怪我しちゃってますけどっ! 大丈夫? 治せる? だったら早くっ! 早くうううっ!!」
お、おぅ。何だか、見入ってるな。
この間の写真の時みたいに、ちょっといじめたくなるような可愛い反応してくれると期待してたのに。何だか彼女、普通に楽しんでしまっている様子。
思惑とは違ったけれど、予想外にほっこりとできたし。まあ、これはこれでいいかと、目を細める神青年であった。
やがて物語は進んでいき、エンディングテーマが流れて次回予告まで終わって。
鑑賞会、これにて終了です。
「どう? 異世界とかそういうの、どんな感じか少しはわかった?」
鏡をモニターからまた自分へと向けてみれば、お目々をキラッキラさせてるイーラの顔がそこに。白い頬も朱に染まっていて、銀糸の髪はさらに輝いて見えるよう。うんうん、楽しんでくれたようで何より。
そしてイーラは、その瞳をキラキラさせたままに答えを返す。握りしめた両手を胸の前に、こぶしを振るようにして、勢いよく答えを返す。
「わかりませんっ!」
……はい?
予想外の反応に、首を傾げる神青年。
「ぜんっぜん、わかりませんっ!!」
あの、イーラさん?
続けての力強い断言にさらに首が傾き、そのまま固まる神青年。
「だってお話、まだ途中じゃないですか。次回予告って言ってましたよ? 次があるってことですよね? だから……」
そして困惑という名の彫像となった神青年を尻目に、イーラは言った。
今日一番の笑顔と声量で、言い切った。
「だから、次も見ましょうっ! 最後まで見てみないと、きっとわかりませんっ!」
数瞬の沈黙の後。彼の口から意図せずに漏れ出す、ぷっという小さな笑い。それは彼自身にも止められないまま、どんどん大きなものとなっていって。やがて、お腹を抱えるようにして大笑い。
こんなのも、悪くない。美女と二人、アニメを見ながら晩酌でもするとしましょうか。彼は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、グビリと一口。あー、何だか今日のビールは一段と美味い。
「よし。んじゃ、続きを見よっか」
「はいっ!」
そして世界の壁を隔てた鑑賞会は、もう一本だけ、もう一本だけというイーラの可愛らしいお願いによってどんどんと延長されていって。結局、ワンクール13話の全てを見終わるまで、続けられることになったのだった。
尚、翌日のことであるが。
幸せそうにクカーっと寝こけたまま、起床の時間を大幅に過ぎてもベッドから出てこないイーラに対し、メイドのアンナによる強制執行が行われて。
楽園から追放された彼女は、角の生えた乳姉妹より、滾々と続く説教を受ける羽目になったとさ。




