the Time Everybody Knows
土曜日の学校は、それなりにがらんとしている。休みの日にわざわざ登校しているのは部活がある生徒と、受験の迫った三年生だけだ。
部室のPCの起動を待ちながらお湯を注いだカップにティーバッグを投入。
「あら、ありがとう」
飲む前にいろりちゃんに礼を言われた。くれってか。僕は自分のために淹れたのに。まあ、あげるけど。
PCが起動したので、二杯目を淹れつつJ会のユーザアカウントでログイン。メモ帳を立ち上げて手帳にまとめていた内容をそのまま打ち込む。
「……そういえばさ、この作業全部僕がやるなら、いろりちゃんが一緒に学校来る意味ないんじゃないの?」
他に用事があるわけでもないだろうに。
いろりちゃんはさっきから僕が淹れた紅茶を当然のように飲んでいる。部長デスクには何時の間にかバウムクーヘンが置かれていた。部室でくつろぐ気満々だ。
右手に持ったフォークを僕に向け、いろりちゃんは言った。
「情報が足りないからよ」
「論理が飛躍しすぎてフライアウェイだよ」
全然まったくこれっぽっちも因果関係が見えてこない。
「情報がないから張り込みできないでしょ?」
張り込みって……ああ、この間言ってたアレか。もちろん当たりの検討なしに張り込みはできないし、しても意味がない。
「張り込みができないから囮作戦しかないじゃない」
「まだちょっと飛躍してるような気がするなあ、いろりちゃんの論理」
いやいや、キョトンを絵に描いたような顔されても。そもそもいろりちゃんの頭には張り込みか囮しか作戦がないのだろうか。
って。
「囮ってことは夕方まで学校待機ってこと……?」
「ほむ、当然じゃない、帰る時間を利用するんだから、ほむ」
バウムクーヘンを頬張る度に目を閉じるいろりちゃんに、僕は一瞬和んだ。
「……でもそれって、夕方になってから出掛ければ同じことなんじゃ」
「一人じゃ囮にならないでしょ」
「先生に見つかったら怒られるよ」
「見つからなければ怒られないわ」
「囮が成功したとして、どうする気? まさか捕まえるとか言わないよね」
「そりゃ、高校生二人じゃ捕まえられないけれど、複数人いると思わせれば逃げさせることはできるじゃない? その間に私が犯人の正体を見るの」
「そもそも、通り魔が今日現れるとは限らないし。いろりちゃんは無駄なことが嫌いなんじゃなかったっけ?」
「少しでも可能性があるなら無駄にはならないわ」
「ですか……」
もし、今日実行する囮作戦に犯人が食いついたら、僕は噂を信じないと思う。鬼ってなんだか勘が良さそうだ。人間の浅知恵なんて簡単に見破ってしまうイメージがある。
「いろりちゃんはどっちだと思う?」
「何が?」
「噂が正しいか、正しくないか」
いろりちゃんがどう思っているのか知りたくて、そろそろ日も暮れようかという頃、部室の鍵をかけながら彼女に聞いた。
赤みを帯び始めた太陽がいろりちゃんと僕の周りを照らし、やや明るくしている。そろそろいい時間だ。
僕が質問に含んだ噂というのはもちろん、これまで起きた通り魔事件が全部鬼の仕業であるという例の噂だ。
この噂が正しいと認めることは、オカルティックに鬼の存在を認めることと同じ。
「守時はどっちだと思う?」
いろりちゃんは質問をそのまま僕に返してきた。
「僕はやっぱり正しくないと思うな」
とりあえず答える。
いろりちゃんは鼻で笑った。
「馬鹿ね」
しかも罵った。
「別に噂を肯定しても鬼を肯定したことにはならないわよ」
「……噂の質問には答えが分からなくてもとりあえず否定しましょうって、先輩に教えられてるからね」
「だったら私だって先輩から教えてもらったわよ。噂は真意を確かめてから是非を問えってね」
笑っているいろりちゃんを見て、僕も笑えてきた。笑いながら部室棟を降りる。部員たちが早々と帰ったあとのグラウンドは、学校に残っている生徒が僕らだけであることを示していた。
考えるのはまだ早い。先輩たちも僕らにそう言っているかのようだ。彼女の言葉は僕の中に有り、彼の言葉はいろりちゃんの中に在る。それだけで少しでも心強かった。
空が赤から黒になる時間。それは昼と夜が混じった時間で、人と妖怪が出会う時間。
故に「逢魔が時」と言われている。
この街の人は皆、この時間になると帰宅の足を速め、周囲を気にするようにキョロキョロ見回し、いつか聞こえてくるかもしれない足音に怯える。
通り魔事件のせいなのは言うまでもない。
鬼の噂は学校を中心に部分的にしか広まっていないけれど(夕方に帰宅する人の大半が学生なので当然である)、事件の発生時刻はニュースになっているから皆が知っているのだ。
当然学校も対策として下校時間を1時間30分も早めている。通り魔に襲われないようにさっさと帰れよ、ということだ。
こうやって対策が練られていくと、犯人としてはやりにくくなるんじゃないかと思う。むしろ今までほぼ変わらないペースで事件を起こしていたことの方が驚きだ。
「犯人と被害者がグル……だと重傷を負わせる意味がわからないし……」
「興味本位で夕方うろつく人が減らないからでしょ」
「……なるほど、って僕らもそのうろつく人のうちに入るんだけど」
「当然。狙われなきゃ囮にならないわ」
下校時間を疾うに過ぎて誰もいなくなった校門からこそこそと二人で出る。見つかったら絶対に怒られるだろうな……。
「……とはいえ、もし本当にいろりちゃんが襲われたら、僕は守れる自信ないよ」
「守れるわよ。守時なら」
赤い陽をバックに仁王立ちして僕に微笑むいろりちゃん。なにも恐れない不敵な笑みだ。それは守られることに対して絶対的な自信があることを教えてくれる。
僕ってこんなに信頼されてるのか。
そう思うと、なんだか本当にいろりちゃんを守れるような気がしてきた。信頼に足るよう頑張れる気がしてきた。
「……ふむ、じゃ、頼むわね」
「……うん!」
いろりちゃんは僕らの帰宅ルートを、一人で歩き始めた。
僕はそれを数十メートル離れて追いかける。守ってやろうじゃんか、この身に誓ってさ!
……何時の間にか今日襲われる前提になっていたのに気づかなかったのは言うまでもない。
the Time Everybody Knows
例の時間