ボクな私と、ワタシな僕
その日、そこを歩いたのは偶然だった。
家から結構遠い河の土手。普段の散歩コースからはかなり外れている。けれど通ったのは河向こうの全国展開してる古本屋に行くためと、最近運動不足から温かくなってきた気候に歩こうと思いたったからだ。
夕暮れをのんびりと歩く。両親が帰って来るのは夜遅くなってからだから、途中でどっかで夕食も食べて帰ろう。
などと考えながらのんびり歩いていると、視界の端に土手の正方形が並んだコンクリートの上に座る影が見えた。温かくなって来たとはいえ、まだ長袖を着る程度には寒い中蹲っている影は何となく不審なものに思える。
変な人だったら怖いから、と少しだけ距離を取る様に道の端側に寄って歩く。
近づいて行くと、段々僕の視線はその影に捕らわれて行った。
風が吹けばきっとふわりとなびくだろうレース。繊細な飾りとリボンが沢山ついた可愛いドレス。頭に被るぺしゃりと潰れた帽子にも可愛いアクセサリーが付いていた。
「可愛い……」
ポツリと零れる。
正直に言おう、僕は可愛い物が大好きだ。漫画や小説も少年向けよりも少女向けが好きだ。汗水よりもキラキラフワフワが大好きだ。出来れば見るだけじゃなく自分が着たい。
両親の良いところを上手く受け継いだ僕は、周囲の友人たちよりも小柄でしかも肩幅が狭くなで肩、顔も素で女の子と間違われる程度には女顔だ。
今は既に家を出て行った、歳が一番近くて十二離れた姉たちに囲まれて、彼女たちの着せ替え人形として育った僕は小さい頃からよく女の子の格好をしていた。姉たちも僕を着飾るのが好きだったらしく、アルバムを見れば大抵がドレスやワンピースを着ていた。
僕が小学校に上がる頃になって、急に男の子なんだから男の子らしい恰好をしなさいと言われて酷く戸惑ったのを覚えている。
一度だけドレスで学校に行ったら、クラス中から笑われて以降人前で女の子の格好はしなくなった。特にその頃親友だと思っていた奴に、酷く貶されたのは今でも心の傷だ。また家でも姉や両親が煩く言うようになったから着なくなった。
でも時折、ネットの波に乗ってはいいなぁ、と見ている。
この田舎町では中々見ることの無い、フリルタップリの服。
「いいなぁ……」
ついつい近づいていた。膝を抱え顔を埋めている様子なので、きっと気づかれないだろうとじっくり観察できる位置へと近づく。
そしてふと、具合がわるいのかも、という事が頭に浮かんだ。決して近づく口実を考えていて浮かんだわけではない。
「あの、具合悪いんですか? 人呼びますか?」
「やめろっ!!」
聞こえたのは予想していた女子の声よりも随分と低かった。
上がった顔を見て驚いた……、似合って無い……。ジッと見て判断出来ず、少しだけ視線を下げる。
喉の突起がない事を確認して、しかし年齢的にまだ出てない可能性もあると首を傾げる。
「えと、……」
「言っとくけど、女だから」
「あ、はい。すみません」
思わず謝ってしまった。そう、このフリフリの服を来た女の子、顔を見るとどう見ても男の子にしか見えない。
いや、化粧をしたりすれば変わるとは思うのだけれど……。
「うああ、もうやだぁ……」
そう言って頭を抱える彼女の頭から、帽子が落ちる。そして焦げ茶というよりは黒が多く、黒というには茶色が強い短めの髪が見える。
女の子にしては随分短い髪型に見覚えがある事に気づいた。
「高橋さん?」
「げ、知り合い?」
碌に僕の顔も見ていなかったのだろう、顔を上げた彼女は僕をマジマジと見て頷いた。
「ああ、森本……、てクラスメイトかよ」
呻くように言う彼女に、僕は肩を竦めた。
「どうしたの、そんな可愛い格好して」
「似合わないだろ」
「似合わないね。せめてお化粧くらいしなよ」
「ウルサイ。苦手なんだよ、顔に膜張ったみたいで」
「まあ、僕らの年頃だとまだしない方が良いらしいけどね。でもケアはした方が良いって言うよ」
何となく隣に並んで座りながら声をかける。
「何だよ、笑えよ」
「何で? 面白くも無いのに笑わないよ。それより、その服可愛いね。良いなぁ」
別に好きな事まで隠すつもりも無いので言うと、キョトリと高橋さんが瞬いた。
「え、こういうの好きなの?」
「出来れば着たい位。でも男の子だからダメって言われる」
肩を竦めて言う。羨ましくてついそこまで言ってしまった。
「私とか出来れば、男物の服の方が着たいけどね。お母さんや隣に住む叔母さんたちがこういうの好きで無理に着させるんだ。着ないと小遣いくれないし」
「それは、僕たちの年頃には逆らえないね……」
ため息を零す。夕陽が沈んで来て、だんだんと暗くなってくるなかお互いの事情や、思いを話していく。
「なぁ……、コレ、着るか?」
「いいの?」
「ああ。つか、その代り森本の服貸してよ。脱ぎたい」
「いいよ。あ、僕の家に行こうか」
そんな会話で僕の家に彼女が来るようになった。彼女はフリフリの服を着せられると、僕の部屋に逃げて来て僕は服を貸す代わりに彼女の服を着る。
それで一緒に外に出かけるようになったのは三度目からだったかな?
駅前のショッピングモールで、お互いの服を見立てる。
「森本って服のセンス良いよね」
「そう? 高橋さんの色選びも凄いと思うけど。ワタシこっちとこっちの色の違い分からない」
「え、結構違うけどな。森本にはこっちの方が似合うな」
「ありがと」
レースのついた服に思わず笑みが浮かぶ。少しだけお化粧してる。それで高橋さんにも少しだけより男の子に見えるように頬に影入れたりして上げてる。
それだけで僕たちの性別を本来のものに見抜ける人はいなくなった。
「楽しいね」
「そうだな。こういったのでも、森本に見立てるっていうのは楽しいな」
「ワタシも、こうして高橋さんに見立てるの楽しい」
ただのシンプルなタンクトップも、高橋さんが着ると途端に格好良く見える。
こうしてお互いに着せたい服を見立てるようになった関係は、中学を出ても続き同じ高校に進み、同じ大学に進んでも続いた。
お互いに予定を調整して、服を送り合うようになったのは何時からだろう。
彼女の見立ては完ぺきでいつも僕を喜ばせてくれる。
生憎と成長期が来てしまい僕の身長が男子の平均身長に一センチ足りない位まで伸びてしまった。けれど彼女はそんな僕にも合う服を選んでくれる。
僕よりも西瓜一玉分位身長が伸びた彼女にも、僕は似合う服を選べる自身がある。
「最近胸部装甲が邪魔で仕方ない……」
着替えて来た彼女が少しだけきつそうに胸元をいじる。和装ブラで抑えていると言っていたけれど、こうしてみれば違和感はない。
「抑えつけてると形崩れるってよ」
「ううん、勝手にでかくなるんだよね。お母さんもお姉ちゃんも大きいから、遺伝なのかな? いらないなぁ」
「そう? 僕はあっても良いと思うけど」
「邪魔じゃない?」
僕のパッドで少し膨らませた胸を指さす。
「ふふ、この服の形を綺麗に出すにはこの大きさがジャストだと思う」
彼女の選んでくれた服を着てくるりと回る。
「ん、可愛い」
ニコリと笑う彼女は格好いい。けど……可愛い。
知らないんだろうな、僕が結構前から彼女を狙っている事なんて。だからそんなに無防備でいられるんだ。
「ねぇ、この間の講義でさ隣にいた男誰?」
「この間?」
「歴史民俗学の講義」
「ああ、山下? あいつさぁ、すげぇ恰好良い時計しててさ。値段聞いたらさあり得ない値段なの。何で稼いでるか聞いたら、貢いで貰ったとか自慢しててさ、もう最悪」
顔を顰めてもう話しかけないと言うのに、少しだけホッとする。
彼女は気づいていない。最近、男の服を着てもその細い腰や長い脚が醸し出す色気に。
周囲もきっと彼女の魅力に気づいているだろう。
だから、最近僕はすこしだけ焦っている。
「こうしてボクの服を選んでくれる為に、バイト頑張ってくれるアユの方が私はずっと好きだな」
アユというのは歩という僕の名前から来た呼称だ。
無邪気に笑う彼女に、僕はついその腕を引く。
体格も身長も彼女が上だし、格好良さなんて足元に及ばないけれど、それでも僕は男だ。
「わ、えっ?」
慌てる彼女をベッドに狙って座らせ僕はその膝を跨いで座る。
「え、アユ?」
スカートがめくれて膝や太ももが見えちゃってるけど、気にしない。元よりタカ――彼女の名前は隆子だからこう呼んでる――に見られても今さらだ。ミニスカートとか良く履くしね。
僕は彼女に膝の上から、彼女の両頬を両手で挟むようにして顔を覗き込む。
「ねぇ、タカ。あんまり無防備に他の男に近づかないでよ」
「え、いや。でも、殆ど私を女だって気づいてないよ」
「僕の精神衛生上の為にもさ。でないと我慢できなくなる」
「え、あの……」
「タカ、あのさ。僕、君の事が好きなんだ。ずっと前から」
「は、え? あ、いや……」
彼女の凛々しい眉が困ったように下がって、目尻が赤くなる。
「こんなワタシじゃ気持ち悪い?」
眉を下げて首を傾げて上目遣いに見る。
途端もっと彼女の顔が赤くなる。
「ぜ、全然。可愛い。……えと、その」
煮え切らない彼女に身を寄せて、そのまま彼女を押し倒す。彼女の顔の両脇に肘を突いて見下ろす。
今日は長い髪のかつらを着けているから、髪が檻のようにサイドに零れた。
薄暗くなった中で、彼女の潤んだ瞳が煌く。
「ね、ワタシの事好き?」
「大好き」
そっと尋ねると僕を見上げたまま彼女がポツリと言う。
僕は頬に手を添えて、ゆっくりと嬉しい事を言ってくれた唇を親指でなぞった。
「じゃあ、僕の事は?」
「っ…………」
耳まで真っ赤になった彼女が顔を隠そうとするから、とっさに片手でまとめて頭の上に拘束する。
「ね、聞かせて」
例え男っぽくても彼女は女性だ。よくよく見れば骨格が違う。そして僕も、どうしたって男でよく見れば手だって節がある。
こうして抑えつけることだって可能だ。
「―――ぃ」
こんな至近距離に居るのに、あまりに小さく呟かれた彼女の声は僕の耳に届かなかった。
「え?」
「もっと好きぃ」
問いかけると彼女の目に膜が張る。
「わ、私だってこんなボクだけどい、良いの?」
詰まりながらの問いかけがいじらしくて、僕は微笑む。
「そんな君が大好きなんだ」
そうして僕は距離を更に縮めて、唇を重ねる。
何度も重ねて、話したところで息の上がった彼女が、僕の口紅が移った唇で言う。
「あの、アユ……当たってるんだけど」
「男だからね。このまま良い?」
「えっと……」
視線を泳がせる彼女を逃がさないと、僕はさらに体重を掛けて彼女を腕の中に閉じ込めた。