エッセイを書きたい
『エッセイを書きたい』という感情が、いまこの文章を書かせている。
いったい何に対してのエッセイなのか。
いったいこの文章は何を求めているのか。
それは、書いている私自身にもよく分からない。
ただ、「物語は結構な量を書いたし、そろそろエッセイでも」という、あいまいな気配が脳裏に漂っていることは確かだ。その気配に背中を押されるようにして、私はいま、エッセイについてのエッセイを書いている。
動機不順と言われれば、その通りだと思う。
けれど、書きたいという衝動を、理由が曖昧だというだけで退けてしまうのは、やはり惜しい気がする。私の執筆は、頭の中に閃いたものを、とりあえず書いてみるところから始まる。意味や価値は、そのあとでついてくればいい。
空想科学の突飛な仮定や、日常に紛れた社会への違和感、あるいは「なぜ人は書くのか」といった答えの出ない問い。そうしたものを、思いつくままに文章へ流し込む時間が、ただ楽しい。
でも、それらは大抵、メモ帳の中で留まり、誰にも読まれないまま風化していく。いつになったら「絵本の中の句読点は、読者に合わせて呼吸していた。」の先を書くつもりなのだ? だから今日は投稿する。この駄文を。
誰かに読まれることや、評価されることを、気にしていないと言えるほど、私は強くない。けれど、それを目的にしてしまうと、注目されやすい話題や、無難な一般論に寄ってしまう気がしている。
この文章がエッセイと呼べるのかどうかも、正直なところ分からない。
明日になれば、書きたい衝動そのものが、嘘のように消えているかもしれない。
それでも、少なくとも今は、こうして書いている。
理由が定まらないまま、形も曖昧なまま、言葉だけが先に進んでいく。
──たぶん、それもまた、私にとってのエッセイなのだと思う。




