第2章、影の中の君
雨上がりの夜、街は水たまりに映る光で揺れていた。私は無意識に足を止め、濡れた歩道を見下ろす。靴底に跳ね返る水滴の感触が、胸の奥をざわつかせる。
そのとき、目の端に、誰かの影を捉えた。人影は濡れた舗道の上で、私をじっと見つめている。雨はもう止んでいたのに、空気は湿り、街灯の光に影が揺れる。
「……誰?」
思わず声が出る。
返事はない。ただ、影が少しだけ前に進んだだけだった。
足が勝手に動き、私は影に近づいた。近づくほど、心臓の鼓動が早くなる。触れたい、でも怖い。手を伸ばせば消えてしまいそうで、踏み出すのが怖い。でも、逃げることもできない。
「待って……」
影が口を開いた――と言うより、声が私の胸の中に直接響いた気がした。空気ではなく、心に触れられたような感覚。
「大丈夫……」
それだけで、胸の奥の緊張が少し緩む。
影は言葉少なに、でも確かに存在している。「私」を見ている。「私」がここにいることを、認めてくれる存在。
「あなた……」
口に出した瞬間、後悔が押し寄せた。名前を呼ぶのは早すぎる。私はまだ、誰に触れられてもいいか、信じられない。
でも、心の奥底で求めている。
触れられること、認められること、存在を肯定されることを。
影は、雨の夜に浮かぶ光のように、ただそこにあった。姿ははっきりとは見えない。手の形も、顔も、声も――けれど存在感だけが、確かにあった。
私は一歩、二歩と近づく。
そして、自分でも驚くほど自然に、胸の奥の孤独を影に押し付けるようにして、言葉を吐き出した。
「私……ひとりじゃ、耐えられない」
影は微かに傾き、そして静かに頷いた。
その動作は、まるで私の心に寄り添うようだった。
「……わかる」
声は、柔らかくも冷たくもなく、ただ私の孤独を肯定してくれた。
その夜、私は街灯の下で長く影と向き合った。
触れられない。名前も知らない。けれど、存在してくれる。それだけで、心の奥の小さな炎が揺れた。
孤独の深さを知る私にとって、影の存在は、光でもあり、罠でもあった。
触れられぬ現実に心を寄せることの危うさを、私はまだ理解できない。
ただ、影の中の君は、確かにそこにあった。
雨の匂いと水たまりの光に紛れながら、私の孤独を映す鏡のように、揺れていた。
ありがとうございました。
感想をいただけるとありがたいです。




