甘えたい
もう少し甘えたいという心境に香はなった。
英一は不調で、会えないし。香はメールを英一に送ろうとしてやめた。英一は、消極的であった。
お付き合いを始めてから、会いたいとか、メールでのやりとりとか、ほぼ全て香からはじまる。香は自分が関心を持たれていないと感じたりした。今では、英一は恥ずかしがりなのだと分かってはいる。
自分を好きではないとか、関心がないとか、そう言うわけでは無いらしい。だけれど、香から言い出さなければ何もしない英一は香は嫌だった。
甘えればいいんだよね。
香はメールを送ったまま、眠った。一言、会いたいとだけ送る。起きたときに返事はなかった。
このやろう。
作業しようとテーブルに向かう。描いている絵を整理して冊子にする。自分が見やすくする。
頭が働かない。
乳房にぐっと触れてみる。かすかに重い。堅くて痛い。月経の準備に身体が入ったのだろう。ホルモンバランスが変わった。
「はあ」
こうなると、安定して作業ができなくなる。だからではないが、ここ数日は熱中して創作していた。
精神病じゃなかったら、アートをしていなかったかも知れない。それでいい。わたしは、精神病者でアーティストなんだ。精神病が創作の動機なんだ。
英一のことは、香にとって癒しでもあり、悩みでもあった。そして英一のことで成長することも、香にとって怖いのである。
変化することが怖い。まるで思春期のことのようだが、思春期の頃はむしろ、香は進んで変化したがった。早く大人になりたかった。でも大人になったのは身体だけだった。
本当にアートしていると言えるのは、世界の視野で世界を分析し、自分を分析し、自分の国と世界に自分を織り込むこと、作品で自分を表し世界全体に参加することなのである。つまり、大人でないとむしろアートは行えない。でも日本は違う。
日本のアートは、究極のオリジナリティを目指すことであり、子供の感性こそが尊ばれる。パトロンや顧客から離れ、とにかく作りまくるのが日本のアートなのだ。
そんなのは嫌だと、アートは商品であり売れないと嫌だと香は思っていた。作りまくっていても、世界のルールに則っていなければ売れない。でも日本らしく、日本の人に見てもらいたい。
藤田嗣治、村上隆、村上隆の弟子たちのように、なりたいようななりたくないような。売れさえすれば、外国受けでも良いと思っていたが、やっぱり日本人という意識がある。島国意識というか。
ああ、面倒くさい。意識が切り替わらないかなあ。英一。電話したろうか。
でも以前に着信を入れて、話題が浮かばず、謝って着信を切ったのだった。
男の人は恋人と会っていないとき、恋人のことは考えないらしいが。香は会っていないときの英一のことを考える。
あーあ。
もう寝よう。わたし、女の人っぽくなっているんだな。
万年床に横になって、えっちな画像を検索する。いつのまにか眠っていた。