伝染
伝染された。うつされたと気が付くのはもっと前なのだが。英一は北野武の映画を思い出し、その男を店外に引きずり出し裏の路地で死ぬほどど突く想像をした。北野武の映画に出てくるヤクザ者のように。
なんだ。
その男は何度か英一をその店で見かけて知っていた。英一は楽しそうにうろうろと店の中を歩き回り、商品を吟味する。時間に縛られずに好きにしているその姿に殺意が沸いたことすらある。障害者だからって。男は英一の現れる時間帯や、時に親と現れるのから察して障害者だろうと見当を付けていた。
英一が商品を見ていた棚から離れようと身体を振り向かせたとき、後ろを通ろうとした男にぶつかってしまった。
「あ、すいません。」
すぐに、英一は謝る。男は黙って、顔すら英一に向けずにさっさと歩いていった。
英一は呆然とした。舌打ちも、おいふざけるなと声を出すことも、思いつかなかった。こういう目に遭ったことがほとんどない。
謝れば、いいえ、いいですよ、くらいは帰ってくる。それが普通なのである。英一にしたら。
サラリーマン同士が、肩と肩がぶつかった末に殺し合いになる。その心境が英一には少し分かったような気がした。恐らく、一人はすぐに謝るがもう一人は無言で立ち去ったのだろう。
「おい、まてよ。こっちは謝っただろう。無視するのか、侮辱するのか貴様っ」
侮辱。
英一は分析する。あの男は、一部の隙のないようなワントーンの服装。俺は悪くないを顔に書いたように居直った、少し反った姿勢で歩いていた。格好を付けているが、どこか滑稽で内面に苛立ちや不満をため込んでいるのが、全体にもっさりとした雰囲気をしているため漂ってくるようだった。
誰にでも、謝られたら無視するかと言えばそうではなくて、自分の中だけにあるランキング付けで上位に来る人間には謝り返す。卑屈なタイプだろう。
つまり男にとって英一はランキング下位ではあるが、時間に余裕を持って暮らしていると言うのが、男だけのルールでは上位者の特権であるはずなので、気に入らないわけだったのだ。
これは男にとっては無意識での行動だったかも知れない。だが英一には分かった。
下らない。どうでも良い人間の苛々を伝染された。
殺してやる。とまで思わざるを得なかった。どこかで交通事故にでも遭って死ねばいいのにと家に着いてから口に出した。
相手を良く見て常識が備わっているかを見極めてから謝らないと嫌な思いをする。勘違いをしている人間のせいで。
お辞儀をしたら、お辞儀を仕返す文化のこの国で。謝られたら返事をしない奴は日本人国籍に在籍しているんじゃねえ。日本から出て行け。
英一はこれに関することをメモ書きしておいて、まとまってきたら掌握編を書こうと思った。
それにしても、しばらくはその店に遊びに行けないな。もしかしてそれが目的か。俺が店にいるのが嫌だから嫌がらせをしたんだ。陰湿な想像ににやける英一。
まあ、だとしたら絶対に店には通うけどね。今日と同じ時間、同じ滞在時間で。消えるならお前だよと、と殺意を滲ませる英一。
俺はいくらヤバい奴だと思われようと、言われようと、構わないんだよ。有名人でもないし。困ると思うなら、それは自意識過剰かまだ思春期なんだろうよ。
障害者のだれもが健常者に対して卑屈にへつらうと思っているなよ。それか、常識のない奴なんだろう。日本人国籍ではあるが、似非日本人という奴だ。
それから英一はでかける度にその店にも寄ったが、そいつと遭遇することはなかった。英一は気が付いていなかったが、謝られても言葉を返さないその男は、店の店員なのであった。店員の方では客を覚えているものである。
以前、英一は商品について店員に指摘したことがあった。ラベルの貼り間違いを直してもらって買ったのだが。その時に、店員の言い訳を聞かなかったのである。いいですと打ち切った。
英一は言い訳が嫌いだ。間違ったなら直せばいい。それで気にしない。ああだったから、こうだったからと言う店の事情を、聞く謂われは英一にはなかったのだ。
思い出したとき、英一はやるせない気分で吐き気を催した。
しょうも無いことに巻き込まれた。俺のことを勘違いしやがって。言い訳を聞いてくれそうに見えたか。 英一は男の傲慢さに嫌気がさして、心の中で男を断ち切った。
人の言い訳を聞くべきと言う押しつけ。謝られたら言葉を返すべきと言う押しつけ。
いや分かるけどね。と英一は思う。俺はやっぱり他人の言い訳は好かないし、謝られたら一言いいですよと返されないと嫌だね。