五話 通じない!
おかしいと思った。いや、おかしいのはおかしい所だらけだが。
帝王と俺がそっくりだったんじゃない。帝王という容れ物に俺が入ってるんだ。そう考える方がしっくりくる。だから皆にはどこからどう見ても帝王様にしか見えなかったんだ。声も同じなはずだ。本物の体なのだから。
鏡は青ざめた顔の男を写している。その容姿は平凡だった元の俺とは似ても似つかない。
それにしても絵に書いたような美男子だな。うん、これならいいや。
――とはならん! 中身が入れ替わったって事は元々入ってた本物の帝王の中身はどこにいったんだ?
いや、それよりも俺の肉体は? やはりあの時に朽ち果ててしまったのだろうか。ビルから転落した、あの時に。
うむ。実に混乱してきてござったでざます。誰かに相談できる事でもなし。中身は偽物なんですけど、なんて言ったらやっぱり極刑かも知れないし、何か悪いものが憑いてるって事になって、ひどい目に遭わされるかもしれない。
だが、事態は好転した。とも言えなくもない。外見が帝王のそれなら多少食い違った言動を取っても、偽物だとは疑わないだろう。実際、昨日は誰にも疑いを持たれなかった様に思える。
苦し紛れに儀式の影響を匂わせた事も功を奏したに違いない。
事実を打ち明けられない事は変わってないのだから、帝王に成り代わるしか選択肢がないのもまた同じだ。容姿が帝王のままだと分かったのだから、成り代わりが容易になったのだと思うべきか。
いや、本物の帝王と再度入れ替わるという選択肢が消えたのだから、どちらにせよ選択肢はもう一つしかなくなってしまったわけなのだが。
鏡を凝視していると、扉の外からリン、という鈴の音が響いた。
何事かと思い、扉の方に視線をやると、再度鈴の音が響く。ほどなくして扉が開かれた。そこで扉を開ける時の通例儀式のようなものなのだな、と考えると合点がいく。
扉から現れたのは小さな女の子だった。俺の感覚では中学生くらいに見える。
白を基調としたメイド服を身に着けていて、それを見て小間使いなのだと納得する。
少女は平伏した後に、こちらに歩み寄る。昨日のカレットはしゃなりしゃなり、とした歩き方でおしとやか、麗人という言葉が合っていたが、この少女はテコテコと歩き、ぱっちりとした瞳に赤茶色の短い髪がよく似合う、快活という言葉が当てはまっていた。
少女も美人であった。いや、美人というよりは可愛らしい、といった印象か。女子中学生くらいにしか見えないこの少女が、小間使い、という仕事を与えられているのかと思うと不相応に思えるのだが、この世界では普通の事なんだろうか。
少女は俺の目前まで来ると口を開いた。
「ロザリンにございます。帝王様におかれましては、今朝もご機嫌麗しゅうございますですわ。起こしに伺いましたのですけれども、既にお目覚めあそばしたのでございましたのですわね」
尾目鮫はまた遊ばせてもらえるのか。
なんだか言葉遣いの端に違和感を覚える少女――ロザリンはにこりと笑いながら続ける。
「カレットさんよりお話は伺っておりますですわ。記憶がおぼつかない程、御不調であらせられるとか――その後はいかがでございますですかしら?」
「う、うむ。未だ記憶は戻らなんだ。おかしな事を口走るかも知れんが、よろしく頼むぞ、ロザリンよ」
「あらまあ! カレットさんに伺った通りでございますですのね! 帝王様がすっかりお変わりになられたと」
少女は大きく開けた口に手を添えて、驚愕の表情を向けた。
「そんなに変わったかのう」
「ええ。帝王様はあたくしの名前を呼んだ事などございませんでしたもの。それだけでも随分違いますですわ」
カレットとの昨日の会話を思い出した。
この少女もヘンテコなあだ名で呼んでいたのだな。それを真似する気にはなれないのだが。
「して帝王様、間もなく朝食の儀が始まりますですわ。身だしなみを整えますのでこちらの椅子にお座り下さいませですわ」
ロザリンは少し歩くと、部屋の中の椅子の一つを促した。
おとなしくそれに腰掛ける。
「朝食の儀……とはなんであったかのう」
「臣下の者達と朝食を摂りながら、ついでに会議も済ませてしまおう。と、帝王様がお始めになった事にございますですわ。それまでは各自別々に食事を摂られていた、という話なのでございますけれども」
俺の髪に液体をつけ、櫛を通される。ヒヤリとした感覚が頭皮を伝う。
「皆で同じものを食すのであろうか?」
まさか、と言ってロザリンは濡れた布で俺の顔を拭う。なんだか子供になったみたいで気恥ずかしい。
「臣下の者達は大体同じ献立でございますですけれどもね。帝王様はお好きな料理をお選びになるのが通例でございますですわ」
「好きなもの? なんでもいいのかのう」
「ええ、食材の有無にもよりますですけれども。献立がご希望に添えなくても、味付けなどは指定されますですわ」
「辛いもの。とか、甘いもの。といった具合にかのう」
「左様にございますですわ。本日は如何なされますでしょう」
うーん、と低く唸りながら手を顎に当てる。
「普段はどんな注文が多かったかのう」
「うーん、一概には言えませんですわね。なにせ、その時の気分で縦横無尽に変わりますですので。これといって決まったものはございませんですでしたわ」
それを聞いて一層低く唸っていると、ロザリンは軽く笑った。
「何でも結構でございますですのよ。今召し上がられたい物を仰ってくださればいいのございますですわ。ご希望に添えない時もございますですけれども」
「味噌汁……なんかは無いだろうな」
「みそしる、ございますですわよ。みそしるを所望されるのは久方ぶりでございますですわね」
あるはず無い。と頭から決め付けていたので、これは意外な返答だった。
「なんと! 有る、と申すか! ならば是非それを頼む。あと米。白いご飯だ。なければ麦などでも良い。とにかく穀物を所望する。それと焼き魚があれば満足である」
味噌汁にご飯は欠かせない。だって日本人なんですもの。
「か、かしこまりましたですわ」
ロザリンはどこか気圧されたようだった。引きつった笑みを浮かべている。
ほどなくして俺から離れた彼女は、部屋の片隅から洋服のようなものを抱えて戻ってくる。
「さあ、これで大丈夫でございますですわね。後はお召し物をお取替えになってくださって出てきてくださいましですわ」
言うと持っていた衣服を渡して、平伏からの退室コンボを決める。
流石に着替えまではさせられない。自分で着ろって事なんだな。着せ替え人形にされる趣味は持ち合わせてないのでかえって助かる。
渡された服はこれまた西洋風のゲームに出てきそうな豪華な服であった。ワインレッドに金色の装飾をあしらっていて、肩や胸元に縄がある。軍服のようでもあるが、どこかで見た事もあるような服で安心する。
ここで何枚もの着物なぞ渡されてしまったら着付けなどできるはずもなく、途方に暮れてしまうとこだっただろう。
多少手間取ったが無事に着替えて外に出る。
そこにはロザリンが待ち受けていた。扉の左右には金属の鎧をまとった兵士風の男が立っている。見張りだろう。
「とてもお似合いですわ。さあ、参りましょう」
ロザリンは言って、先導する。すぐに降りの階段があって、それを進み、右に曲がり左に曲がり直進するとまた階段があってそれを降る。しばらくの間歩いて思った事は、帰りも先導してくれなければ完全に迷子だな。という事だった。それ程に王宮は広い。
たどり着いた部屋は恐ろしい程広々としていた。真ん中に白い布をかけられた長方形のテーブルがあって、その上には三つ又の燭台が等間隔にいくつも置かれている。
俺以外の人間は既に着席していた。それは空いた椅子が一つしかなかった事から分かる。
二十人はいるだろうか、全員が俺の存在に気付くと、椅子を降りて平伏した。すぐに顔を上げるように言うと、その通りにした。その中には昨日見た、主大臣ら六人の姿もあった。
促されるままに奥に進み、最奥の短辺の席に座らされる。全員が揃った所で主大臣が立ち上がる。そして朝食の儀の始まりを告げた。
「これより朝食の儀を開始とする。が、見て分かる通り、本日は十と一日ぶりに帝王様がお目見えである。粗相のないようにされよ」
主大臣が言うと周囲の人間は頷いた。
主大臣はこちらに向きを変えて言う。
「帝王様におかれましては麗しき尊顔を拝し恐悦に存じ奉りまする。――して、記憶の方はいかがなものでござりましょうか、私めらにお聞かせ下さりませ」
楯祭り・マッスル? なんか楽しそう。更にメラとの複合技だ。こいつ、出来るな。
「うむ。未だ記憶は定かではないのじゃ。期待に添えないようで悪いのう」
言うと主大臣は肩を落とした。周囲からも落胆の声や動揺のざわめきが聞こえる。
それを制す様にまた一人立ち上がる。水大臣のブロンクスだ。
ブロンクスは立派な体格の中にも知性が光るような顔つきで、藍色の短い髪を七三分けにしている。フチなし眼鏡なんかが似合いそうだ。
水大臣は周囲を見渡して言う。
「帝王様が眠っておられている間、何度も医師に診せてはいたのでございます。なれど、ただ単に眠っておられるだけで、どこにも異常は見当たらぬ、と申しておりました。つまり至って健康体なのでございまする。私が思うに、一時的な記憶喪失なのかと――さすれば、じきに記憶が戻る可能性は十分にございまする」
周囲から感嘆の声が湧き上がる。
戻るべき記憶なんて最初から持ち合わせていないのだ、とは言えない。騙している気分になると同時に申し訳ない気分になる。俺がこの世界で生きていくためには仕方がないのだが。
ここで一つのアイディアが湧く。王宮での勝手を知る為に提案する事にする。
「うむ。そこで、じゃ。わしはしばらくの間王宮内を見て回ろうかと思う。記憶が戻る足がかりになれば、と思うてな。誰かに案内を頼みたいのじゃが、どうじゃ?」
言うと賛同の声が湧き上がった。
「それは実に良い案でござりまする。是非その役目を私、アドニスにお任せ下さりませ」
主大臣は自ら案内役を買って出た。それに甘える事にする。
「うむ。よろしく頼むぞよ」
朝食の儀が終わったら王宮見学が始まる事になり、議題は他の政治の事に移り変わる。
やれ、作物の流通がどうだとか、やれ、水路の拡大がどうだとか、やれ、内乱が起きない様にするにはどうすれば良いか――など。
そんな話に興味もない俺は睡魔を噛み殺すのに必死だった。
しばらくの時間が経ったろうか。
各自に朝食が配膳される。部屋には隣接して厨房と思わしき部屋があって、そこから何人もの小間使いが出てくる。そこにはロザリンの姿もあった。
そこで議論は一時中断となる。政治の話に飽き飽きしていた俺は、待ってました、と言わんばかりに喜ぶ。
小間使い達が忙しそうに皿を置いていく。俺以外の皆は、パンにスープ、サラダなどであった。
で、俺の眼前に置かれたこれは何だ。
穀物は穀物で正解だった。平らな皿に盛られたのは麦であったが、これはいい。俺は他に味噌汁と焼き魚。と言ったはずだ。
小型のボウルの中には小さな四角形の実が沢山入っている。これは何だ、と聞くと、みそしるでございます、と返ってくる。
実鼠歯瑠と書くらしい。瑠璃鼠という鼠の歯に似た実なので実鼠歯瑠というらしい。食べてみたらガムみたいだった。キシリトール配合の。
次にこれは何だ。おもむろに木桶が目の前に置かれた。十五センチ程の木桶の中で魚が悠々と泳いでいる。その魚は奇妙な声で鳴き、よくよく耳を澄ませてみると、ちょっと今の綺麗な女の人誰なのよ、と聞こえ、その表情は膨れっ面のようであった。
みなまで言うな。これは焼き魚ではない。妬き魚だ。ジェラシーフィッシュ。
その眉間辺りをツンとつついて、こいつめー、などと言うはずもなく。
魚の塩焼き、とでも言えばあるいは正解だったのかと思うと悔しくなってくる。
静かに木桶を返す。ロザリンは怪訝そうな顔を向けた。
「焼いてくれ、火で、こんがりと、焼いてくれ。火を通すんだ」
言うとロザリンは木桶を抱えて厨房へ向かう。桶の中で、ナニヨーモー、という鳴き声が響く。
ほどなくして膨れっ面が破裂した妬き魚の焼き魚が出てきた。
これは小骨ばかりで身が少なく、なんだか味気なかった。どうやら観賞用らしい。これを眺めながら食事を嗜む、という風習も存在するらしく、俺が、やきざかな、と言ったのだからそういう意味だろうと思ったそうで。
きっと誰も悪くはないのだ。悪くはないからそこのスープと交換しておくれ、とも言えない。なんか悲しくなってきた。
味気ない魚はおかずとして不十分で、実鼠歯瑠に至っては言うまでもない。
悲しさと切なさと心苦しさと虚しさにひもじさが足されてなんとも言えない感情になる。
もうやだここ。