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深海を越えて

AERIS-Lが霧の彼方へ消えた直後だった。俺たちの乗る《ネレウス》の艦内に、鋭い警告音が鳴り響いた。


『警告! ミサイル投下型ハンタードローン群、本艦上方に先行投入された模様! 深度調整完了後、半自律展開します!』


「鼻先に撒かれてたってことか!」イソベさんの唸る声が響く。「こっちの進路、読まれてやがったのか!」


俺は目を閉じ、意識を集中する。《思考同調者》の感覚が、冷たく、無機質で、飢えた“殺意”の群れを捉えていた。それは、まるで鋼鉄の鮫の群れ。獲物である俺たちの航跡を、執拗に嗅ぎ回っている。


「前方から来る! 数えきれないほどの群れ(スウォーム)だ!」


『回避軌道、最短離脱ベクトル! 迎撃手段は!?』ユキさんの冷静な思念が飛ぶ。

『航跡分散プロトコル起動! 音響ノイズビーコン射出!』


艦体が震え、後方へ複数のダミーが射出される。水中に波紋のような干渉帯が広がり、敵ドローンの思考の半分がそちらへ逸れたのを俺は感じた。

『ひっかかったな、バカ共!』イソベさんの低い笑い声。


だが、残りの半数は、寸分の狂いもなく俺たちを追ってくる。


『第二派を検知! 別軌道から高速接近中!』

AIの警告と、俺が感じ取った新たな殺意は同時だった。

『回避確率37%! 新手は初期捕捉アルゴリズムを強化、前回の欺瞞は効果薄!』


「手の内を変える!」ユキさんの思考は鋼のように鋭い。『第六ハッチ開放、バースト・ベイビー展開!』

艇体下部から放出された無数のカプセルが、電磁振動と音響を放ち、“擬似目標”としてハンタードローンの群れを乱す。


『敵群の一部が分裂、同士討ちの兆候あり!』

『最大加速! 圧力限界まで引き離せ!』


ネレウスは、まるで深海を駆ける黒い槍のように加速する。だが、敵の追跡はなおも執拗だった。


『前方海域に異常波形――高密度音響反応! 敵の最終防衛ラインと推定!』

艦AIの警告に、俺は息を呑んだ。それは、物理的な壁だ。思考のない、ただそこにあるだけの、純粋な破壊の奔流。


『回避不可能か?』

『圧力干渉波は広域に拡散中。突破には衝撃吸収ジェル層の展開が必要』

『やれ。航路優先。圧壊防止モード起動!』


次の瞬間、艦内全体がECSジェルの厚みを増し、俺たちの身体を完全に固定する。

『接触まで15秒! 衝撃警告――!』


轟音なき衝撃。

艦全体が、巨大な鉄槌で殴りつけられたかのように軋み、捻じれた。音はない。ただ、骨の髄まで響くような凄まじい振動だけが、俺たちの意識を揺さぶる。


『左舷第2区画に微細応力の偏差検知! 内部フレーム3%過負荷!』

ネレウスAIが淡々と告げる。


『損傷、左舷第2区画! 隔壁自動遮断!』

『艦体、持つか!?』ナオミさんの悲鳴のような思念。


『あと二発までは……たぶんな』

『それ以上来たら?』

『祈れ』


ユキさんの思考は、どこまでも冷静だった。俺は目を閉じ、再び敵の思考の奔流に意識を潜らせる。ただ、祈るように。



それから一時間が、永遠のように感じられた。

艦は音もなく、最後の防衛圏を突き抜け、敵の追尾反応が完全に消え去った時、艦内にようやく安堵の空気が漂いはじめた。


それから一時間が、永遠のように感じられた。

艦は音もなく、最後の防衛圏を突き抜け、敵の追尾反応が完全に消え去った時、艦内にようやく安堵の空気が漂いはじめた。


『……ようやく、少し息ができる感じね』

『いつも思うんだけどさ、深海って空より怖いよな。見えねぇし、音もしねぇし、敵出てきたら上下どっちかすらわからん』

ナオミさんとイソベさんの軽口が、張り詰めていた俺たちの心を少しだけ解きほぐす。


『AERIS-Lを使った時点で、位置はバレるって覚悟してたしな』

『博士を生かすには、あれしかなかった』

『それに、博士は生きてる』

『……それが全てだ』


ユキさんの言葉に、誰も返さなかった。沈黙が、俺たちの戦果を静かに肯定していた。


やがて、ネレウスは太平洋上の合流ポイント、深度1000mへと到達した。

メインディスプレイに、前方に待機する巨大な水中構造物の音紋がゆっくりと浮かび上がる。そのサイズと形状は、通常の潜水艦とは比較にならないほど巨大で、まるで海底山脈の一部が意思を持って移動しているかのようだ。


「目標、距離15キロ。識別コード、『カイリュウ』。我が軍のドローン母艦だ」カンザキさんが冷静に報告する。


『おいおい、マジかよ…噂には聞いてたが、VFの新型ドローン母艦ってのは、本当に潜水空母だったんだな。こいつなら、世界中のどこへでもドローン部隊を秘密裏に展開できるわけだ』イソベさんの、緊張と安堵の入り混じった声。

『ネレウスですらあのサイズなのに、それを丸ごと飲み込むっていうんだから、規格外よね。まさに『海龍』って名前がぴったりだわ』


やがて、カイリュウの艦体中央下部に設けられた巨大なドッキングベイのハッチが、重厚な金属音とも水圧の変化音ともつかない独特の響きと共に、ゆっくりと内側へスライドして開いていく。ベイ内部から、淡い誘導灯の光が深海へと漏れ出した。

ネレウスは、まるで巨大な鯨の口に吸い込まれる小魚のように、カイリュウのドッキングベイへと静かに進入していく。


数分後、艦体に軽い衝撃と共に固定アームが船体を確実に保持する振動が伝わり、ベイの外部ハッチが再び重々しく閉鎖された。直後、ベイ内の海水が急速に排水され始め、ネレウスの周囲の水位がみるみる下がっていく。


「ドッキング完了。ベイ内、与圧開始」


アナウンスが響き、俺たちはようやく装備を解いた。

ユキさんに続き、ネレウスを降り、カイリュウの広大な艦内通路へと足を踏み入れる。機能的だが無機質な、まさに移動する秘密基地。すれ違うカイリュウの乗組員は数えるほどしかおらず、彼らは俺たちに軽く敬礼するだけで、余計な言葉は交わさない。


俺たちに割り当てられた待機区画は、簡素だが清潔な個室だった。シャワーを浴びて戦闘服から軽装の艦内着に着替えると、数日ぶりに人間らしい感覚が戻ってきた気がした。俺はベッドに倒れ込むように座り、深く、長い息を吐く。アドレナリンが抜けきった身体は、鉛のように重かった。


部屋のコンソールに、ユキさんからの短いメッセージが表示される。『2時間の休息後、ブリーフィングルームに集合』。たった2時間。だが、今の俺たちには砂漠のオアシスのように貴重な時間だった。俺は目を閉じ、意識を手放すように、浅い眠りに落ちていった。



2時間後。ブリーフィングルームに通された俺たちは、カイリュウの艦長である女性大佐から短い労いの言葉と、帰国までのスケジュール説明を受けた。篠田博士を乗せたAERIS-Lは、既に台湾軍の護衛部隊と共に別の小型母艦へ帰投し、厳重な医療体制下にあるとのことだった。俺たちの任務は、完全に成功したのだ。


「――本艦はこれより、戦略的に安全と判断された公海上まで浮上する」


艦長の言葉を合図に、ブリーフィングルームのメインスクリーンに、カイリュウの外部カメラの映像が映し出された。

深度1000m。そこは光の届かない、完全な闇の世界だった。だが、艦体がゆっくりと上昇を始めると、スクリーンの中の景色が変わり始める。


闇の中に、深海生物が放つ燐光が、まるで星々のように流れ去っていく。やがて、その闇が徐々に藍色へと変わっていく。深度500m。さらに上昇すると、藍色は群青色へ、そしてコバルトブルーへと、美しいグラデーションを描きながら明るさを増していく。艦内に響く駆動音が、水中を進む重低音から、水を押し上げる力強い唸りへと変わっていくのがわかった。


深度50m。スクリーンは、どこまでも続く青い世界に満たされた。そして、太陽の光が、まるで天からの光のカーテンのように、海中に差し込んでいるのが見えた。


「艦体、通常浮上完了。飛行甲板ハッチ、開放準備」


最後の数メートルを上がりきった瞬間、スクリーンは真っ白な光に包まれ、次の瞬間、どこまでも広がる蒼穹と、きらめく水平線が映し出された。深海の圧殺されるような闇から、生命に満たた光の世界へ。俺は、そのあまりにドラマチックな光景に、息を呑んだ。


「白川一尉、準備が整い次第、輸送機へご搭乗ください」艦長からの通信が入る。

ユキさんは頷き、俺たちに声をかけた。「帰るぞ」


俺たちは、カイリュウの巨大な艦内エレベーターで、飛行甲板レベルまで上昇した。

目の前の巨大なハッチが、まるで巨大な生物の甲羅が開くように、重厚な音を立てて左右にスライドしていく。

その瞬間、湿り気と塩の匂いをたっぷりと含んだ、新鮮な海風が俺たちの頬を撫でた。太陽の光が目に眩しい。ずっと人工的な環境にいた身体が、自然の空気に歓喜しているのがわかった。


開かれたハッチの向こうには、広大な飛行甲板と、その中央に駐機された流線形のステルス輸送機が姿を現していた。全長20メートルほどの、俺たちVF隊員専用の高速帰還機だ。

俺たちはタラップを上がり、機内に乗り込む。そこには簡素だが機能的な座席が並んでいた。


ハッチが閉じ、機内の気圧が調整される。窓の外には、浮上した潜水空母カイリュウの巨大なシルエットと、どこまでも続く水平線が見えた。

『ヴァリアブル・フォース輸送機07、発進許可。ルートクリア』

カイリュウ管制からの最後の通信。


次の瞬間、輸送機のエンジンが静かに、しかし力強く起動し、機体は垂直に上昇を開始した。あっという間にカイリュウの姿が眼下に小さくなり、機は日本本土へ向けて一直線に加速していく。

機内では、ようやく肩の力を抜いた隊員たちの、安堵のため息が漏れた。

イソベさんが早速軽口を叩き始め、ナオミさんがそれに突っ込み、カンザキさんは黙って窓の外を眺めている。


俺は、シートに深く身を沈め、窓の外を流れる雲を見つめていた。

追放されたあの日から、まだ1ヶ月しか経っていない。だが、俺が見ている世界は、もうあの頃とは全く違っていた。

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