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POP TUNE  作者: roody
4/6

(4) 愛の病



「へー、その香水 anticipated で買ったんだー!ちょっと近づいて」



近づきすぎ!!



「スイーツみたいな匂いだわ、真知子ちゃんに似合ってんね」



またそうやって気を引いて!!!!



「え?明日のランチ休憩?いいよーどこ行く?」



もーーーーー我慢できないっっっ!!!!!!



来宮(きのみや)さん、午後の会議の書類に目を通してくれますか」


「えっ、はい、安藤さん」



手に握りしめていたミニ低反発クッションを千切り潰しそうになったとき、

会社でめったに話しかけてこない貴也が書類を差し出した。

はっと我に返り、営業スマイルを取り戻した。

午後の会議?

貴也と一緒に出る会議なんてあったっけ?

覚えのない書類の上には太めの黄色い付箋が貼ってあり、小さな文字でこう書かれていた。



『鬼みてえな顔してんぞ』



もういや!!






****************






「崎田はああやって暇さえあれば女の子に声かけてデートの約束してへらへらベタベタして!」



地下一階の人気のない給湯室で貴也と向き合い、私は思いのたけをぶちまけていた。

成り行きとはいえ付き合い始めて一か月、以前よりまめに連絡を取るようにはなったものの、

私と崎田の間に恋人らしい進展は全くなかった。

それに連絡といっても、夜に15分程度電話で話すくらいだ。

最近は来季の異動に伴う引き継ぎのせいで忙しく、その連絡もすれ違ってばかりになった。

私が早く上がった時は崎田は残業をしていたり、崎田からの電話が来たときにはもう眠ってしまっていたり。

なのに会社に来れば崎田は違う女の子をデートに誘うし、見せつけるようにベタベタするし!!!

私は我慢も限界に来ていた。



「でも、あいつがチャラいのは今に始まったことじゃないだろ?」


「そうだけど!!!仮にも彼女の前であんなことしないでしょ!!!」


「それもお前が『秘密にしてくれ』って言ったんだろ?」


「そうだけど!!!!!」



確かに、私たちが付き合い始めたことは、社内に明かさないことにしよう、と言ったのは私だ。

それはオフィスの中で浮ついた目で見られるのが嫌だったからだ。

それに、崎田は社内ではちょっとしたアイドルだ。(アイドル事務所で言うのも変な話だけど)

この職業は人間関係が生命線だ。誰の協力も欠かせない。

そういう社会で、女の子たちの噂話は脅威的な力を持つ。

『彼女だ』なんて言って余計な波風を立たせたくないし、そんなことで仕事がしにくくなるのはごめんだ。

私はこの仕事が、結構気に入っている。

極力仕事の邪魔はされたくない。



「そういう態度がやつを不安にさせてるんじゃないのか?」


「だって、仕方ないでしょ?働いてるんだし」


「そうだねえ。『あなたと付き合うことは仕事的にはマイナスよ』ってはっきり言うのも、愛かもねえ」


「いや…、そんなつもりじゃ…」



この話をした時の崎田の表情で、薄々感じてはいた。

彼を傷つけないように、もっと慎重に話すべきだったということは。

だけど、崎田は同意してくれたし、他には何も言わなかった。

この方法が自分たちにとって、一番良い方法だと言ってくれた。



「まあ、そう言うしかないだろうな。付き合ってもらってる身としては」


「そんなっ…!」


「だってそうだろ?ユカはあいつに好きだなんて一言も言ってないんだから」


「それは、別に特別な意味が、あるわけじゃなくて」


「特別な気持ちはないから、言えないんだろ」



貴也の言葉に私は慌てた。こんなつまらない誤解はされたくない。

特別な気持ちはない、なんて。



「違うよ、ただ、なんていうかこう」


「なんだよ」


「…………………………恥ずかしくて」


「乙女か!!!!!!!」


「悪いっ!?あたしが乙女で!!!!」


「はは、ひーっ、いや、あの、仕事サイボーグだのなんだのと言われていた来宮ユカ次期主任がねえ…ひっひ」



体を折り曲げ、腹を抱えて大笑いする貴也を見て、

貴也なんかに言うんじゃなかった!!と、こんな話を貴也にしか言えない自分の付き合いの悪さを呪った。

貴也の言うとおり、こんな事態になる前は、私は仕事のことしか考えていなかった。

まだまだ下っ端だけど、社内で一番残業もしていたし、営業で回った場所数も断トツだ。

かわいい女の子を誰よりもかわいく飾って、みんなに認めてもらうこと。

それが自分の喜びだった。

初恋以来、恋を遠ざけてきたせいで、女の子らしいことともほぼ無縁だったから、

かわいい女の子たちを見るたびに、今とは違う自分の人生を重ねていたのかもしれない。

でも、崎田が現れたせいで、私の人生は、少しずつ変わってきた。



「とにかくっ!もう我慢の限界なのっ!もう見てらんない!!」


「それで?」


「それでっ、て……」


「それで、はそれでだよ。どうするんだ?」


「どうするって…」


「崎田に言うのか、言わないのか」


「……言えないよ、こんなこと…」


「出たよ優柔不断女」


「ねえ、この前から思ってたけど、貴也最近あたしに厳しいよね?」


「ユカは最近だらしねえよな」


「そんなことない!」


「いーや、あるね。俺はユカの決断の速さと的確さは割と尊敬してたんだぜ?

 仕事だけじゃない。仲の悪いスタッフの間に入って仲をとり持てば、宴会の段取りは完璧、男女ともに信頼されるスーパーサブの来宮ユカが、お前だろ?

 それがあんなチャラい男が絡んだだけでこうなるとは、つくづくわからんもんだな」



私もつくづく、自分がわからない。

私はもう以前の私じゃない。

以前なら言いたくても言えない、そんなことはなかった。

必要だと思えば身を切るようなことも言った。涙を飲むようなことも耐えられたし、泥をかぶっても平気だった。

でも、今は、崎田に何か言おうとしても、当たり障りのないことしか言えなくなってしまった。

崎田が解いてくれたように思っていた恋愛に対する恐怖は、

無くなったように思っていても、私の中にしつこく残っているのだ。

たまらなくなってテーブルの上で組まれた指先を見つめる。



「そう思いつめんなよ。今回もお迎えが来たみたいだぜ、ほら」



地下に下りる階段の音が近づいてくるにつれ、足元から姿が現れた。

見覚えのあるブラウンの革靴に細身のスラックス。

階段からまっすぐこちらに歩いてくる表情にさっきまでのへらへらした笑顔はない。



「ユカさんお借りしたいんすけど、ちょっといいすか?」






****************






貴也がにやにやしながらこの給湯室を去って行ったあと、

いつも笑っている崎田が笑っていないので、私たちの間には気まずい沈黙が流れた。



「安藤さんと、何話してたんすか?」



いきなり核心を突かれた。

こういうところがあるから油断できない、崎田って。



「何って…何も…」


「何もないけど、こういう人気のない場所に来るんすか?誰とでも?」


「そういうわけじゃないけど…」


「じゃあどういうわけがあるんですか?」



まるで尋問をされているような口調には、心底頭にきた。

まるで私にやましい所があるかのような言い方だ。

しかも、自分には何もやましいところが無いみたいに!

自分はあんなにどうどうと女の子をナンパしておいて!?

私はついに堪忍袋の緒が切れた。



「会社内のどこで誰と何しようが、あたしの勝手でしょ!社内のいたるところで女の子ナンパしてるような人に言われたくないわよ!!」


「そんなの、今に始まったことじゃないじゃないすか!」


「自分で言う!?そういうこと!」


「俺には俺なりの付き合い方ってもんがあるんすよ!急に変えたらみんな怪しむに決まってるじゃないすか!それに俺が、何のためにこんなことしてると思うんすか!!」


「何のためよ!言ってみなさいよ!たくさんの女の子とご飯食べるためでしょ!」


「ユカさんに嫉妬してほしいからだよ!!!!」



ああ、今の俺死ぬほどかっこ悪い。

呆然と崎田を見つめる私の前で、癖のように眉間を抑えた。

崎田が私の前でこんな風に頭を抱えるのは、いったい何度目だろう。

私はいつも、崎田の気持ちがわからなくて、崎田を傷つけてしまう。



「なんでそんなこと」


「俺だって、不安なんすよ」



絞り出すような声に、私の怒りは急速に冷えて行った。

貴也の言ったとおりだった。

私が思っている以上に、崎田は不安を感じていたのだ。



「どうすればいい?」


「え?」


「…どうすれば、崎田の不安を消せる?」



今度は、崎田が呆然と私を見返した。



「これ、夢すか?」


「夢じゃない」



そう言うと、崎田はきょろきょろ周りを見回したり、頬をつねったり、突然挙動不審になった。




「じゃあ、えっと、あの、そうっすね、どうしよっかな、え?あ、ここ会社っすよね…」


「どうしたの?」


「いや、これが都合のいい俺の妄想じゃなかったら、こんなこと言ったら呆れられると思ってて…」


「なんで?」


「だって、いつものユカさんなら、『そんなつまらないことを考えてたの?』って言われるかなーと…」


「…そう言ってもいいけど」


「いや、今のユカさんでお願いします!!ぜひそのままで!!!」



そうっすね…、と崎田は探偵のように顎に手を当て、私を見た。

そして思いついたように目を見開いた。



「名前」


「名前?」


「はい。名前で、呼んでください」


「名前って…、コウイチ?」


「そうっす。それで、俺を今日のディナーに誘ってください」


「ディナーって、なんのためにあたしがそんな風に!」


「俺のために」



崎田は、私が照れ隠しに後ろに回した手を探り当て、しっかりと握った。

握られたての熱と、期待に応える気恥ずかしさで、心拍数が跳ね上がる。



「コウイチ」


「目を見て」


「…。コウイチ」



間近にある崎田の、コウイチの顔は、いやに艶っぽく、知らない男のようだった。

伏し目がちになってしまう自分を奮い立たせて、なんとかセリフを吐きだす。



「今夜」


「はい」


「ご飯を食べない?」


「…できれば、もっと色っぽくお願いします」


「色っぽくって…」



熱でくらくらし始めた頭に、コウイチがささやきかける。

なんて言っていいのかわからない。



「コウイチ、今夜…、…ずっと一緒にいない?」


「喜んで」



そういうと、コウイチの腕に引き寄せられ、瞬きの瞬間にキスをされた。

一瞬何をされたのか分からず、何をされたのか分かったころには、私はコウイチの腕の中にいた。

初めて抱きしめられた男の人の体は硬く、熱かった。

そして少しだけ苦しい。



「でも、意外」


「何が?」


「コウイチって、もっと余裕のあるほうだと思ってた」



コウイチは私の耳の横で短く息を漏らして、自嘲するように笑った。



「俺も、そうだと思ってたんすけどね…」



どうやら、変わり始めたのは私だけではないようだ。

私たちは、少しずつだけど確かに影響し合い、お互いに変化している。

そのことが私を、そしてコウイチを、なんとなく安心させた。



「あと、安藤さんと二人っきりになるのは、できるだけやめてください」


「貴也は友達だよ?」


「それも。名前で呼び合う二人、っていうのが、さらに面白くないっす」



初めて男の人に嫉妬された私は、コウイチの気持ちがなんとなくわかった。

嫉妬されるのは、うっとおしいかもしれないけど、かなり、嬉しい。

抱き合う体の熱さが、そのまま気持ちの熱さみたいに感じられる。

こんな風に伝わる気持ちがあることを、こんな喜びがあることを、私は知らなかった。

私は、私に向けられた言葉と体を抱きしめなおた。



「好きだよ、コウイチ」



コウイチも、そんな風に感じてくれているといい。





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