AIたちの国家連合
潜水艦の艦内は、静寂に包まれていた。聞こえるのは、船体が水を切る微かな駆動音と、篠田博士の生命維持装置が発する規則的な電子音だけだ。俺は博士の傍らで、バイタルモニターの数値が安定していることを確認し、ようやく張り詰めていた息を吐いた。
『……博士の容態は?』
ユキさんの冷静な思念が飛んでくる。
「応急処置は完了しました。ですが、これ以上のG負荷は致命傷になりかねない。スカイフックでの回収は……不可能です」
俺の言葉は、チーム全員に重い事実を突きつけた。最速の脱出手段を失った。それは、敵AI『天網』の追撃に捕捉される確率が跳ね上がったことを意味する。
イソベさんが、ソナーディスプレイから顔を上げずに、どこか投げやりな口調で呟いた。
『おいおい、そりゃ無理ゲーってやつだろ。まさか博士担いで太平洋横断レースでもしろってか? それとも…何かウルトラCでもあるってのか、隊長?』
その時、艦内のメインディスプレイが明滅し、ネレウスAIからの緊急通達が表示された。
《提案:医療維持機能に特化した高高度強襲輸送機AERIS-Lによる搬送が、現時点での博士の生存確率を最大化します》
『AERIS-Lですって!?』ナオミさんの焦った声が響く。『本国のVF所属機を要請しても、深圳沖に到達するまで最低3時間はかかる! それまで博士の容態が…!』
誰もが絶望的な状況を理解した、その瞬間。
ユキさんが、静かに、しかし確信を込めて言った。
『――心配は無用だ。今回我々をピックアップするAERIS-Lは、我が国のものではない』
一瞬の沈黙。ユキさんは、ネレウスAIから送られてきた、信じがたい情報を俺たちに共有した。
『――社会最適化国連合の緊急時プロトコルに基づき、台湾軍所属のAERIS-L特殊医療回収部隊が、既に数時間前より指定空域に展開していた。我が国の統括AI『グラヴィス』が、台湾軍の統括AI『玉山』と直接戦略調整を行い、承認済みだ。ETA(到着予測時刻)は、プラス20分』
「……は?」
思わず声が出た。AI同士が、国境を越えて、俺たちの知らないところで戦略を練り、既に実行部隊を動かしていた?
『そりゃまた、話が太平洋スケールになってきたな。台湾の連中が助けに来てくれるってか!』
イソベさんの軽口にも、隠しきれない驚愕が滲んでいる。
『……なるほど。我々現場レベルには開示されていなかった、最上級の秘匿情報か』
カンザキさんは冷静に状況を分析し、AIの判断の合理性を受け入れているようだった。
俺は、ただ息を呑む。俺たちの必死の戦いも、博士の負傷という変数さえも、AIたちにとっては計算済みの事象だったというのか。その計り知れない先見性に、畏怖と、どこか人間が介在できない領域で物事が進むことへの、複雑な感情が湧き上がった。
◇
20分後。
『リフトユニット、視認圏内に突入。接続まで残り60秒』
ネレウスAIの冷静な声が響くと同時に、艦内のメインモニターに、上空の状況が映し出された。霧を突き破って降下してくる3機のAERIS-L。
『接近確認。AERIS-L磁力コネクター展開開始。艦の浮上プロファイル同期完了』
3機編隊のうち、2機が先行して、予定ポイントで静止する。その姿は、本命機に劣らぬ威容を誇っていた。
『ネレウス、報告。敵反応、デコイ1、2に集中!』ネレウスAIの警告が響く。『高密度な電子探査波が海面上に展開! ミサイル系統ロック、照準確認! 迎撃準備中!』
モニターのフラッシュマップが赤く点滅する。デコイAERIS-Lの上空に、複数の航空目標が襲いかかるように迫っていた。
『敵、完全に食いついたな……』イソベさんの低く唸るような声。
『おとりにしては、あまりに豪華すぎる』ナオミさんの皮肉混じりの声には、安堵と同時に、AIの冷徹な計算に対する複雑な感情が滲む。
『本命が撃ち落とされなきゃいい。あとは時間稼ぎだ』ユキさんの声は変わらず冷静だった。
ベント音とともにネレウスはゆっくりと海面へ浮上し、回収ポッド格納ハッチを開いた。
海面に影が落ち、霧を突き破るように降下してきた本命のAERIS-Lが、ケーブルを一直線に降下させてくる。
ネレウスとAERIS-Lが体制制御をリンクする中、まるで空に引き寄せられるように、博士と俺の乗る医療ポッドは艦体を離れ、ゆっくりと上昇していった。
AERIS-Lの機内へと吸い込まれ、俺はすぐに博士を最新鋭の医療モニターに接続する。バイタルが安定していることを確認した、その瞬間。
チーム全員の通信リンクに、落ち着いた英語の音声が響いた。
『This is AERIS-L One to Nereus. Patient is onboard and secure. Our medical team confirms vitals are stable. He's in good hands.』
(こちらAERIS-L 1よりネレウスへ。対象者は艦内に収容、安全を確保した。医療チームがバイタルの安定を確認。ご安心を)
《レゾスキン》を通じて、ネレウス艦橋のナオミさんから安堵のため息が、イソベさんからは短く「上出来だ」という満足げな思念が伝わってくる。最大の難関は、越えた。
ユキさんの静かな声が、その安堵を断ち切るように響く。
『雑談はそのくらいにしておけ。全神経を集中させろ』
その一言で、俺たちの意識は再び作戦中の緊張感を取り戻した。俺は博士のバイタルデータをじっと見つめる。俺たちの、まだ終わらない任務を、ただ遂行するために。




