最終話 ~マドガラスのムコウガワ~
雫が姿を消してもうすぐ、一か月が経つ。
あの日から歌声も聞こえなくなった。
「雫…。」
僕は毎日、教室の席で雫に教えてもらった唄を歌う。
「広がる光の波。いつか世界中を包むだろう。僕らは歩いて行くんだ。何が待っているかわからない道の先も、二人なら恐くない。」
岡崎もこの唄を覚えようと、よく僕の隣に来る。
「風間くん、歌うまいね。その唄なんて言う唄なの?」
岡崎は無邪気に聞いてくるけど、僕にも曲名はわからない。
だから僕は、“雫の唄”と呼んでいる。
雫を忘れないように、常に口ずさむ。
忘れないといけないと分かっているはずなのに。
「ねぇ、風間くん、最近何だか寂しそうな顔してるね。」
岡崎は、おずおずと遠慮気味に聞いてきた。
「そうかな…、普通だけど…。」
いつの間にか僕は寂しそうな顔をしていたみたいだ。
岡崎に心配をかけてしまっている。
悪いことしたかな。
「あ、風間くんが言ってた、“坂上雫”の事なんだけど、あの子、死ぬまでココの高校の一年生なんだって。」
一瞬、岡崎の言ったことの意味がわからなかった。
「死ぬまでココの高校の一年生…?」
「そう、事情は知らないけど、生涯契約なんだって、部活の先輩に聞いたの。」
雫はここに縛られたまま、一生を過ごすのか…。
「最近、風間くんが辛そうな顔をしているのって、彼女が原因なの?」
岡崎の問い掛けに僕は首を横に必死になって振った。
「違うっ…、どちらかと言えば、僕が彼女を苦しめてたんだ…。もう二度と会えないかもしれない。サヨナラも、ありがとうもまだ言えてないのに…。もう二度と、彼女と歌うことも、話す事も、笑うことも、姿を見る事さえも…。」
押し籠めてたはずの本音。
何でこんなにも溢れてしまってるんだろう…。
「…何で、会うことを諦めてるの…?会おうと思えば会えるんでしょ…?」
僕は岡崎の顔を見る。
岡崎の顔はしかめっ面で、僕を見ていた。
「…会えないよ…。会うなって言われたから…。」
少しだけ口角をあげて苦笑した。
「そんなの、現実逃避じゃん。風間くんが坂上さんの事を好きだと思ってるなら、そんなこと言われたって会いに行けばいい。何で我慢するの…?」
岡崎の言葉は小さくなっていた僕の心に強く突き刺さった。
「岡崎…?」
「会えるのに会わないのは一番いけないの。風間くんは今、会わなくて後悔しないの?」
凍って動けなくなっていた僕の心が岡崎の言葉に溶かされていった。
「僕は…。」
会いたい…。
岡崎に背中を押され、席を立ちあがった。
「行きなよ。どこにいるかは見当はついてるんでしょ?」
いつもと同じような笑顔で岡崎は笑った。
僕は頷くと、岡崎にお礼も言わず教室を飛び出した。
屋上に行くのも一カ月ぶりだった。
僕の頭の中は雫の唄声が響く。
屋上のドアを恐る恐る開ける。
そこにはやはり雫の姿はなかった。
一か月前のあの日から雫は見ていない。
ここは一か月前から時が止まっているようだ。
屋上に立っていると、僕の記憶から雫の唄が溢れ出てくる。
大きく息を吸い込み、
「今日がまた終わる、明日が始まる。すべての季節は巡り行く。君の面影は今はどこにもないけど、いつかまた会えるよね…。」
目を瞑る。
「君がいてくれたから、僕はここに立っている。いつか僕が君に歌うよ。永遠の証の唄を。」
口から旋律が零れ出し、止まる事を知らない。
「私の気持ちにあなたは気づかない。いくら声を張り上げても君に伝わらないのでしょう。私の思いは空を切り、地に落ちてしまう。その思いたちを拾い集めよう。いつか君に届けに行くために。」
一曲一曲に雫と過ごした記憶がある。
「いつかこの想いが君に届けばいいのにな…。僕が君を想う気持ちは嘘じゃない…。重なり合った手の温もりは、僕を僕にしてくれた…。君は僕のヒカリ…。会えなくても、想いが伝わってくれたらいい…。僕は、君が好きで、好きで…。会いたい…。」
これは、僕の雫に対する心からの思い。
そして最後は、二人で歌った、未来の唄。
「広がる光の波。いつか世界中を包むだろう。僕らは歩いて行くんだ。何が待っているかわからない道の先も、二人なら恐くない…。」
僕の目から記憶の雫が涙になって溢れ出してきた。
「雫…っ…。」
今泣いちゃいけないと分かっている。
しかし、溢れてきた涙は止まることを知らず、床に跡を残した。
「…つ、きくん…?」
幻聴なのだろうか。
雫に会いたいと願いすぎてしまったから、ついにまで幻聴まで聞こえるようになってしまったのか。
「槻くん、なぜ泣くのですか。歌いましょう、楽しい唄を。」
幻聴は確かに心に響き渡る。
「雫…?」
振り返って後ろを見ると、そこには”雫”がいた。
「もう会えないかと思ってた…。」
目から零れだした涙は止まったが、頬に跡を残していた。
それを手の甲で拭う。
「えぇ、本当ならもう会えなかったでしょう。しかし、また会えた。」
雫は僕の手を取り、手すりの前まで歩いた。
その手は確かに暖かかった。
「今度こそ、会えるのは最後です。もう、私は自分を制御できなくなってしまった。自分のせいでこの世界を終わらせてしまうのは嫌です。私一人がこの世界の為に唄声を授ければこの地球は平和のまま、保つことができる。」
初めて会った日のように雫は手すりに体を預けた。
「槻くんは、私より凄く幸せになれます。これは宣言できます。」
顔は見えないが、きっと笑っているんだろう。
「歌うことしかできない私に喜びを教えてくれた。私は槻くんに出会えてよかった。」
最後の雫の言葉にまた泣きそうになった。
でも、もう泣いちゃいけない。
雫の前でこれ以上泣けない。
「槻くん。最後に歌いましょう。はじめて二人で歌った唄を、私たち最後に歌った唄にしましょう。」
僕は頷き、雫の手をぎゅっと握った。
この瞬間だけは離さないように。
この唄が終われば、僕らの想い出も終わる。
ゆっくりとした二人の声が重なり合う。
「「広がる光の波。いつか世界中を包むだろう。」」
きっと、雫の生み出す光の波が、世界を包み込んでくれる。
「「僕らは歩いて行くんだ。」」
どんな未来が待っていようとも、僕らは歩いて進んで行かなければならない。
「「何が待っているかわからない道の先も、」」
何が待っていたとしても、僕らは…。
「「二人なら恐くない。」」
一緒にいられないけど、もう何も恐くない。
近くにいなくとも、心はいつも傍に。
唄が終わり、僕は雫の手を痛くない程度に握りしめた。
「雫、ありがとう。」
「こちらこそ。ありがとう、槻くん。」
夕日がオレンジ色に町や僕らを染めていく。
「これは、サヨナラじゃありません。旅立ちなのです…。それぞれ別の世界への…。」
若干鼻声の僕ら。
僕は雫を抱きしめた。
雫の存在を確かめるように、強く、そして優しく。
すぅっと音もなく、雫は消えていく。
煌めくスターダストのように。
徐々に雫はオレンジに染まった街に溶け込んでいく。
「雫…。」
「槻くんに出会えて、幸せでした。またいつか、会える日まで…。」
完全に雫が光となり消えた。
「雫、またネ…。」
僕は完全にオレンジとなった夕日を見つめた。
あれから、僕は前とは違い、まじめに授業を受けるようになった。
先生はびっくりしてるし、友達は病気だって騒ぐけど、僕だってやればできる。
辛いことがあれば雫のことを思い出しそれをバネに頑張ると決めた。
いつか会えるって信じてるから。
そう、いつか。
僕は信じて、また、窓ガラスの向こう側を眺める。
~END~
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