the Motley Trio
今まで一度も死人が出なかった連続通り魔事件だったけれど、ついに被害者が一人亡くなった。その事実は週末になるころには誰もが知っているほどに広まっていた。
「やっぱり尾ひれも付き始めてる。聞いてよ、犯人は小さい女の子とか真顔で言ってる生徒がいたんだよ?」
「それ絶対噂と妄想が混ざってるわね」
校内での調査は噂の回収。どんな内容がどこまで広がっているかをなんと聞き込みをして調べるのだ。噂がある程度広がってしまうとひれがつくのは仕方のないことで、でもなんだかやるせない気持ちになるのは、こういう幼稚な話を信じてしまう人もいるからかもしれない。
ちなみに、噂に尾ひれがつく原因は、自分が知っていて相手が知らないことを教える優越感や、何度も話しているうちにそれが真実だと思い込んでしまう心理。僕もジャーナリストの端くれだから、自分の発言にはしっかり責任を持て、と声を大にして言いたいところだ。言ったら言ったで恨みを買いそうだけど。
そんな訳で金曜日の放課後。
調査結果をまとめ終わった僕は、一応手帳に今回の調査の要点を少しメモして、いろりちゃんを振り返った。
「そうだ、死体発見者の一年生のうち一人が僕の妹と友達でさ、明日の昼にアポ取っといたよ」
デスクで肘をついて顎を手に乗せていたいろりちゃんは、ふうん、と気のない返事をした。
「……やけに手回しがいいじゃない、何かいいことでもあったわけ?」
おっと、どうやら少し機嫌が悪いみたいだ。調査が思うように進んでいないのがいろりちゃんをイライラさせているのかもしれない。ここは慎重に答えるべきか。
「別に。妹の友達でなきゃこう上手くはいかないよ。向こうも小さくないショックを受けているはずだからね。強いて言うなら、休日にいろりちゃんと会える口実を作れたことが、僕にとっていいことかな」
「取材時は制服着用」
「訂正、ややいいことかな」
さりげなく言ったのにたった一言で一蹴された。タイミングが悪かったのかも知れない。あ、機嫌が悪いんだっけ。
「ま、別に義務じゃないけど」
言ってからいろりちゃんは口をとがらせてそっぽを向く。不機嫌モード進度レベル2。
「……どうしたのいろりちゃん?」
僕が彼女の顔色を窺いながら尋ねると、いろりちゃんはやっぱり肘をつきながら僕をちらっと見た。
「莉雨はこの間デートに行ってきたらしいし」
「なんだって!?」
うわあ、用事ってそれか! せめて、せめてぐうの音だけは出したいのに、恋人のいない僕からはぐうの音なんて贅沢なものは出なかった。
……そうか。
「それを自慢されて不機嫌に……」
「自慢なんかされてないわよ。本人もさりげなく言っただけだし」
……でも不機嫌になっているのは事実。いろりちゃんも恋人いないからなあ。
いろりちゃんには失恋の経験がある。お相手はJ会の先輩、いろりちゃんを勧誘したご本人だ。もしかすると、その先輩に近づくために入部したのかもしれない。ただ、その先輩にはすでにお相手がいて、いろりちゃんは告白前にフラれたのだけれど。
なんて、この経験はそのまま僕の経験でもある。つまり分かりやすく言えば、僕を引き入れた先輩と、いろりちゃんを招いた先輩が、相思相愛だったということだ。僕もいろりちゃんも、よくこの部活を続けていられるよなあ。不思議でしょうがないや。
「で? 何時?」
「一時ごろに家に来てくれってさ。条件として、僕の妹同伴。十分前くらいに僕の家に集まれば間に合うよ」
「わかった。……じゃあ帰る」
「え、帰っちゃうの?」
「することもないし」
そう言っていろりちゃんはすたすたと部室を出て行った。相当不機嫌のようだ。……明日までに機嫌治るのかな。
翌日の昼前。
「麻衣、そろそろ電話譲って」
「あ、うん、ちょっと待って。じゃあひっちゃん、後でね」
僕らは今日の予定を確実なものにするために、兄妹それぞれ一本ずつの電話を掛けた。妹は例の友達に、僕はいろりちゃんにだ。
『……何?』
ワンコールで出てくれたくせに、何故かすごく不審そうな声で応答された。
「今日の一時十分前に僕の家に集合っていう約束、覚えてるかな」
『……何で?』
「死体を発見した一年生に会って取材するため」
『……忘れてたわ』
「了解、今から準備して間に合うかい?」
『……余裕』
「ならよかった。よろしくね。じゃあ切るよ」
『……後でね』
僕は宣言通り電話を切った。一連の会話を思い出して、寝てたな、と確信したのは言うまでもない。昨日夜更かしでもしていたのだろうか。
昼食にパスタをゆでて、温めておいたレトルトのカルボナーラに絡ませる。ビンの中のバジルが残り少なかったので、二人分には少し多いけど全部かけた。
「ひっちゃんが今日は警察の人来ないって言ってた」
フォークに器用にパスタを巻きつけながら、麻衣が電話の内容を報告する。
「その方がありがたいよ。僕といろりちゃんは一度迷惑をかけたことがあるから」
正確には先輩を含めた部員全員が、だけど。今回も捜査の邪魔になることは避けないといけない。
「……警察の御厄介に?」
「違う、それだと家族に説明されてるはずじゃないか」
僕の妹、篝火麻衣。変な読み方は僕で終わりにしたのか、「麻衣」は普通に「まい」と読む。歳は一つ下で、同じ高校に通っている。とはいえ、僕は毎朝早めに家を出ているので、一緒に登校したことは一度もないけれど。
何かとすぐ悪い想像をする癖を直せば、可愛い妹なんだけどなあ。まあでも、学校で人の話を聞く限りにおいては、僕ら兄妹は仲のいい方のようだ。誰だったかは妹に耳を噛み千切られたと言うし。鉄梃で寝首をかかれそうになった人もいたかな。
「それはともかく、部活のことに付き合わせることになっちゃってごめんな」
「ノープロブレム! 最初から予定なかったし。強いて言うなら、家でゴロゴロする予定だった」
典型的な暇人なのさ! と、麻衣は勢いよく親指を立てて見せた。そのジェスチャーは使いどころ間違ってるけど。
ところが、麻衣は急に表情を暗くした。
「ひっちゃんさ、やっぱりまいっちゃってる感じなんだよね。もしかしたら今日もまだうまく話せないかも」
「……それは分かってるよ。きっと警察も待つつもりで事情聴取に伺わなくなったんじゃないかな」
「うん。わたしもそう思う」
こういう真剣な様子を見ていると、麻衣は優しいな、と心から感じる。きっと、予定が入っていたって僕の取材に付き合い、友人の身を案じて唸ったり顔をしかめたりしていただろう。ちょうど今みたいに。
その点、僕は薄情だよなあ。取材日程をできるだけ早く取れるように希望したり、簡単に妹をまきこんだり。これはもう、妹の爪の垢を煎じて飲まなきゃ治らないレベルだろう。戯言じゃなくて、本気で。
「……ひっちゃん、狙われたりしないよね?」
と、心配そうに、いや、実際に心配してるんだろうな、麻衣が僕の顔を見て呟いた。
「大丈夫だよ、死体を見ただけで犯人を見たわけじゃないし。何より、今狙うと警察のガードの中に飛び込んでいくようなものだからね」
「でも、犯人が馬鹿だったらそういうことも分からないかもしれないし……」
ぽんっと、僕は言葉を遮るようにテーブル越しに麻衣の頭に手を置く。麻衣は、少し震えていた。
「大丈夫だから」
「……うん」
「もし犯人が馬鹿だったら今まで捕まってないことの説明がつかないだろ?」
「……うん、ありがと」
震えがにわかに止まる。どうやら落ち着いたようだ。
「よし、落ち着いたらちゃんと食べないとな。今日はこの後一仕事あるんだし」
麻衣は、うん、と頷いてから、一仕事? と首を傾げた。
「……時兄、下着ドロは犯罪だよ?」
「知ってるよ! 何? 麻衣には僕が下着ドロをする人間に見えるわけ? 取材だよ取材、麻衣も行くだろ?」
「…………」
「黙るな! あ、さてはお前さらに悪い方向へ想像をシフトさせてるだろ!」
とはいえ、下着ドロより変態な犯罪なんて限られてくる。
「違うもん! わたしは時兄が取材と称してひっちゃんを盗撮したりするとは思ってないもん……」
「予想以上に酷かった! ていうか喋りながら自信なくすなよ!」
そもそも昼食時にする話題ではなかった。もしかしたら麻衣は、取材の手伝いってだけでテンパっているのかもしれない。僕もJ会に入部した当初はテンパってたし。
脱線した会話を切って食事を再開した頃には、カルボナーラは既に冷めていた。たった一つ違いとはいえ、手のかかる妹はいつまでも手のかかる妹だった。
昼前まで寝ていたらしいいろりちゃんだけど、時間通りの五分前に僕の家に集合してくれた。余裕というのは本当だったみたいだ。
「制服だね」
「制服よ」
とりあえず、会って最初の会話が下心丸出しだった。いや、確かに僕も制服を着てるんだけど。
「まあ、取材の後は学校行かなきゃだからね、当然と言えば当然なんだけど。昨日の会話の感じでは私服で来てくれそうだったから。多少なりとも期待していた僕は今しばし落胆の感情を抑えきれないというかなんというか……」
「あ、そ」
残念、あれはただの口から出まかせだったようだ。
「いろりさん、今日はよろしくお願いします」
「よろしくね」
「本当のことを言うと、わたしはあまり乗り気じゃないんですけどね」
「そうね、私もよ」
なぬっ? 言い出しっぺはいろりちゃんなのに。乗り気じゃなかったんなら最初から言っといて欲しいよ全く。
とりあえずここに、僕、いろりちゃん、麻衣のちぐはぐな三人組取材チームが出来上がった。
その一年生の名前は比津さんといった。
麻衣がインターホンを鳴らし、来たよー、とマイクに向かって極力明るい声を出す。インターホン越しに聞こえた彼女の声は、まるで比津さんの弱さをそのまま音にしたかのようだった。
ほどなくして、玄関扉の鍵が開く音がする。中から出てきたのは、いろりちゃんと同じく制服姿の女の子。僕は一応電話で話したことはあったけれど、対面したのは初めてだ。
「へ? あれ? 私服なのわたしだけ? もしかしてこれってわたし仲間外れにされちゃってたりするのかな……」
「ストップ。そんなわけないだろ。僕ならともかく、優しい麻衣を仲間外れにして誰がいい思いをするんだよ。お前が戸惑うと比津さんも戸惑っちゃうだろ?」
「そ、そっか、そうだよね、えへへ、ありがと」
「そこ、見せびらかさない」
背中越しに感じるいろりちゃんの視線が心なしか冷たかった。
「ふふっ」
比津さんがクスッと笑った。僕らのやりとりが面白かったのだろうか。確かに麻衣といろりちゃんの掛け合いなら芸になるかもしれない。
とりあえずまだ笑ってる比津さんに家の中に通してもらう。
「今日訪問させてもらったのは、事前に電話で話した通り、目撃した死体について話を聞かせてもらうためだよ」
「時兄、グイグイくるね」
「適当なことを言うな」
茶化す麻衣を叱ると、
「妹を叱るなんて、無駄にお兄さんぽいことをするのね」
いろりちゃんにからかわれた。じゃあどうしろと?
「あ、あの、話しますから喧嘩しないでください」
緊張しているのか、怯えているのか、震えた声で僕らの仲裁をしてくれる比津さん。こんないたいけな子に気を使わせてしまうとは。酷いことをしたなあ、と今更思う。
「ジャーナリスト失格ね」
「いろりちゃんが言うと僕を馬鹿にしているようにしか聞こえないのは何故だろう」
「馬鹿にしてるからよ」
「ですよねー」
酷いのはいろりちゃんの性格だった。
僕らの顔色を窺いながら、比津さんは語り始めた。
「あの日は友達と二人で帰宅してたんです。部活の帰りでした……」
帰る時間が夕方頃になったのはいつも通りのことらしい。だからその日も特に注意はしておらず、むしろ一緒に帰っていた友達が噂を話し始めるまで忘れていたくらいだったとのことだ。
俗に逢魔が時と言われる時間帯。
ただ言われているというだけであって、その言葉自体には意味がないのでここでは特に説明しないが、例の通り魔が人を襲うのはいつもこの時間帯だったらしい。病院に運ばれた被害者の中にも、すでに意識回復している人はもちろんいて、口を揃えて夕方に襲われたと証言しているそうだ。
比津さんの話に戻る。
彼女たちが帰宅途上、死体を発見したのもちょうど日が落ちる頃だったそうだ。比津さんも彼女の友達も怖くてへたり込んでしまい、しばらくして通りかかった人に助けを求めるまで、立ち上がることすらできなかったという。時間帯を考えれば、彼女らが犯人に遭遇しなかったのは本当に幸運だったと思える。
そこで二人が発見した死体は……。
「背中に……三本の太い傷があって……肉が……」
そこまで言ったところで彼女は、顔を覆うように手を当ててブルブルと震え出してしまった。その時のことを思い出してしまったのかもしれない。やはりまだまともに話せるほどに落ち着いてはいないようだ。
「怖いのに話してくれてありがとう。もういいから、落ち着いて休みなさい」
「すみません……」
むしろここまで真剣に協力してくれるだけでありがたい。J会がまともに取り合ってもらえたことなんて数える程しかないからね。莉雨くんもこの子も、その意味で貴重な協力者と言える。
麻衣がついていてあげたいと言ったので、僕といろりちゃんは二人を残して学校に行くことにした。今日聞いた話をまとめてパソコンに保存しておくためだ。
「本当にすみません……」
比津さんが何度目かの謝罪の言葉を口にした。僕は極力優しい笑顔を浮かべて言葉を返す。
「気にしなくていいから、比津さんは何も悪くない」
「そうだよ、悪いのは犯人だから」
麻衣もしっかりとフォローを入れる。あとは麻衣に任せてもよさそうだ。
「三本の傷……ね」
学校への途上。いろりちゃんが眉間にしわを寄せてつぶやいた。
「うん。今まで集めた情報にはそこまで細かい内容はなかったね」
「今まで話題に上らなかった新しい情報ってのが気になるわね……」
新しい情報。タイミングで言えば、僕らが調べ始める前日に確定した情報ということになるけれど。新しい情報、ねえ。
「どうかな。爪が指の先にある以上複数本の傷ができるのは必然だと思うけど。僕にはそこまで重要な情報とは思えないなあ」
そもそも、比津さんも別に意識して言ったわけじゃなさそうだったし。
「これはもしかすると、……もしかするかも」
それでも、いろりちゃんはそこに、何か不穏なものを感じ取ったみたいだった。
the Motley Trio
ちぐはぐな三人組