亡き王女の歌
†
王女は幼少の頃から
少しばかり変わっていた。
頭が悪いのかと思えば、そうでもなく、 気性が悪いのかと思えば、そうでも無い。正直なだけだった。
そして少しばかり
不思議な能力を携えて、この世に生まれて来たのだった。
ある日、やっと言葉が話せるようになった王女は、母である王妃にこう言った。
「あのね、私はもうすぐお姉さまになるの。弟が二人出来るの」
王妃は少しばかり悲しい顔で、こう答えた。
「愛しい王女、そうなったら、王もわたくしもどんなに嬉しい事でしょう」
王妃は身体が弱く、これ以上子供は望めない。世継ぎになる王子の誕生は、この国の誰もが渇望していたのだが……
王に側室をあてがうか、それとも、この小さな王女に、ゆくゆくは王位継承させるか
王妃は、王女の、母親譲りの金色の髪を撫でながら、悲しい笑みを浮かべていた。
しかし、それから数日後、王妃は懐妊した。
そして、十月十日ののち、王子が誕生したのだった。
王を始め、国中が祝ったが王妃の心中は複雑だった。
王が内々に囲っていた側室もまた、同じ日に男児を出産したのだ。
「あなたが言った事が本当になったわ……」
王女の髪を、力無く撫でながら、王妃は言った。
小さな王女は産まれたての小さな小さな弟に夢中で、自分がかつて言った事など忘れているかのようだった。
やがて、王女の金髪を撫でていた王妃の手がぱたりと落ちた。
産後の肥立ちの悪さと心労で、幸いにも、王女の放った不吉な言葉を耳にする事無く天国へ旅立ってしまった。
「でも、私の弟は王様になる事は出来ないわ」
†
王妃亡き後、もう一人の王子を産んだ側室が次の妃に選ばれた。
王はと言うと、やっと世継ぎを授かった喜びで、亡くなった前王妃の事などすぐに忘れた。
王女にはもう優しく髪を撫でてくれる者は居ない。
城の者は王女を気づかい、見世物の一座を呼んだり、高価な服や玩具を与えたりしたが
王女はすっかり心を病んでしまっていた。
水蜜桃のようなかんばせは色を失い、母譲りの黄金の髪は、輝きを無くし藁屑のように変わり果てた。
しかし、心を病んでもあの不思議な力は健在で、時折誰に言うでも無く呟いていた。
……だが……
「この国は滅びる」
流石にこの一言は父王の逆鱗に触れ、王女は高い塔の一室に閉じ込められる事になった。
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月日は流れ二人の王子達は、姉である王女の存在を知らぬまま、共に青年になった。
ある日、戯れに兎狩りの真似事をしていると、どこからか歌が聞こえて来るのに気付いた。
人の声とは思えぬ程の美しい歌声……
二人の王子は、この妙なる美声の持ち主を探し当てようとした。
だが、どこから聞こえて来るのか判らぬまま日は暮れて
「探すのはよそう、きっと鳥の声を聞き間違えたんだ」
黒髪の王子が言う。
「そうかな…」
赤毛の王子は未練がましく、辺りを見回す。
やがて、二人共諦めて城に戻る事にした。
だが、城へ戻っても、赤毛の王子はあの歌声を忘れる事が出来なかった。
月も出ているし夜の森を歩くのも平気だろうと、もう一度黒髪の王子を誘って森に行く事にしたが、黒髪の王子は、若い女官を口説くのに夢中だったので、結局一人で行く事にした。
†
森の入り口でリュートを奏でると、それに合わせるかのように歌声が聞こえて来た。
静まり返った森を、歌声を辿って進んで行くと
やがて古くて高い塔にたどり着いた。
塔の一番天辺に、明かりの漏れる窓があり
そこに誰かが居るのが見えた。
間違いなくそれが歌声の主だろう。
月に照らし出されたその顔は陶器のように白く 豊かな金髪が波打つ。その儚げな様は生きている人間とはとても思えず、若くして死んだ乙女の幽霊か、森の精霊かのように見えた。
赤毛の王子はあの美しい歌姫を間近で見たいと、塔の入り口から上に続く階段を駆け上った。
階段の果てには分厚い木の扉があり、大きくて重い鍵前が掛かっていた。
「哀れな……あの美しい精霊はここに閉じ込められていると言うのか?」
王子の落胆の声に気付いたのか、扉越しに乙女が答えた。
「誰……?」
甘やかな声だ。
「あなたの歌に誘われてここまでやって来ました。」
「リュートを奏でていた人?」
「そうです。」
「ここに入れば、あなたは罰を受けます。立ち去りなさい。」
「今の僕にはあなたの顔を見られない事の方が、どんな罰より辛い。あなたに害は加えません、ただ、あなたの歌をもっと聴きたいのです」
「……リュートを弾いてくれるなら……」
「もちろんです」
しばらく沈黙が続いたが、また甘やかな声がきこえて来た。
「扉の横に一つだけ欠けた石煉瓦があります。鍵はその中です」
扉は、もう何年も開けられた事が無いかのように錆びた蝶番が悲鳴を上げる。開いた扉の隙間から花の香りが漏れだして王子の鼻をくすぐった。
扉を開けて目に飛び込んで来たのは、豪奢な細工の敷物、金の装飾を施された椅子や寝台、壁一面を覆うかのように掛けられた色鮮やかなタぺストリーやレリーフ、等身大の精霊の像
否、精霊の像とみまごうばかりの
たおやかな乙女がそこには居た。
「夜分遅くの訪問を、何卒お許しください」
王子は乙女の手を取り挨拶した。
その手は、白く細く、死人の様に冷たかった。
†
黒髪の王子は、毎晩姿を消す赤毛の王子を不審に思い、王妃に相談したが
「そのままそっとしておきなさい」
と、何か知っているような、王妃の黒い微笑みに薄ら寒い感情を覚えた。
王が病に倒れたのは、そんな折だった。
原因不明の病。日に日に衰えていく様を、見ているより術はなかった。
とうとう、王妃は藁にでもすがる思いで占い師を呼んだ。
「王族の中に、神に背いた者がいる…王はその者の代わりに、天罰を受けられた」
王妃は、黒髪の王子に、赤毛の王子が毎夜何処に行くのか、突き止める様に命じた。
†
病の床で熱にうなされながら、王は夢を見ていた。
若い王の傍らには亡くなった筈の前王妃が寄り添い、その腕には産まれたばかりの赤子がいる
金糸の刺繍を施された、絹のおくるみに包まれた、水蜜桃のような頬をした美しい赤子。
ふいに、その赤子が喋った。
「愛する父上、私の話を聞いてくれたなら、助かる術も見いだせたでしょうに……」
赤子はそう言うと、王妃の腕をすり抜け、どこかに行ってしまった。
驚いた王が王妃の方を見ると、王妃の姿はみるみる薄れ、消えてしまった。
年老いた王はたった一人で薄暗い空間に佇んでいた。
目覚めた王は自分のした罪を悔やんだ。
――この国は滅びる――
王女の言った事が本当だろうが、戯れ言だろうが、もっと耳を傾けるべきだった。
最愛の王妃といとおしい王女を裏切った。
神に背いているのは、
他の誰でもない、この自分だ。
王女を呼び戻そう。
そして、姉の存在を知らずに育った二人の王子に会わせよう。
そして、自分の命が尽きる前に、前王妃の産み落とした赤毛の王子に王位を継がせよう。
そう決意した。
†
「兄上は毎夜、森の中にある古い塔に通っています」
黒髪の王子がそう告げると、またもや王妃は黒い笑みをこぼす。怪訝そうな顔をする黒髪の王子に、王妃はこう言った。
「あの塔には貴方がたの姉が幽閉されているのです」
†
翌日、王の寝室に呼び出された二人の王子は、王からの遺言となるべき話を聞いた。
そして、王は自分無き後、赤毛の王子に王位を継がせる事を取り決めた。
赤毛の王子は王に、妃にしたいと思っている娘がいると告白した。
「ほう、これは二重の喜び。そなたが選んだ娘ならば身分は不問だ」
「実はその娘、身分は高い者だと思うのですが……」
「何か不都合でも?」
「罪人のように、塔に閉じ込められているのです。」
これを聞き、喜びで、少し血の気が戻った王の顔から再び血の気が引いた。
赤毛の王子は城を追放され、王女は塔に閉じ込められたままとなる。
心傷んだ黒髪の王子は、この話を血の繋がらぬ姉である王女に伝える為、塔に登った。
塔の階段は所々崩れていて、とても人の登れる所では無かった。
重い木の扉は湿気で腐り、錆びた蝶番はいとも簡単に割れた。鍵など使わなくても、簡単に中へ入る事が出来た。
かつては色鮮やかな色彩を放っていたのだろう敷物や壁掛け《タペストリー》は色あせ、劣化し、只のぼろきれに成り果てていた。
そして、輝きを無くした金の寝台のシーツの隙間から金の髪が一束覗いてる。
「姉上?姉上ですね!」
……答えは無い。
無礼を承知でシーツをめくって見ると、幼子のすでに朽ちた骨となった亡骸が豪華な絹のローブに包まれ、横たわっていた。
哀れ……
閉じ込められてすぐに亡くなったのだろう。
忘れ去られた王女の世話係りは、いつのまにか居なくなっていたのだろう。
一人ぼっちで寂しく、息を引き取ったのだろう。
王女の魂だけが成長し、歌を歌っていたのだろう。
それから間もなく
王は崩御し、黒髪の王子が王となったが、戦で敗れ
王女の言葉どおりに国は滅びた。
古い塔からはいつまでも歌が聞こえていたと言う。
その歌は前王妃が王女に歌って聞かせてやっていた、古い子守り歌だった。
ENDE