三十九話 忘れられない日
ウェスターは尻尾を出さないし、そもそも尻尾があるのかもわからない状態で、不気味なくらい何事も無いままあれから七日間が過ぎた。
天候には報われていたようで、思ったよりも早くカイピリーニャへの最後の道を歩く事になる。
俺達は二十メートルはあろうかという灰色の岩壁が列を成して両側にある道を歩いていた。岩壁の上にも道があるのだが、目的地に行くには下道を行くと近いらしい。
歩いているとつま先にコツンコツンとぶつかる感触がする。岩から風化し削れ取れたのか、小石が道にまばらに落ちているのだ。欠け落ちたような大きな岩も点在している。
上の道は緑が生い茂っているように思えるのに、下道は随分と荒れている。
そこを歩きながら、まもなくカイピリーニャへが見えてくるだろうという時に、それは起こった。
この日は俺にとって、いや、皆にとって忘れられない日になる。
道の真ん中に直径一メートルほどか、でかい岩が放置されていた。別に珍しくはなかった。この道ではこのくらいの岩がゴロゴロ落ちている。
「ユウト。前方の岩、なんかヘンだわ」
変と言えばコロナでコロナと言えば変なのだが、襟首からその変の奴の声がしたから注目する。
それが不意にグラリと動いた気がした。
「あ! 離れろッ!」
バックステップを踏みながら叫んだ。
大岩の動きは徐々に激しくなっていき、ある時点を境に急激に空へと持ち上がる。その初動を、注目していたおかげで見逃さなかったのだ。
「敵でござるか!」
砂煙を上げながら、ビジューは槍を構えた。
魔物の気配には敏感なはずなのに、どうやら気付かなかったらしい。
「わああー! なんかすごいのが出てきちゃいましたねえ!」
「大人しくしてなよね!」
シェリーとウェスターを後方へ下がらせる。
地鳴りと共に姿を現したのは、三メートルつまり三等身の岩人形だった。
真夏のビーチの高校生みたいに、体を地中に埋めていたらしい。
完全に地上に出てから顔の部分に亀裂が入り、ゆっくりと、ぎょろりと目が開く。
正三角形を描くように、三つもあった。そこの下に、真一文字に開いた口から咆哮が響く。
「ウゴゴオー!」
三等身の岩人形は、体から小石をパラパラと巻き散らしながら突進してきた。そして拳を振り下ろす。
動きは愚鈍だ。それをかわして、剣を水平に振る、が、全く刃が通らなかった。
岩肌は刃を弾き、俺の手を痺れさせる。並の武器なら折れてたかもしれない。
「効きそうにないでござるな……」
その様子を冷静に見ていたビジューが漏らす。
単純に攻めるだけでは体力を消費するだけだ。
「一旦離れよう!」
「同感でござる!」
ウェスターを警護する事も忘れない。
そこには行かせないよう誘導しながら離れていく。愚鈍だから難しい事じゃない。
ビジューは別行動で、ウェスター達の前に陣取っている。
そうしながら、指示を待った。
「そいつはゴーレムって奴だよね! 岩とか土とかから創りだされる、無機質な奴さ! だから気配を感じないんだ!」
「御託はいい! 攻略法は!?」
「それは――」
「後ろでござる!」
「うあっ!」
後ろにも同じ三等身のゴーレムがいた。打ち下ろされた拳を、すんでのところで回避する。
本当に何の気配も感じなかった。
シェリーとビジューの声がなければ、潰されてしまっていたかかもしれない。
轟音と、打ち下ろされた地面が大いに窪んでいる事が、その破壊力の凄まじさを物語っている。
「た、助かった……って、シェリー後ろだ! よけろ!」
「えっ!?」
シェリーの後ろでも同じ事態になっていた。
マヌケな面して棒立ちしているウェスターの袖を引きつつ、シェリー達もなんとか回避に成功した。
「三体、だと……!?」
「いや、それだけではござらん」
「いかん! 集まれ!」
ウェスターを輪の中に収納して、背中合わせになって円陣を組んだ。
視界の先には沸騰した鍋の中みたいに、地面がグラグラと沸いているのが見える。
泡が弾けたみたいにして生まれてくるゴーレムども。
その数は四体、五体、六体……どんどん増えていく。数える事が馬鹿らしく思えてくる。
「ええい、どうすんだよ。おいシェリー。攻略法はねえのか?」
「……魔法がよく効くらしいよね。でなきゃあ、一番上の目。そこが弱点のはず」
「文字が書いてあるんじゃないのか?」
「……なんの話?」
「……なんでもねえ」
どっかに主人が書いた文字があって、「emeth(真理)」という文字の頭文字を削り「meth(死)」にすりゃあいい、なんてのは俺の知識でしかなく、こっちじゃ全然通用しなかった。
それはともかく、シェリーが魔法を使えるのは隠しているからここで派手に使うわけにはいかない。
人間の中にはエルフを嫌う輩が多いと聞いていたからだ。
二十万ダーブを滞り無く受け取れるよう、内緒にしようと決めてあった。
ウェスターが俺の推測通りの悪党だったなら隠す必要もないし、とっくにフルボッコでいいのだが、あいにくと証拠がないのだ。
とはいえ、
「もういいよね?」
「ああ、こりゃあ無理だわ」
ボコボコ湧くゴーレムに対し、ウェスターを守りながら俺とビジューだけで撃破していくのは、非常に厳しい。
ウェスターを守れないどころか、俺達の身だって危うくなるのだ。
「ウェスターごめんねボクエルフ」
「なんだそのセリフ」
突っ込んだ時には既にシェリーは魔法を放っていた。
荒れ狂わんばかりの稲妻が周囲を覆い尽くす。
ここ数日こそっとしか魔法を使えなかったから、その鬱憤を晴らそうとしているみたいに感じた。
「うわわわわわ、これが魔法ってやつですか!? す、すごいなあ……」
ウェスターはエルフに対する嫌悪感なんて欠片も感じさせず、目を剥いて感動すら覚えているような反応をしたが、それを素直には受け入れられない俺であった。
「隠してて悪かったな。エルフを嫌う奴らもいるんでね」
と、一応はそう言っておく。
するとウェスターは首をぶんぶんと振って、
「いや、私は毛嫌いなんてしてないですよ。こうして助けていただいていますし、そんな事言ったらバチが当たります」
と、模範解答みたいな事を言うのだった。
周囲はゴーレムが這い出てきた穴ぼこやら、ゴーレムが拳を打ち下ろした際の窪みやら、ススにまみれたゴーレムの残骸やらだけでとどまらず、シェリーがハッスルし過ぎたばかりに上の道にも影響があって、木片やら竹のへし折れたやつやら葉っぱとか花とかまで落っこちてきて、それはもう壮絶な状態になっていた。
蛇行しながら道を選ばないと歩けないくらいに。
ほとんどのゴーレムをシェリーが片付けて、俺とビジューは取りこぼしを倒せばよかっただけなので、楽な仕事ではあった。
弱点である一番上の目ってのが三メートルの地点だから、そこだけは跳躍が必要で、大変ではあったが。
ビジューは槍だから簡単に届いていた。うらめしや。
「…………疲れた……」
三白眼になってげっそりとしているシェリー。
多数を相手にしたこともあって、シェリーの魔法力ってやつは、すっからかんになってしまったらしかった。
「流石にもう出てこねえだろ。休むか?」
「いや、もう出てこないなんて保証はないよね。迅速に行こう」
「拙者もそう思うでござる」
「へいへい」
数体くらいなら魔法がなくてもなんとかできそうである。
俺達は先を急ぐ事にした。したのだが――。
「魔法力がなくなったんですか! そりゃあ良かった!」
なんて事をウェスターが手を叩きつつ言うものだから、一瞬にして背筋が凍りついてしまった。
「ようやっと本性を現しやがったな」
ウェスターに刃を向ける。
その切っ先が喉を小突いても、ウェスターは全く動じずにいた。
「ああ、やっぱり怪しんでましたよね。知ってます。あなたは分かりやすいですから。他のお二方は、もっと上手に包み隠していましたよ?」
切っ先を指で払いのけて、ウェスターは邪悪に笑う。喉仏の辺りから一筋の血が流れていた。その色は、紫だった。
「悠斗に釘を差しとこうと思ってはいたんだよね。でも、その会話を聞かれる恐れもあったから」
「拙者らの思惑も読み取っていたでござったか」
ビジューとシェリーは俺の横に並び、同じく穂先と手の平を向けた。
ビジューはともかくシェリーは息が乱れていたし、魔法力は枯渇したと言っていたから、形式的なものにしか過ぎないだろう。
そんな事よりも、
「……あれ? 俺ってバレバレだったの?」
二人は物凄く深く頷いた。
俺が一人で苦悩していると思っていたのに、全然違ったらしい。
善人を装ってはいるけれども、ウェスターが仮面を被った奴だってのは二人にも看破できていたようだった。
「ボクは悠斗みたいにバカじゃないし」
「拙者は貴様ほど未熟ではござらん」
頭脳と経験が物を言ったようです。
ただ、行動に移せなかったのは証拠がないから、という点においては共通していた。
万が一ということもあるから、ただの依頼人として扱おうとしていたことも。
「いつから怪しいと思ってた?」
「ボクは最初から。二十万とかおかしいし、二年も顔を出してない友人宅に今更行きたいなんて不自然にしか思わないよね。でも悠斗が大金にホイホイ釣られちゃったから、」
「此奴の真意を探ろうと考えたでござる。魔物の類であれば、人型を成すは上級のもの。拙者らの欲している情報が得られるやもしれぬと」
俺ってなんだろー?
お馬鹿なマリオネッツみたいじゃね?
二人は気付いてないと思っていたコロナもコロナで同じく馬鹿ということになるが、同類項だってのが最上の侮辱である。
「で、どーすんだよウェスターさんよ」
気を取り直して、剣を再び突き付けながら、威圧を込めて俺は言う。
ウェスターは赤い瞳を輝かせて邪悪な笑みを浮かべている。輝いている瞳は比喩ではなく、本当に光っているように見えた。
「では、訂正を一つさせていただきます」
冷徹な表情でウェスターは言う。
ほんの少し前までの、締まらない表情とは別人のようだった。
俺は固唾を呑んで、その先の言葉を待っていた。
そして聞こえてきたのは聞き慣れた呑気な声などではなく、地の底から響くようなくぐもった声なのであった。
「私……いや、我はヴェスパー。魔族の帝王、ヴェスパーである……ッ!」
そう言って目をカッと見開いた瞬間、見えない波動が放出されたように感じて、全身の毛が逆立つような悪寒を感じた。
へたりこみそうになるのをやっとの思いでこらえる。ほんのすぐ目の前に居るのに、どうやっても届かない遥か遠くにいるような距離感があった。
突き付けていた剣先が離れていく。
ウェスター……いや、ヴェスパーは足を動かしていない。
無意識で俺達の方が動いているんだ。
じり、じり、と少しずつ後ずさりする音がする。三人分だ。
ついさっきまでは確かにただのやさ男にしか見えなかった。だが今はどうだ。
間違いなく魔物の気配を醸し出していて、しかもそれが今まで出会ったどんな奴よりも巨大で膨大でありながらも、濃縮されているような圧縮されているような圧倒的存在感をもっていじる。
こいつが魔物の親玉。倒すべき目標。魔族の帝王。ヴェスパー。
刹那、地面が大いに揺れた。
まともに立っていられないほどの地震。バランスを保って、転倒しないようにするのがやっとだった。
その中にあってヴェスパーは涼しい顔をして立っている。
羽織っていた黒いマントがうねうねと動き出したと思ったら蝙蝠の羽のように変形して、それをゆらりと動かすと体はスーッと上空へ持ち上がっていった。
結果から言えば、地形が変わった。
二十メートルほどの側壁から岩の塊がごっそりと抜け出してくる。
それは人の形となっていて、ズシンズシンと地鳴りを響かせて歩き、俺達の眼前で止まる。
ヴェスパーはその肩にふわりと舞い降りた。
造形は、先ほどのゴーレムと変わらない。ただ、サイズが違いすぎる。
「さあ人間の帝王よ。エルフが魔法を扱えぬ今、この状況をどうしてくれる――?」
遥か上空を眺めて俺は、冷や汗が止まらないでいた。




