覚醒前
とある居酒屋。外は既に日が落ちており、仕事終わりの者たちが酒を欲する。
店内にばらばらに配置された円卓は酒や食事で埋まっており、それを囲む椅子には酒好きの者たちで埋まっている。その中でも、ひときわ目立つ円卓があった。
円卓は他の席同様に埋まっているのだが、その内容に異常さがあった。
琥珀色の透き通った蜂蜜が垂れる、ホットケーキ。ココアパウダーがまんべんなく降られたチョコケーキ。原型はなくしているが、元は綺麗な二等辺三角であったイチゴの乗ったショートケーキの角が削られ、歪な六角形になっている。そのほかにもデザートやらで卓上がやたらカラフルになっている。
まさかそれで酒を飲んでいるなんてことはなく、その円卓の青年は果汁100%で人気のオレンジジュースを先程から何度も注文している。
しかし店内はそれを常であるかのように気にも留めない。
青年は何色にも染まらない純白の髪を耳が隠れるほどまで伸ばしており、それを含めるとなおさら気に留めるはずであるが、やはり常連客達は全く気にしていない。
この青年――センカ・バクルアも当然ながらこの居酒屋の常連客の一人であり、“いつもの”と言えばこのデザート群とオレンジジュースがどんどん運ばれてくる。
この居酒屋の店主は中年の男で、当然こんなデザートなどはメニューにも含んでおらず作れるすべもない。しかし、店主の20代半ばの一人娘が5年前から菓子作りに没頭しだしたのがきっかけで、センカはその一人娘にデザートの注文をするようになったのだ。
始めは、味見役として無理やり食べさせられていたのだが、だんだんセンカ自身もデザートにはまっていき、現在では週に4回は通う有様である。
糖分取りすぎなのではないかと心配の声がよく上がるのだが、太る気配もなく、いたって健康体である。
週に4回通っているうち一度も居酒屋らしい注文はしない。
センカは酒が大嫌いなのである。
1年前、二十歳になったばかりのセンカに店主が酒を進めてきた。
大してアルコール濃度が高いわけでもなかったが、一口飲んだだけで一瞬で酔いが回り、気を失った。
それ以来、センカは酒を絶対に飲まないようにしている。
「おい、センカよぉ~。たまには、一緒に飲もうぜ? なっ?」
「断る!」
隣の円卓の客の一人が酒を進めてくるが、センカは横目で受け流し、断固として飲む気はないようである。
いつも、その客はセンカを心配して酒やまともな料理を進めてくるのだが、センカもいつも断っている。そんな酒臭い料理は食べる気がしない。
その点デザートは、その臭いですら甘ったるい匂いがかき消してくれる。
「おい、クアラ。オレンジおかわり」
そのセンカの注文を待っていたかのように、すぐに厨房の入り口から、クアラと呼ばれた店主の娘がオレンジジュースをトレーに乗せて運んでくる。
しかし、そのオレンジジュースがセンカに届けられることはなかった。
「ちょっと待った―!!」
クアラをせき止めるようにしてセンカの円卓に立ちはだかる女性がいた。
「おい、確かに俺はオレンジを注文したが、お前のことではないぞ?」
「わかっとるわー!」
そう言って円卓を激しくたたく女性。衝撃でグラスが倒れるがすでに、中身は飲み干していたため、卓上が洪水になることはなかった。しかし、まだ手を付けていなかった、バランスよく立っていた二等辺三角形のチョコケーキが横に倒れてしまった。
「おまえ!? なんてことを! ケーキが倒れてしまったぞ」
「はあ? 別に潰れたわけじゃないでしょうが!」
「これを倒さずに食べるというのが、俺の一つの楽しみなんだよ!」
謎のこだわりを見せるセンカだが、それに対して女性は呆れた顔を見せる。
話しても意味はなさそうだ、と思ったセンカはすぐに切り替える。
「何の用だ? オレンジ」
オレンジと呼ばれる女性は、本名はミルラル・スウォーであるが、オレンジジュースと同じ色の特徴的な長髪から、センカは昔からミルラルのことをオレンジと呼んでいるのである。
「ついにできたのよ!」
そのミルラルの言葉にセンカはもちろん、隣の客たちも思わず口の中身を吹き出しそうになる。
ずっとミルラルの背後に突っ立ったままのクアラは、手で口をふさいでいる。さすがに、トレーに乗せたジュースまでは落とさなかった。
「あいつ、あの店の娘に手を出しやがったな……」
「知らねーぞ、あの店主はめちゃくちゃ怖いからな……」
「あいつ、死んだな……」
「センカさん……」
皆の凍るような目線を浴びるセンカだが、全く身に覚えがないので何とか誤解を解こうとする。
「おい皆早まるな! 俺はそんなことをする男じゃないぞ!」
「おい、冗談だよな? オレンジ?」
「本当よ! 毎日夜遅くまで頑張ってたんだから!」
ミルラルの言葉で挽回の余地はなくなってしまった。
悪あがきとして、センカはミルラルに恐る恐る確認する。
「ち、ちなみに何ができたんだ?」
「はあ? お酒に決まってるでしょ?」
ズコッ! と、皆が椅子から崩れ落ちそうになる。
((なんだよ……。結局そんなオチか……))
実は、ミルラルは酒造屋の店主の娘であり、本人も酒造を行っているのである。
そのため、やはり酒の臭いに塗れている。そのため、酒嫌いのセンカは自らミルラルには近づこうとはしない。
「信じてましたよ、センカさん!」
そういうと、クアラはミルラルの横から顔をのぞかせて、笑顔で厨房に戻る。
(おそらく、一番冷たい目線を向けていたのはクアラではなかっただろうか?)
そう思いながらも、「ありがとう」と返事する。
「で、これが例のお酒なわけよ!」
ミルラルは状況がよくわからなかったが、本来の目的を果たすため、気にせず続けた。
エッヘンと得意げに、手に持っていた極小サイズの酒樽を、オレンジジュースが置かれるはずであったスペースへ置く。結局クアラは、オレンジジュースを置くことなく戻ってしまっていた。
「そうか! じゃさっそく帰らせてもらう」
センカは酒を手に取ることなく席から立とうとするが、ミルラルがすかさずセンカの肩を上から抑え込んでくるため、立つことができない。
センカは、ミルラルの強引さには昔から抗うことができないことは知っていたため、諦めは早かった。
「まあ、最後まで話は聞きなさい」
センカが立つのをあきらめたことを感じたミルラルは、抑えるのを止め、続けて話す。
「これは、私が長年研究してきた、酔わないお酒よ!」
「酔わない? それじゃあ、ただのノンアルコールと変わらないじゃないか?」
「いえ、これはちゃんとアルコールが含まれているわ。ただし、飲んだ後アルコールが体内に吸収される前に自動分解するの」
そう説明されても、酒のことがよくわからないセンカはへぇ~としか言いようがなかった。
「じゃあ飲め」
いきなり、酒樽の栓を抜きそのままセンカの口に押し込もうとしてくるミルラル。
「大丈夫だから。店の人たちにも飲んでもらったけど、全然酔わなかったわよ!」
センカは両手で酒樽を口から遠ざけようとするが、ミルラルは立った状態から押し込んでくるため、今は座っているセンカの方が不利である。
結局、その酒樽の中身を全部飲まされることになってしまった。いくら、極小サイズといえどグラス3杯分くらいはあったであろう。
しかし、ミルラルの言ったことは正しかったらしく、酒に全く抗体がなかったセンカでも酔うことはなく、気も失わなかった。
もしかしたら、次の日起きたら二日酔いになっているかもしれない、と思ったがそんなことはなく、むしろ体調がかなり優れていた。
「まあ、酒が飲めたからと言って、どうだというのだろう……」
いくら酒を飲むことができたからと言って、酒嫌いが治るセンカではなかった。
そもそも、デザートを食べていた口に、放り込まれた酒の味は表現できないほどひどかった。
よく考えれば、ミルラルの酒以外は飲むことができない時点で、意味はなかった。
口直しというわけではないが、昨日は食事を邪魔された気がしてならず、今日行くと週5回目になる居酒屋に、センカは我慢できずに行くことにした。
「まあ、昨日の続きと考えれば、まだ4回だな」
さすがに週5回となれば、自身でも行きすぎと感じるセンカであったが、何とか自分の行動を正当化しようと一人で口ずさむ。
「でも、夜までは待てないな……」
いくら豊富なデザートを出す居酒屋でも、朝から開いているなんてことはなく、夜の開店まで待つしかなかった。そこで、センカはあることを思いつく。
「そうか! クアラに頼めば今からでも作ってくれるはずだ」
そう思うや否や、すぐに寝間着から着替え身支度をする。
革靴のひもを結び、適当な服に着替える。
センカは普段は衛兵の仕事をしており、主に城の内部の見回りをしているため、常に甲冑を身に着けているため、普段着はあまり持ち合わせていない。そのため、地味な色の服しか持っていない。そのため、適当に服を選んでも大体同じ格好になる。
剣と魔法の腕は共に達者で、スケルトンレイピアを愛用している。
スケルトンレイピアとは魔力の調節により刃物を透明にできるだけでなく、長さも調節できるマジックソードの一種である。
そんな、センカは、同じ衛兵が多く住んでいるアパートを借りている。足がはみ出ないぎりぎりのサイズのベッド。自身の武器や防具が納入された、コーティング樹脂がところどころ剥がれている、クローゼット。コンクリートの壁、床、天井。塗装などは行われておらず、上下左右むき出しの鼠色が、城の地下牢を連想させる。違うのは、鉄格子がないのと、磨硝子の窓から、日光が差し込むというところぐらいだ。それ相応に格安であるため、結構人気ではある。
アパートから2軒隣に行ったところに、クアラの居酒屋が存在するため、常連客としてはありがたい。
このアパートに住む前から居酒屋の常連客ではあったのだが、以前は城下町の外壁付近の一軒家に住んでいたため、城の近くにある居酒屋に行くのは少々厳しかった。
父が他界してからは独り身になってしまい、このアパートに住むことにした。
センカは扉を開けようとしたのだが、それよりも少し早く、扉をノックする音が鳴った。
相手からしたら、ノックしたと同時にセンカが扉を開けたことになるため、驚いてしまうかもしれないのだが、相手は表情一つ変えなかった。というよりは、その顔を覆う仮面によって素の表情は確認できなかった。
その相手は、黒いシルクハットと黒い燕尾のスーツをきており、細長の体に少し白髪交じりの短髪がハットからうかがえる。目と口に穴が開いており、両目の穴からは涙のように、小さな黒いひし形の模様が細かく、仮面の口角まで連なる。仮面を除けば、城の王に使える執事と言われても違和感はない。
センカの部屋の隣人であり、知り合いでもあり、よく話す仲でもあった。
センカの知る素性としては、名前はトーで、とあるサーカス旅団の団長ということだけだ。
「大変なことになっているみたいですよ」
と、トーはセンカと目が合うと第一にそう発した。
いきなり、そんなことを言われても、何のことかわかるわけがなくセンカは聞き返す。
「大変なことですか?」
「あなたのご友人のオレンジ髪の娘さんがつかまったそうですよ?」
「なっ!? えっ!」
まるで、隣人同士でする世間話の一部であるかのように、いたって普通に話すトー。
そのトーの話し方と内容にギャップがありすぎて、大変なことであるのに、まるで他人事のように感じてしまうセンカ。それのせいで、危機感が一瞬麻痺してしまい、内容を飲み込むのに少々時間がかかった。
「なんでも、酒造屋の店主から店員まで、全員に酒を飲まして毒殺したとかで。新種の酒を開発したといって、飲ませたみたいですよ」
「後から聞いてくるタイプの毒みたいで、今朝、娘さん以外全員もがき苦しんで全身から炎を吹きだして、死んだそうです」
「私が思うにそれはもしかしたら、毒ではなく禁酒かもしれません」
「禁酒を造ったとなるとこれは大罪ですよ。死刑は確実かもしれません」
トーは淡々と長々と自身の知っている情報を、動揺しているセンカを気にも留めず、話す。
「もういいです!」
何とか、センカは声を振り絞る。
それ以上の情報はもう必要なかった。
聞いたところで、状況が最悪だということは、全く変わることはないのだから。
もし昨日ミルラルに飲まされたものがそれだとしたら、センカもいずれ死ぬ……。
それ以前に、禁酒を造ったとなるとミルラルは確実に殺されてしまう。
「どうします?」
「いやどうって……」
口ごもるセンカ。当然である。自身の幼馴染が殺されようとしている。しかし、自身はこの国の衛兵で罪人を助けるなんてことはできない。
「殺される前に会ってあげてはいかがですか?」
その、トーの一言でセンカは行動に移すことにした。
(よし、準備は整えた)
センカは、普段着の上から甲冑を身に着け、愛用のスケルトンレイピアもベルトでしっかりと腰に装着する。
扉を開けると、まだトーが立っていた。
「会いに行くだけだというのに随分な格好ですね」
「止めないでくださいね」
「ほほほ、友人に会いに行く人を、私が邪魔する理由がどこにあるのですか?」
「確かにそうですね」
そういうと、 センカはすぐさま走り出した。
もうどうすべきかは、決まっていた。
ミルラルが殺される前に一目会うことではない。
いくら、大罪を犯したからと言って、幼馴染を見殺しにはできない。
過去の恩を……一生をかけても償えない借りを返したい。
「俺が死ぬ前に、オレンジを救い出す」
ミルラルを救い出したところで、結局は衛兵に追われることになるのだが、今はそこまで考えている暇はなかった。
「ほほほ、ようやく流れがこちら側に向いてきたようですね……」
センカを見送った後、仮面の下で秘かに笑みを浮かべる、トーであった。