六話 しまった!
食事が終わると暖かい茶が全員に配られる。それが全てに行き渡ると、小間使い達は続々と厨房へと消えていった。それを最後まで見届けてから議論が再開する。
どうやら小間使いは聞いてはいけない、という掟でもあるらしい。厨房からこの部屋までに長めの通路があるのもそのためだろう。
俺はその議論を聞いている風を装ってはいたものの、小難しい単語の連発でどうにも頭に入らない。
そんな事よりも俺の頭の中では、先ほどの食事の反省会で忙しかった。もっと具体的に話せば良かった――と。今後は献立の一切合切をお任せしよう。怖すぎる。
「して、帝王様。王宮のどの辺から回られましょうか」
不意に話を振られたので、ビクッと体を震わせてしまう。
いつの間にか議論は終息を迎え、俺の王宮見学の話に移行していたようだ。
「ど、どこが良いかのう」
聞かれたところで、どこに何があるかもわからない。
主大臣はにこりと笑う。
「そうですな。では後宮を巡られるのがよろしいかと。帝王様が、お倒れになるまでは足繁く通っていらっしゃった場所にありますれば、記憶を取り戻す良いきっかけにもなりましょうとも、後宮におわすお方々も帝王様に一目お会いしたいと思うていらっしゃる事にござりましょう」
俺は冷静を装いつつも心中歓喜した。
今、確かに後宮、と言った。言いましたとも。後宮ってのは間違いない、あれだ。側室が美女でハーレム祭りのムフフな事をする所だ。楯祭りなんかとは事の重大さが違う。
美女小間使いをブス扱いする帝王の事だ。後宮ともなればよほどの美人の集まりに違いない。俺こそお会いしたいしお愛したい。
昨日はカレットを見て、モロに好みだ、と鼻の下を伸ばしていたのにも関わらず、今日は後宮と聞くやこの有り様だ。実に悲しい男の性である。
「うむ。ではそのように計らえ」
主大臣は、はい、と言うとそれが議会の終焉の合図だったかのように言う。
「皆の者、聞いた通りだ。帝王様はこれより後宮に向かわれなさる。従って、誰であろうとも面会はまかりならぬ。各々の配所に戻られよ」
それを聞いた面々は、平伏した後退室していった。
部屋には俺と主大臣だけが取り残される。
「帝王様が参られると聞いたら後宮のお方々も、さぞ喜ばれる事にござりましょう」
主大臣はすっかり冷めてしまった茶を一口飲み込むと息を漏らした。
「左様か」
「もちろんでござりますとも。これで帝王様が想起あそばせば、私めは心嬉しく存じ申し上げまする」
ここの世界では随分と色んなものを遊ばせているのだな。もう突っ込まないようにしよう。
「その暁には儀式の成否も明らかとなる事にござりましょう」
「儀式が成功すると具体的にはどうなるのじゃ?」
これは気になっていた事ではあった。帝王が倒れたから結果がわからない、という事は目に見えてはっきりとした結果が出る訳ではないのだろう、と推測できたからだ。
「破魔の宝玉――秘石とも申しますな。それを授かります」
「破魔の宝玉とな?」
俺が基礎知識に疑問を投げかけるのも、もう慣れた様子の主大臣は、はい、とさしたる動揺もなく答える。
こちらの人間が皆、回りくどくてわかりにくい喋り方をしているのは、ここが王宮で俺が帝王だからだろう。かしこまった喋り方でしかなくて、普段遣いの言葉ではない、という事がわかるのは、ロザリンの喋り方がぎこちなかったからだ。慣れない言葉を無理して使っている感じがした。俺も同様なので妙に親近感が湧いている。
妙な言葉遣いの皆の中でも特に主大臣は謙譲語だか尊敬語だかよくわからんけれども、それを巧みに使っているのか一番長ったらしくて難解な喋り方である。
主大臣が一生懸命説明してくれているのだが、俺は言葉の意図を汲み取るのにワンテンポ遅れてしまって、それでも主大臣は先を続けるのでついていくのが精一杯だった。
破魔の宝玉は数多の神々から授かる物らしい。これを施した武具は神の力を宿す、と言われていて、その武器で魔物を倒す、というわけだ。
逆を言えば破魔の武具でなければ強力な魔物には傷一つ付けられないと。
伝説の装備ってところだな。うむ、ますますファンタジーっぽくなってきたぞ。
破魔の宝玉、つまり秘石は儀式を執り行った術者の元へ、どこからともなく降ってくる、と言われているのだとか。
「主大臣はそれを見てはいないのかのう」
ふいに質問を投げかける。これは会話についていくのが精一杯な俺の苦肉の策である。間を繋ぐためのものだ。
儀式が成功していたら秘石ってやつが貰えるんなら、儀式が成功しているのか失敗しているのかわからないこの状況下では、秘石はどこにあるのかわからないって事になる。秘石を見ていたんだったら聞くまでもなく成功していたに違いないのだから。
そして主大臣はやっぱり、と言うべきか、頷いた。
「残念ながら。儀式が執り行われる、儀式の間へは術者しか立ち入る事を許されておりませぬ。帝王様が儀式をお始めなされてから、五日経ってもお出になられなかったので、禁忌ではござりますけれども中へ立ち入らせて頂いた次第にござりまする」
俺は冷えた茶を口へ運びながらも、主大臣の言葉を脳内で咀嚼する。
破魔の儀式ってやつは、帝王が単独で行わなければならないものって事か。なぜ五日間も放っておいたんだろう。危ないじゃないか。
「そうしたらわしが倒れておった、という訳じゃな」
「左様にござりまする」
「その時に秘石は――」
「ございませんでした」
言って主大臣は首を横に振った。
「ならば――」
失敗したのだろう。と言いかけたが、主大臣が不憫に思えて口をつぐんだ。
それを見越したのか、主大臣は制すように言う。
「なれど、秘石が術者の手元に降りる、とは限らないのです」
「どういう事かのう」
首をかしげた俺に、主大臣はまたしても長ったらしい説明をする。
術者の元へ――というのは、術者の近い所へ――という意味であると捉えられているのだとか。
どこか別の、離れた場所に奉じられる事もあれば、また時を隔てて降る事もあると言われていて、これの期間は最長で七日間らしい。
そして、それは術者本人にしかわからないのだそうだ。なんでも、儀式が成功すると神の声で秘石のありかが聞こえるとかなんとか。
なるほど。だから帝王の記憶しか頼りがないという訳だ。主大臣がそこまで気にするのも無理もない話だな。その場で秘石を見てないからといって、失敗したとは限らないのだ。
「で、ございますゆえ、成功したのであればまず秘石を見つけなければ出発もままなりませぬ」
帝王から誰かに秘石を渡して魔物退治に行かせるんだろう。さしずめ伝説の勇者ってとこか。
勇者の血を引く少年に秘石とロクに買い物もできないようなはした金を渡して旅立たせ、死んだら死んだで「おお、情けない!」とか言う仕事なのかな。
「出発する者は決まっておるのかのう」
「これは異な事を。私の目の前にいらっしゃるではありませぬか」
えっ。
「――なんと申した?」
「帝王様の他に誰がいると申されるのでござりまするか」
えっえっ。
「魔物討伐の話であるぞ?」
「私もそのつもりで話しておりますれば」
えっえっえっ。
「わしが? 行くのかの? 魔物と戦いに?」
「それ以外に何があるとおっしゃりまするか」
ちょっと待ってストップ。ストップ・ザ・タイム。
「そういうのは騎士とか戦士とか勇者が行くものではないのか?」
戦闘を生業としている人間がいるのならそいつに任せればいいものを。俺は凡人であって、剣を振るった事はおろか、握った事すらない。
「騎士団の話にござりまするか? 騎士団の者は手練ではござりまするが、儀式にて神の力を賜った術者でなければ魔物の前には無力でござりまする」
「それは初耳であるぞえ」
「ああ、説明不足でしたかな。とんだ失礼を。破魔の儀式には術者本人に神の力を付与させる、というありがたい実りもあるのでござりまする」
全然ありがたくない。俺が戦わなきゃならんフラグが立ってしまっているじゃないか。
「神童となった術者本人が近くにあらざれば、秘石はその本領を発揮することは叶いませぬ」
これは異な事を。つまり俺に化物退治に行けって言ってるんだ。儀式が成功していたとして、帝王は神童になったかもしれないが俺は平凡な一般人だ。秘石ってのさえあればどうにでもなるのかと思ったら、とんだ勘違いだった。
「なれど、魔物は町や村の中へは入って来ませぬ。これは嘲笑の意味合いも含まれているやも、とは思いますれば、まずは記憶を戻されるのが先決かと」
「入ってこない?」
「左様で。ですが外に出れば襲ってきますゆえ、国内の移動も命懸けとなってしまうのでござりまする」
「ふむ。物資の運搬などにも影響があるだろうな。じゃが、魔物は何故湧いてきたのであろうか」
「まるでわかりませぬ。……魔物が突如として現れ始めたのが二年前。魔物達は手始めだと言わんばかりに、町や村から醜い女共をさらって行き申した。――なぜ醜女をさらって行ったのかは、わかりかねまする。魔物の考えていることは予想だにできかねまするゆえ」
ふむ、と相槌を打つ。魔物が現れて人間をさらう、なんてのは、ゲーム好きの俺からしたらありがちの設定なのだが、なぜ醜女なのだろう。そこは当然美女とかじゃないのだろうか。それか無選別。奴隷とかの要素だな。
「その魔手が王宮まで届くかどうか、と思われた時に、それはピタリと止んだのでござりまする。それから今現在まで、町や村の中に魔物が侵入した、とは聞いておりませぬ」
「それは何故かのう」
「私にもわかりませぬ。恐らくはこれも嘲笑かと。いつでもやろうと思えばできるのだ、と。あるいは挑発やもしれませぬ。そして、これには統一した意思を感じまする。つまり手綱を握っている親玉が存在するのではないかと」
それは俗に言うラスボスというやつだな。それを倒せばハッピーエンドってわけだ。うむ、実にわかりやすい。
「いつ魔物の一斉攻撃が始まるのではないかと、国民は不安の日々を過ごしておりまする」
だから帝王様に倒して欲しいってか。この世界に来たばかりで、なんの愛着もない人間にそんな慈悲を持ち合わせているのか、俺は。答えは否だ。命懸けで化物と戦えなんて冗談でもない。
「うむ。だがそなたが先程も言うた様に、まずは記憶を戻さねばなるまいて」
とりあえず先延ばし作戦でいこう。ゆっくり考えればいい作戦も思いつくかも知れない。
「仰る通りにございます。さて、随分と話し込んでしまいましたな。そろそろ向かわれましょう」
主大臣はわずかに残った茶を飲み干して席を立つ。俺もそれに続く。
冒険に旅立つのは延ばすに延ばすとして、とにかく今はハーレムを堪能しなければ。どうしても化物と戦う羽目になったら逃げ出せばいいさ。そうだ、逃げればいいんだ。どうして思いつかなかった。
それは逃げてもどうしようもないからだ。勝手のわからない世界で独り立ちできるはずもない。とはわかってはいるのだが、命には代えられない。いざとなったら逃げる。これでいこう。
部屋を出ると、ロザリンが待ち構えていた。ぱっちりとした瞳が俺を捕らえると、にこりと笑って会釈する。
「随分と遅うございましたですわね。お待ち申し上げましたわ」
ずっと待っていてくれたんだな。その小さな体で。これから俺は卑猥な所へ行くのだ。すまん。
「帝王様はこれより王宮内を回られる運びとなった。そなたは王室の掃除でもしているがよかろう」
主大臣が代弁すると、ロザリンはどこか寂しそうな表情をして去っていく。後ろ髪を引かれる思いがあった。
主大臣に先導され、またしばらく歩く。廊下を歩いていると、窓から外の様子が見えた。そこにはひどく見覚えのある植物の群れが見える。
「主大臣、あれは何ぞや?」
視線は窓の外のままに問う。
「節樹でござりまするか?」
節樹と言うのか。俺から見たらどう見ても竹だったが。木のようなものはそれしか見当たらないので、あの竹は節樹と言うんだな、と納得する。
「節樹がどうかなさりましたか?」
「いや、なんでもない」
まったくこの世界は洋風なんだか和風なんだか、はたまた中華風なんだかはっきりしていただきたい。
部屋や服装は洋風なのに言葉は日本語だしやたら漢字を使っている風でもある。
だが、この世界に来て以来見慣れたものなど何一つなかった俺にとって、それは心を落ち着かせるものだった。
何の変哲もないただの竹だ。なのに窓がある通路を過ぎるまでずっと視線を逸らせないでいた。
しばらく進み、階段を降りると奥に通路があり、右手側には優雅な橋があった。一階から吹き抜けになっていて、そこに橋がかかっている。通路の向こうにはまた階段が、橋の向こうには贅を尽くしたような扉が見える。
橋を渡るとそこが後宮なのだと言う。つまりあの贅を尽くした扉を開ければ、そこが後宮なのだ。渡りながら下を覗いてみると、エントランスと思わしき空間が広がっていて、巨大な門扉が見える。つまりここは王宮の二階部分なのだと知る。
扉の前まで来てピタリと歩みを止めた主大臣はくるりとこちらに振り返る。そしてにんまりと笑った。
「ささ、どうぞ。これより先は帝王様の私物にござりまする」
「う、うむ」
こっから先の者はみんな俺のもの。自然と有頂天になった。
その時ふと、俺の脳内ミュージアムが展開される。そこではカレットが軽蔑の眼差しで俺を見ていた。
いやっ、そんな目で見ないで。 ああっ! ごめんなさいっ!? やめて許して。
脳内で得意の土下座を済ました俺は、観音開きの扉の取手に両手をかけ、いざ、とそれを開ける。
そこは前室だと思われる空間で、帝王が来る、と聞いていたのだろうか。いくつもの影があった。それが俺に気付くと我先にと駆け寄ってくる。俺に向かって手を伸ばす。捕まえようとする。歓喜の声が方々から上がる。が、俺はその扉を二秒で閉めた。
扉は重厚で、歓喜の声は遮断された。静寂が訪れる。
「帝王様、いかがなされ申したか?」
主大臣が怪訝そうな顔をする。
「ば……」
手の震えが止まらない。奥歯がカチカチと鳴る。
「帝王様?」
「化物がいる!!」
そう叫んだ俺を見るやいなや、主大臣が扉を開ける。
「魔物め! ついには王宮の中まで!」
解き放たれた扉からはまたもや歓喜の声が上がる。
だが主大臣も二秒で扉を閉めた。そして、はっはっは、と笑う。
「帝王様もお人が悪うございまする。いつも通りではござりませぬか」
いつも通りだと……? 俺には魔物の宴にしか見えなかったぞ。それか獣。
恐ろしい仮説が頭の中で構築された。真意を問う。
「主大臣よ」
「はっ」
「この中は後宮だな?」
「いかにも」
「この中にいるのは側室だな?」
「はい」
「わしは側室を寵愛しておったか?」
「それはもう」
「側室は美しいか?」
「もちろんでござりまする」
主大臣の目は真剣だ。
これは大変な事だ。俺からすると、この中は獣アイランドに相違ない。「けもの」の上に「ば」を付けてもいい。
つまりこの情報をまとめると、だ。
この世界では女子に対する美的感覚が真逆なのだ。この中の女達が美しいのだとすれば、この世界で美人といえば、贅肉がたっぷりとついていて……いや、つきすぎていて、毛深く、眉毛なんかは太ければ太いほどいい。真っ先に俺に突撃してきた女なんかは眉毛が繋がっていた。眉毛の繋がったマントヒヒだった。しかも青い毛だ。それどんな異種。
美的感覚など人によって様々だ。一般人からすれば醜くても、愛らしくて仕方がない、という人間もいるだろう。それは素晴らしい事だ。それに対して糾弾しようとも詰問しようとも詰め寄ろうとも問いただそうとも思わない。
だが俺はこの部屋に入る事は出来ない。
「帝王様、お加減でも悪くなされましたか」
主大臣が今度は心配そうな目をする。
腹が痛い、などの仮病を使おうかとも思ったが、それは一時しのぎにしかならないだろう。
治ったと取るや即座に、またここに連れてかれるに違いない。
「い、いや……」
「それは良うございました。さあ、早く中へ。皆首を長くしておりまする」
主大臣は満面の笑みを浮かべる。
「いや、あの」
「さあ」
「あの、その」
「さあ」
確実にこの問題を解決するために。後宮へ入らなくてもいい状況を作り出すために口を開く。これは折角考えた作戦をぶち壊しにするもので、しまった、と思っても後の祭りなのである。
「やめた……」
「……は?」
「やめた、と申したのじゃ! 女遊びにふけっている場合ではないだろう! 記憶が無くともわしは帝王じゃ! 一刻も早く魔物を討伐しに行かなければならない! そうだろう!」