九話 どこだ!
もしも、この世界の女性に対する美的感覚が、元の世界でいうところの一般的、であったなら。
帝王の権限をフルに活用し、国中から美女という美女をかき集めハーレムを展開できたらどんなに良かっただろう。なぁに、この世界では醜女とされているのだから構いはしないさ。おかしな趣味だ、と誰かが囁いても俺が満足するのだからなんの問題もない。
うむ。いかんな。これでは悪役の考え方である。人をさらって身近に置いておこうとは。まるで先ほど主大臣に聞いた魔物の話ではないか。
――ん? 魔物は醜女をさらって行ったのだったか。するとつまり、魔物がさらって行ったのは美女ばかりという事になるな。
――んん? それってつまり?
「はぎゃ!」
俺が急に奇声をあげて立ち上がったものだから、ロザリンとカレットは卒倒してしまった。目を丸くして寄り添っている。
うむ。二人が寄り添っている様は実に美しい……そうじゃなくって。
もしも魔物の女性に対する美的感覚がこの世界の一般的とは真逆……つまりは俺のそれと完全に一致するのだとしたら。魔物に親玉が存在するとして、ヤツが大勢の美女をさらって行ったというのは間違いない。ヤツはハーレムの中に身を置いているという計算になる。
なんてヤツだ! けしくりからん! 実に許せん!
俺はマントヒヒとの取っ組み合いを回避するために一案も二案も練って、試行錯誤してるっていうのに、ヤツは武力行使でもって、ハーレムを手に入れたのだ。なんてうらやまし……じゃない、恥知らずなヤツだ。
「て、帝王様、私どもが何か、お気に障る事でもしでかしてしまったのでしょうか……」
カレットはロザリンを庇う様に抱きかかえて、小刻みに震えている。この二人は仲が良いのだな。まるで姉妹のようである。それとも小間使いというものは皆こんな感じなんだろうか。
「いや、なんでもないのだ。怖がらせてすまぬ」
魔物のボスがハーレム祭りかもしれないのだ、とも言えず、笑ってごまかす。すると彼女らは姿勢を元に戻した。
「ああ良かった。帝王様の逆鱗に触れてしまったのかと思いましたですわ」
ロザリンは胸に手を当てて、ホッと息を漏らした。
「怒るような事は何もしておらぬではないか」
「なら良いのですが……」
カレットは釈然としないような表情だ。突然奇声を発したのだから不審に思われて当然である。
「まぁ気にするな。そしておかわりを頼む」
空になったカップを差し出す。
「もう七杯目ではございませんこと?」
ロザリンは驚きを通り越したのか、呆れた顔になった。心外である。
「馬鹿を申すでない、まだ六杯目だ。いかんのか」
「いけなくはございませんですが、もうポットが空ですわ」
ロザリンはそう言って、軽くなったポットをひょいと持ち上げた。
「では新しいお茶を淹れてまいります。ついでと言ってはご無礼とは存じますが、昼食も一緒にお持ちしてもよろしいでしょうか」
カレットが気を利かせると、もうそんなに時間が経ったのか、という自覚が湧いてくる。
言われてみれば腹が減ってきた気がする、と言いたいところだが、俺の朝食は侘しいものだったので、常に空腹感が付いて回っていた。
「うむ。是非頼む」
「ああん、いけませんですわ」
横槍をいれたのはロザリンだ。
「どうしたの?」
カレットは不思議そうな顔をしてロザリンを見た。
「どうもこうもございませんですのことよ。カレットさんに任せていたら火茶が炭茶になってしまいますですわ」
炭茶というものが存在しているのだろうか。それとも単に皮肉の意を込めて言っているのか。カレットの憮然とした表情を見る限りは後者だと思う。
「……たまには成功するわよ」
「たまに、じゃいけませんですのことよ。その、たまに、を待っていたら日が暮れてしまいますですわ。あたくしにお任せ下さいな」
ロザリンは得意げな顔をして鼻を鳴らした。
「あら、ロザリンだってしょっちゅうお皿や瓶詰めや壷なんかを割って回ってるじゃないの。ロザリンに任せていたら、お食事を乗せるお皿が無くなってしまうわ」
カレットが反論すると、ロザリンは悔しげな顔になった。
「べ、別に割って回ってる訳じゃございませんですわ。あれは不可抗力というものですのよ。大体、お皿や壷の位置が高いのがいけないのですわ」
「あ、あの……」
「やっぱり難儀するんじゃないの。お茶は別に火茶でなくとも良いのだから、適任がどちらかなんて明白でしょう」
今度はカレットが得意げな顔をする。
「それは違いますですわ。帝王様は火茶のおかわりをご所望ですのよ。ここはあたくしが火茶を淹れるべきなんじゃありませんですこと? カレットさんは手首の返しが甘いんですのよ」
「ロザリンだってお皿を取るのに炊事場の端から駆け出して飛んだりするから割っちゃうんじゃないの」
「だって届かないんですもの。仕方ありませんですわ」
「何で踏み台に乗る、という選択枝がないのかしら」
「飛べば届くんですもの」
「割ってるじゃないの」
「あ、あのう!」
俺が叫ぶと、二人はハッとした様子で振り向く。
「これは、大変お見苦しい所をお見せして申し訳ございません」
さっきから声かけてたんですけど。
「う、うむ。二人で行けばいいんじゃないのかのう……」
気圧されながら言うと、二人はしばしの沈黙をする。
「……そうしましょうか」
「……その方が良うございますですわね」
二人は俺の案で納得したようだった。何を意地になってたのか、まるでわからない。
「帝王様、何をお持ち致しましょうか」
ここで何か口走って妬き魚事件の二の舞になったら目も当てられない。
「いや、そなたらにお任せする。強いて言うなら食いでのあるものが良いのう」
「かしこまりました」
「言うておくが、わしだけ大層なものをよこすでないぞ。同じものを三人分こしらえてくるのじゃ。分かったな」
「そんな、そこまでご好意に甘んじる訳には参りませぬ」
「いいじゃないですの。折角仰って下さってるんですもの」
俺は大きく頷いた。ここはロザリンを肯定する。
「うむ。もしも、わしと同じものを食するのが他人にばれると咎められる、と言うなら、一つの皿に三人分盛ってまいれ。その量は何だ、と誰かに言われたら、帝王様は非常にベリーベリー空腹であるのだ、とかなんとか言えばいいじゃろう」
「べ、べりいべりい、はわかりませんけども……仰せのままに」
二人は立ち上がって、扉の方へ向かう。
ロザリンは歩きながら、両手を頭の後ろへやり、溜息を漏らした。
「折角あたくしが二人きりにして差し上げようと思いましたですのに。遠慮しなくても良かったのですのよ?」
それを聞いてカレットは頬を紅潮させた。
「べ、別にそんなんじゃないわよ」
「そんな赤いお顔で言われましても、説得力に欠けますわね」
「そんなんじゃないってば、もう」
うむ、二人が何を言ってるのかまるでわからない。異世界はこれだから困る。
「本当に申し訳ございません。それでは失礼致します」
カレットはこちらに振り返り、心苦しい表情をして頭を下げた。
「う、うむ」
二人が退室しようと扉に手をかけたところで、俺はある事態に気付いて呼び止めた。
「待て。行く前に聞きたい事があるのだが」
俺が立ち上がってそう言うと、扉にかけた手がピタリと止まり、顔をこちらに向ける。
「いかがなされましたか?」
「トイ……厠? 厠はどこかのう」
六杯も飲んだのだから当然の生理現象である。気付きだしたら止まらない。俺の尿意は加速していく。
「下の階にございますですわ。お連れしますので――」
お連れしないで頂きたい。いい年して女の子達に連れられてトイレなんて冗談じゃない。
「いや、いい。途中までで構わぬ」
二人と共に部屋を出て、階段を降りる。すぐに二手に別れた道があった。
「あたくし達はここを曲がりますですけれども。帝王様は真っ直ぐにお行きになって下さいましですわ。突き当たりの右ですわ」
それならわかりやすい。迷子にもならないだろう。
「うむ、ありがとう」
「では、失礼致しますですわ」
二人と別れ、そそくさとその場所に向かう。だがここが王宮である事を忘れていた。真っ直ぐ進むだけには違いなかったのだが、この距離の長いこと。着く頃には張り詰めた状態になってしまった。
この世界のトイレはどこもこんな感じなんだろうか。
扉を開けると石の床に石の壁に石の天井。石尽くしだった。
石の壁には竹を通してチョロチョロと水が流れていて、それを石の器で受けている。鏡こそ無いが洗面台だろう。蛇口のようにひねるべき取手が無いのを見ると、流しっぱなしなのだな、と理解する。
そして個室と思われる、石壁で仕切られた空間がいくつかあって、入口には全身を隠せるような長さの仕切り布が端にくくりつけられている。それを閉めれば使用中の意を示すのだろう。
個室の中には楕円形の大きな木桶のようなものが備わっている。縁の幅は広く、腰掛けれそうだ。中を覗くと、水路が通っているのだろう、小川のようになっている。
うむ。元の世界に比べて文明が遅れているように思えたが、なかなかに立派な水洗である。
トイレットペーパーが無い事を除けば。
海草のようなものが端の木桶に山ほど積まれている。これを使えって事なのか。海に還すのだな。
今の状態では起立で用を足せるのだが、近いうちにこれを使わなければならない状態に陥るのは必然である。
要するにワカメでケツを拭けと言われているのである。
なんか嫌だな……。