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賭けられた変数

「それは、あなたが、これからどう行動するかで決まります」


ユキさんの静かな、しかし有無を言わせぬ言葉が、白い研究室に響き渡る。

俺は銃口を博士に向けながらも、意識の半分を敵AI『天網』の思考の奔流に向けていた。奴はまだ、カンザキさんたちが仕掛けたウイルスと格闘している。だが、その思考が完全に回復し、俺たちに牙を剥くまで、もう時間はない。


篠田博士は数秒、じっとユキさんの顔を見ていた。そして、俺とナオミさんに視線を移す。

その瞬間、俺は博士の思考の断片を“感じた”。

(――AIの最適解ではない。恐怖でもない。この者たちの動きは、まるで一つの生命体のようだ。特に……あの少年)

博士の視線が、俺を射抜く。まるで、俺の能力の正体に気づいているかのように。


やがて博士の口元に、微かな笑みのようなものが浮かんだ。

「……君たちは【ユニーク】だな。面白い。ならば私は、君たちに賭けることにする」


ユキさんが一歩進み、博士に手を差し出す。博士が立ち上がり、無言でそれを取った。

その瞬間、俺は感じた。

『天網』の思考が、ウイルスを完全に排除した。そして、凄まじい“殺意”が、この部屋にいる俺たちという“異物”に集中するのを。


「来る! AIが完全に回復した!」


俺の警告と同時に、施設全体の灯りが一斉に落ち、赤色の非常照明が点滅を始めた。


『ドローン展開多数! ケルベロス発動の兆候あり!』ナオミさんの声が響く。


「回収ポイントへ向かう!」


ユキさんの号令で、俺たちは博士を中央に挟むようにして、研究棟の北側補助通路へと駆け出した。

その背後で、天井が開き、自律型球体ドローンが音もなく降下してくる。


『照射兵器、作動準備――』ナオミさんの警告より早く、俺はドローンの思考を読んでいた。

「右に跳べ!」

俺の叫びに、ユキさんとナオミさんがコンマ数秒で反応する。俺たちがいた空間を、高出力レーザーが焼き尽くした。


「脱出ポイントまで、あと60秒!」

俺たちは走る。通路を、階段を、ケーブルの垂れる冷却管の隙間を抜けて。床を伝わる振動が、重量級の戦闘AI兵器――ケルベロスユニットの接近を告げていた。


『予定通り。接触される前に出る』とユキさん。

しかしその直後、俺は感じた。見落としていた、壁の残骸に潜む自動迎撃砲塔の、冷たい殺意の思考を。

「博士、伏せろ!」

俺の警告は、乾いた破裂音に遮られた。


「――被弾ッ!」


振り返ると、篠田博士が左肩を赤く染めて、崩れ落ちていた。

「担ぐわよ!」

ナオミさんが迷いなく博士の脇に滑り込み、その身体を丸ごと背負う。博士の体重を感じさせない、鍛え上げられた動き。


『あと30秒! 海岸まで120メートル!』俺は前方の思考を探りながら叫ぶ。

その先に、新たな殺意の反応。

『右上、ドローン二体!』


ユキさんが足を止め、磁束収束ライフルを構える。俺は、敵ドローンの思考――その照準アルゴリズム、回避パターンの予測――を読み取り、ユキさんの意識に直接送り込んだ。

『――リンクした』

ユキさんの短い思念。高密度金属コア弾が音もなく二発発射され、ドローンは反応すらできず沈黙した。


出口の非常扉を駆け抜け、霧に包まれた夜の海が広がる。

波打ち際に、カンザキさんとイソベさんの姿があった。

「遅かったな」

「誤差3秒。計画内だ」


その瞬間、沖合の海面が陥没し、黒い影――潜水艦ネレウス・ファイブが霧を切り裂いて浮上した。

ハッチが開き、俺たちは雪崩れ込むように艦内へ飛び込む。



艦内に移動し、博士をストレッチャーに移した瞬間、俺は彼の体内から発せられる悲鳴のような思考を感じた。

「ダメだ、出血がひどすぎる! ナオミさん、止血ブロッカーを!」


俺は即座にメディカルモジュールを起動し、ナノサージェリー用アームを展開する。3ヶ月の訓練には、こうした緊急医療も含まれていた。《思考同調者》の能力は、人体の微細な損傷を探知するのにも応用できた。


「左鎖骨下動脈、断裂。肺にも穿孔。バイタル連動、補正係数0.7でリンクを!」

「了解!」

俺は損傷部位の“思考”を読み、ナオミさんは物理的な処置を行う。俺たちの連携は、完璧だった。人工血管が繋がり、バイタルがわずかに安定する。

「……間に合った」

俺が深く息を吐いた、その時。


『戦闘加速準備。全乗員、ECSジェル展開』

艦内アナウンスに、俺は叫んだ。

「博士には使えない! ジェル圧で肺が潰れる!」


ユキさんは一瞬も迷わなかった。

『ECSモードキャンセル。緊急医療航行モードに切り替え。博士の生命維持を最優先とする』


艦AIが即座に応じる。

『認証完了。最大加速度を制限。スカイフック到達時刻、ETAプラス8分30秒。航行ステルス性を10%低下、敵に捕捉される可能性、65%』


イソベさんが息を呑むのがわかった。生きて帰るための速度と隠密性を捨て、博士一人の命を優先する。それは、AIなら決して下さない、あまりにも人間的な決断だった。


ユキさんは、静かに揺れるストレッチャーを見つめていた。

『許容する。生かして帰すのが、我々の任務だ』


その横顔に浮かぶ覚悟を、俺はただ、見つめていた。

海中で、《ネレウス》は静かに、だが確かな意志を持って、新たな航路へと進路を変えた。

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