3話 カメラ
今日のイーラは少しだけ、機嫌の程がよろしくない。
それというのも、神様がなかなかお姿をあらわしてくださらないので。
鏡を繋ぐのは夜にしてくれ、神様は昨日そうおっしゃった。なので日が沈んでからすぐに、半日分の魔力をつぎ込んで鏡を映し、そのままずっと待っていたのだけれど。でも、神様はおいでにならない。
食事の時間が過ぎ去っても、鏡の様子に変化はない。イーラのお腹がくうっと可愛らしい音を立てても、映らない。昨日、机の上に伏せられてから、ずっとそのままなのだろうか。
薄暗い部屋の中で一人、じっとしていると。ついつい、色々なことを考えてしまう。昨日のあの方は、本当に神様で間違いないのだろうか、とか。いきなり目の前で着替え始められてしまったため、裸を見てしまったじゃないの、とか。
あと、王国の人は色白の肌の人が多いけど、神様はもう少し肌の色が濃いのね、とか。大丈夫よね、裸とはいっても上半身だけなんだし、とか。肌を見られたら責任を取ってもらうという風習のある地域があるけど、神様の所は大丈夫かしら? 私、神様の花嫁とか言われちゃったらどうしましょう、とか。
色々と考えているうちにだんだんと、朱色に染まりはじめるイーラの顔。その色はどんどんと濃くなっていって。赤くなった範囲もますます広がっていって。
やがてイーラは、たおやかな白かったはずの手で頭を抱えて。あがーとひとつ、良くわからない叫びなどを上げ始めた。
大丈夫、何の問題もない。
あの方は神様なのであって、人間の男性とは違うのだから。だから、気にしなくても大丈夫。裸はしっかり見ちゃったけれど、目隠していた指の間からついつい見てしまったけれど。一切合切、問題なんて無いったら無い。
ぶつぶつと呟くイーラの声が、部屋の中に溶けていく。
雲一つ無い夜空に、煌々と輝く月。その光が、妖精族を由来とするイーラの美貌と、神器たる鏡をほのかに照らし出していて。その光景はまるで、完成された一枚の絵であるかのように幻想的なもの。
けれど、頭を抱えて顔を赤く染めて、あーとかうーとかいう奇妙な呻き声を上げるイーラのせいで、神秘性とかは旅に出てしまっているけれど。台無しである。
と、そのとき。
唐突に、一人の男性の顔が鏡に映し出された。間違いない、昨日の神様だ。イーラの心臓がどきんと大きく跳ねあがる。
寝かせていた鏡をおこしたのであろう、手がすいっと伸ばされていて、まるでこちらの鏡の縁を掴んでいるかのよう。
そして彼は厳かに、こう告げたのだ。
「クイズ、ストーカーさんに聞きました。どうしてあんたは、俺のことを覗いたりするのでしょーか?」
神様の言葉とは奥深く、そして難解だ。それをイーラは知ることになった。投げかけられる問いに対して、どう答えればいいのかわからない。っていうかそもそも、ストーカーって何? 信者のこと?
もう少し、自分にもわかりやすい言葉を使ってくださると嬉しいのだけれど。意識的な行動の外側で、口の先が尖ってしまう。
そのままゆっくりと、心臓が百回くらい鼓動を打つだけの時間が、無言のままに流れ去る。
イーラは動けない。どう答えればいいのかがわからない。
神様も動かない。その深慮はわからないけれど、じっとこちらを見据えたまま微動だに……あれ? よく見ると、耳が赤い。視線が合うと、目をそらされた。
「……ごめん」
なんか、謝られた。
神様も、照れたりするのねー。社交界で失言をしてしまった時の誰かを思い出しながら、そんなことを考えるイーラだった。
さて、気を取り直して。
遅くなって済まないと、ありがたくも神様より謝罪のお言葉をいただいた。仕事が終わらなかったのだという。
イーラの世界では基本的に、日が落ちたら一日の終わりだ。だというのに、朝の早くからこんな時間になるまでずっと仕事だなんて。神様の仕事の具体的な内容はわからないけど、やはりとても大変なのだろう。
あまり体を鍛えているようには見えなかったから、お城の文官的な感じなのかしら。昨日見た裸を思いだしながらそう考えて。そしてイヤンイヤンと頭を抱えて振るイーラ。
「……あの?」
「申し訳ございません、どうかお気になさらずに」
どうしよう。何故だか、話が進む気がしない。というか、始まってすらいない。
でもこのままじゃあ、何も始まらない終わらない。青年は一つ大きく息を吐くと、これまでのあれこれを全て無かったことにすると決めた。自分は変な発言なんてしていないし、この子も壊れた動きなんて見せていない。いいね?
「あー、えっと。とりあえず何だっけ。あんたは、魔法の鏡でこっちを覗いている……んだっけ?」
「あっ、はい。鏡を扱うには血が重要なので、私の一族がその役割を担っております」
神様の配慮を悟ったイーラも、それに乗っかることにした。先程の醜態は、箱に詰めて廃棄だ。さようなら、黒歴史。
そしてイーラは一生懸命にキリリとした顔を作ると、自分の使命について語り始めた。
グーゴル家は、王国に属する伯爵家であること。王国には妖精から賜った鏡が伝わっており、グーゴル家はそれを管理して神との対話を試みる一族であること。そして現在の巫女が自分であること。
神様からも色々と質問され、適宜それに答えていった。世界の成り立ちとか、妖精とは何かとか、神様は知っているはずでは? という質問も多々あったけれど、問われるがままに答えていった。
やがて、自分の中で何らかの答えが出たらしい神様。先程のものとは違う、はっきりと溜め息をひとつ。
「……何となく、わかった。わかりたくなかったけど、わかった。信じがたいけど、状況証拠はそれが正解だと言っている」
あれだろ? いわゆるその、異世界とか。そんな感じの。
あんまりサブカルチャーには詳しくない自分だけれど、そういうジャンルの小説やらアニメやらが存在することくらいは知っている。
あれかー。ああいうのってもしかして、一部は実体験だったりするのかー。
……でも。何で、俺の所に繋がったんだ?
「えっと、イーラさん。その鏡は、神様の所にしか繋がらないんだっけ?」
「……いえ。実はこれまで、何処にも繋がったことはありません。今回が、初めてです」
ということは、だ。
「多分、イレギュラーだ。間違い電話的な感じの。俺、神様なんかじゃないよ」
「……そう、なのですか?」
いや、本当のことを言ってしまうと。うっすらと、そうなんじゃないかなーって考えてたんだけど、イーラ自身も。いくらなんでも神様にしては、色々と何があれよねーって、思ってたんだけど。
果たせるはずのないお役目を果たしてしまったのだと、得意のあまりにその辺りには目を向けないようにしていたのだけれど。でもやっぱり、ただの人間よね、この人。
随分と生活の様式が王国とは違いそうなので、帝国の人?
「改めて。俺は神勇生、日本人だ」
日本。イーラが脳を高速で回転させるけれど、そういう名前の国には聞き覚えがない。
この大陸は、大きく分けて西側を王国が、東側を帝国が支配している。かつては覇権を巡って争った両大国だけれど、現在は同盟国として良好な関係を築いている。その、帝国の更に東側。そこには比較的小さな国がいくつかあるそうだ。日本とは、その辺りにある国なのかもしれない。それともあるいは更にもっと東、海に浮かぶ職人と商人の国があるというから、そこかしら?
「それで、何で俺の所に繋がったかなんだけど。……やっぱり、この鏡のせいかなぁ」
神様改め神青年は、そう呟いて自室の鏡に手を伸ばす。イーラの側からは見えないけれど、それは随分と古めかしい、金属製の卓上鏡だった。
引っ越ししたのはいいんですけど、新しい部屋には洗面台にすら鏡が付いてないんですよ。不便で困ると、会社でそうぼやいてみたなら。課長が、うちに使ってない鏡があるからやるよって。それでくれたのがこの鏡。
高そうだし、一度は遠慮したのだけれど。自分ももらい物だし、どうせほこりをかぶってるだけだからと、押し切られた。そしてその数日後、鏡に謎の美女が映ったわけだ。
ちなみに、改めて今日、何か由来があったりするのかと聞いてみたのだが。よく知らないとのこと。元々の持ち主に聞いてみようにも、遠い外国にいるそうで連絡は取れないとか。
そんなものを押しつけるなと、声を大にして言ってやりたいけど言えなかった神である。
そうだ、イーラに聞いてみよう。
そう思い立った神は、傍らに置いておいたスマホを手に取り、鏡に向ける。
「ちゃんと映るかな?」
カシャリ。写真を一枚。
確認してみれば、スマホの画面には鏡と、そこに映し出されたイーラの顔。うん、ちゃんと映ってる。幽霊じゃない。
「イーラさん、うちの鏡はこんなのなんだけど、何か心当たりとかないかな?」
そう言って画面を彼女に見せてみたなら。イーラは、口をあんぐりと開けて固まってしまった。
「……なんですか、それ?」
あー、そっか。カメラなんて無い世界か。
さて、どう説明したものか。
「あー。この鏡に映った風景を、絵にして残す機械……かな」
その説明を聞いたイーラは何処かぎこちなく、口元を引きつらせながら更に質問。
「あの、それって……危険とかは?」
「危険って?」
「その、何か吸い取られたり、とか。魔力とか、もっと困るものとか……」
「魂とか?」
「そうっ! それですっ! その鏡に魂を封じられてたりしませんか、私っ!!」
なんか、すっごい取り乱してる。
どうしよう、少し面白い。
「この機会が出回り始めた頃の昔、同じように魂を封じられた者達が……」
「返してっ! 私の魂返してえっ! お願いですから神様っ!」
どうしよう、めっちゃ動揺してる。どうしよう、すごく楽しい。
イーラの嘆きをBGMに、神は手早くデータをパソコンへと移動させ、イーラの写真をプリントアウト。
「神様っ!? それ何ですかっ!? 今度は紙に封じられたんですか私っ!? ちょっと、どうなっちゃうの私ってばっ!?」
そして神は、めっちゃ楽しそうに悪い笑みを浮かべて。手にした写真を、端っこから少しづつ、ビリビリと……。
「ちょっとっ! それダメっ! 何か絶対ダメですってっ!! 神様あっ! かーみーさーまあああああっ!!」
あ。
泣いちゃった。まずい、やり過ぎた。
「ごめんごめん、大丈夫だって。魂も、魔力とかも吸われたりなんてしてないから」
「……本当ですか?」
「本当だって。神様に誓ってもいいよ?」
恐怖の涙から、安堵の涙へ。だばーっとした勢いで目から雫を垂れ流していたイーラだったけれど。その眦が、キリリと上がっていく。
もしかして私、からかわれた? オモチャにされた? もてあそばれた?
そして、淑女が絶対にしてはいけない顔をして。むしろその視線の方が魂をどうにかできそうだ、神にそんな印象すらをも抱かせる目をして。
「神様のっ! 馬鹿あああああっ!!」
まさに、魂の叫び。
それとともに、鏡の繋がりが断ち切られたのだった。
「……まずった。やり過ぎた」
とりあえず。多分、また繋いでくるだろ、あの感じだと。その時、謝ろう。ポリポリと、困ったように頭を掻いていた神は、そう結論を出すと。
手にしていた写真を、自室の鏡にぺたりとテープで貼り付けるのだった。写真の面を、向こう側に向けて。
どうやらあんまり、反省してなさそうな神であった。
翌日、怒りよりも好奇心の方が勝ってしまったイーラが、またしても神の部屋へと鏡をつなげた時。
妖精の鏡が絵を映し出したとたんに目に飛び込んできた、ぽかんと不思議そうな顔をしている自分の写真を見て。再び、イーラの怒声が響き渡るのであった。




