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POP TUNE  作者: roody
6/6

(6) 冷たい頬

コウイチは、背が高い。

コウイチは、線が細い。

コウイチは、よく乾かした洗濯物の匂いがする。

コウイチの声は少し高く、しゃべり方は陽気で朗らかだ。

だからコウイチは、あの人とまるで違う。

なのに、コウイチと一緒にいるようになってから、あの人の夢を見る回数が増えた。

場面はいつも同じ。

髪の長い女の子と腕を組むあの人が、物言いたげにこちらを見ている。

私はあの人と向き合って、動けずにいる。

いつも、ただそれだけの夢を見る。

目が覚めて、考える。

今の私があの場面にいたら、やっぱり逃げ出してしまうのだろうか、と。

あの日、秋の夕暮れの中、幼い私がしたように。




******************************




休日、待ち合わせた場所になかなか現れないコウイチを待ちながら、オープンテラスで頬杖をついていた。

今日は特に何をするわけでもない。

この前の休日に2人で映画を観て、その前は夕食を食べて家に泊まって、その前はプラネタリウムに行った。

お出かけが多かったから、少し落ち着いて、散歩でもしようか、そんな話をした。

ぼんやりと、誕生日の日のことを思い出す。

24歳なんて、節目でもなく、祝うでもなく、過ぎていくものだと思っていた。

それこそ取り立てて想像したこともなかった。

コウイチとの時間は、幸せそのものだった。

つないだ手や、触れ合う肩の熱、照れ笑いすると必ず鼻の頭を掻く癖、ぼそぼそと、細切れに語られる言葉。



「ユカさん」


「うん?」


「俺、さ」


「うん」


「ユカさんがいてくれて、よかったよ」


「…うん?」


「…また今度、詳しく話すよ」



あの日のコウイチはなんだかすごく緊張していて、

言いたいことは分かっているのになかなか言葉が出てこないようでもじもじしていて、

まるで女の子みたいだった。

きっと家族の中でも、コウイチが一番乙女っぽかったんだろうなあ。

コウイチのお姉さん、どんな人なんだろう。

百戦錬磨っていうからには、バリバリのまつ毛にすごいボリュームの巻き髪、戦闘力抜群!みたいな?

コウイチ、生まれたころから尻に敷かれてたのかな。

取り留めもないことを考えながら一人で含み笑いをしていると、名前を呼ばれた。



「ユカ?」



顔を上げると、そこにあったのは、



「…慎司」



幼い私が逃げ出した、あの顔。

どうしてここにあるのだろう。

私に戸惑って、何かを言い出しそうで、思わず逃げ出したくなる、顔。

でも、束の間に破顔する。くしゃっとして丸くなる笑顔。懐かしい、と思った。



「久しぶり」


「…何年振り?」


「中三の秋だから…俺は、15?8年、9年?ほぼ10年かー。そうなるともう一昔前だな」



泣きそうになる顔を伏せて、目を瞬いてどうにかごまかす。

ふたをしていた思い出が、勢いよく溢れ出す。

よくおしゃべりした公園、掃除当番でごみを捨てに行くときにすれ違った校舎の裏、イヤホンを分け合って聴いた曲、遠出をした電車の窓から見えた景色。



「…何で?何してるの?」


「あ、ああ用事があるんだ。ちょっとな」



座ってもいいか、と聞いて向かいの椅子に腰かける慎司の、優しさに気づいてる。

あの頃から、そういう人だった。

何も言わないけど、すべてをわかっているように動く。

私がどうしてほしいのかを知っていて、いつも先回りして、用意してくれていた。

今だってそうだ。

放っといて行ってしまえばいいのに、泣いている私を一人にできない。



「コーヒーください。2つ。ミルクと砂糖は…いらないです」



私の趣味だって覚えてる。

その優しさが、私の期待を叶えてくれる優しさが、時折すごく苦しかった。

わがままを言いたくないのに嬉しくなってしまう自分が苦しかった。

今も、苦しい。



「なんか、変な感じだな。タイムスリップしたみたいだよ」



走って逃げだしたあの瞬間から、止まってしまった私たちの時間が、

切って貼られたようにここから始まった。そんな風に思えた。

あの時のもどかしさや、恥ずかしさや、後ろめたさが、体の中を暴れまわっている。

でも最もやっかいなものは、恋しさ。

混乱する感情の中で、コウイチの名前を呪文みたいに唱える。

ひっくり返ったおもちゃ箱のように、秩序も落ち着きもなくなってしまった思考を、

呪文で現われたコウイチが一つずつ片づけていく。

そうだ。

コウイチ。

私は今、コウイチを待っている。

今、恋人のコウイチと会えるのを楽しみに待っている。

混乱する必要はない。

目の前にいる慎司は、10年近く前のただの「思い出」だ。

私はその間、彼という「思い出」と、ずっと向き合ってきた。

あの時逃げ出してしまったから。

今なら、もう、大丈夫。

彼自身とだって、向き合えるはずだ。

私はもう年端もいかない女の子じゃない。



「誰かと待ち合わせ?」


「…うん」


「じゃあ、そんなに長くはいられないな」


「え?」


「なんていうか、気まずくないか?説明、しづらいだろうし」



慎司の中には、慎司の思い出がある。

それは、いったいどういう形で残っているんだろう。



「ぜんぜんっ?もう、いい思い出だよ」


「言うなあ」



少し気遣って、けれど柔らかく笑う慎司を見て今なら過去にできると思った。

どんな顔をするんだろうという、意地悪な気持ちもあった。

強がりついでに、言ってやろうと、軽はずみな気持ちで、いかにも気にしていなさそうな口調で。



「浮気現場に鉢合わせして、それっきりっていう、ありがちな思い出」



口に出して言えば心臓はドキドキするし、まだ、コウイチには言っていないけれど。

何でもない事のように話そう。今日であれば話せる。

流れ出した過去の時間を、ありのまま。

それなのに、流れていくだろうはずの時間が、少しだけ止まった。



「やっぱり…、…浮気だと、思ってた?」


「思ってたよ?」


「そうだよなあ…」



だいぶ片付いたおもちゃ箱の中から、一人の少女が現れる。

押し戻そうとするコウイチを飛び越えて、こちらへ向かってくる。

彼女は言った。

あの時、慎司に言いたかった言葉を。



「…やっぱり、違うの?」



慎司が語った過去を、わたしはただうなずいて聞くしかなかった。

髪の長い、顔だちの整った従妹のこと。

叔父家族が長い海外出張から帰ってきて、何年かぶりに再会したので遊びに出かけたこと。

ありがちな話。

些細な誤解。

簡単に解決できたいくつもの問題。

もう、終わってしまった話。



「誤解を解こうと思っても、あれから、口もきいてくれなくなっちゃったもんな」


「ごめん」


「いいよ、何年前だと思ってんの?…一昔前の、思い出話だろ?」


「でも、ごめん。ごめんね、慎司。過去じゃなかったの。誰にも話せなかった。ずっと気にしてたの。あの時、慎司にぶつかっていったら、ちゃんと話していたら、あたしこんなに、引きずらなかったと思う。でも、聞けなかったから…怖かったから」



喋りだせば、止まらなかった。

気持ちも、涙も。

あの時の思い出は、ただの過去ではなかった。

「今」の私の、一部だ。



「怖かったって、何が?」


「…あの時、初めて気づいたの。慎司のこと、すごく好きになってるって。でも慎司は、そうじゃなかったかもしれないって、知るのが怖かった」


「バカだなあ、ユカは。聞いてくれればよかったのに」



止まらない涙を、立ち上がった慎司の右手がすっと拭う。

あの時は見せたことのない大人びた表情で、私の目を見る。



「そしたら、好きだって言えたのに」


「慎司?」


「ああなったのは多分、ユカだけのせいじゃないよ。俺は、ちょっとあれなんだ、強引さってやつ?足りないんだよ」



思い出したように笑う慎司は、この場面にしては清々しく笑う。



「…俺も、怖かった。もう口もききたくないくらい嫌われてんだ、って思ったら、決定的な言葉を言われるかもって。すげえ、好きだったんだ、ユカが。『嫌い』なんて言われたら、生きていけないくらい。たった15のガキのくせになあ」


「あたしも、すごい好きだったよ、…慎司が」



お互い様だな。

そんな言葉で頭を掻いて、慎司は伝票をもって歩き出した。



「慎司!」


「待ち合わせ、彼氏とだろ?先に失礼するわ」


「…どうしてわかるの?」


「座って待ってる時の顔、見覚えあったから。いつも待ち合わせの時、そんな顔してたよ」



今まさに、過去になろうとしている思い出を、私は手繰り寄せたかった。

でも思い出へ続く糸は切れてしまっていて、とても速く遠ざかっていく。

この手に取り戻したところで、どうするというのだろう。

私に何が言えるのだろう。

過去は変えられない。

私はコウイチが好きだ。

大好きな慎司は、私の「思い出」だ。

どんなに胸が苦しくても、解決する方法はない。

どんなに引き止めたくても、それはできない。

私にできることは、ただ、感謝することだけだ。

慎司がいてくれたからこそ、手に入れることのできた「今」に。










**************************









「ユカさん!ごめん乗る電車、乗る電車で遅延してさ…、あれ?誰かいたの?」



空っぽの席に置き去りにされたカップを見て、コウイチが不思議そうに言う。

呆然としていた私は、現われた本物のコウイチを見て慌てて取り繕うとしたけど、

思い直した。

こんな時に、コウイチの前で、自分を取り繕うなんて馬鹿げていた。

私の思っていることなんか、コウイチはすぐに見抜く。

私がしなければいけないのは、しっかりと伝えることだ。



「うん…昔の、…思い出がね…」


「思い出?」


「今、話すよ。ゆっくり聞いて」



泣いてばかりでまともに話せないと思ったけれど、

自分で想像していたよりはずっと上手に話せた。

コウイチは目を伏せていたけど、途中から私の手を握り、適当に相槌を打った。

そうか。

上手に話せたのは、コウイチのおかげだ。

コウイチの相槌に合わせて、私はしゃべっていたのだ。



「そうか、そんな過去があったとはねえ」



機嫌が悪くなるかと思っていたけど、コウイチはあっけらかんとそう言った。

昔の男の思い出を、泣きながら語る彼女を、大したことがないみたいに。



「何も、聞かないの?」


「何もって?もっと何かあんの?実はよりが戻りましたとか?」


「無いよ!なんにも!何言ってるの!」


「でしょ?」


「…ふつう、気になるもんじゃない?いろいろ…」


「俺さ、結構自惚れてるから。ユカさんは俺のことすっげー好きだと思ってるし。もちろん、俺もすげー好きだよ?だからさあ」


「うん」


「過去は、過去だろ?そんで、その全部が、今のユカさんだろ?」


「…うん」


「じゃあ、問題ないっしょ!俺が好きになったのは、今のユカさんなんだから。

 そろそろ出ようか。散歩するなら、日が暮れる前に!」



立ち上がったコウイチは、これ見よがしにずいっと左手を前にだし、

私は笑いながらその手に右手を重ね、街へ歩き出した。

目に見える景色がなんとなく新しく見える。

ここに歩いて来たときよりも、新しくなった私が、コウイチと一緒に同じ道を歩く。






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