300秒の変数
訓練の日々から1ヶ月後。俺たち《スノーブレイク》は、作戦実行を目前にして最終ブリーフィングルームに集っていた。1ヶ月前、ただ圧倒されるだけだったこの部屋の緊張感も、今では心地よい静寂にさえ感じられる。
「――はじめる」
指揮官、白川ユキの短い声が響く。
もはや合図は不要だった。俺たちは無言でホログラムを囲む。ナオミさんがリスク評価係数を、カンザキさんが敵施設の三次元ノード構造を展開する。3ヶ月前には理解不能な光の洪水だったデータが、今では明確な意味を持つ戦場の地図として俺の頭に入ってくる。
ユキが、最終確認だと前置きしてノイズ混じりのバイタル波形を映し出した。
「目標は、大華統合体(GCU)の第7技術開発廠に囚われている篠田博士。我々に与えられた命令は“奪還」
その言葉の冷たい意味を、俺たちは疾うに覚悟している。
イソベさんが腕を組み、モニターを睨んだ。
「で、基本戦術は例のやつで変更なしか? 敵のAI『天網』は、こっちのシミュレーションの1.5倍は賢いと見るべきだぜ」
「基本に変わりはない」ユキは静かに応じると、俺を見た。
「カンザキとイソベが物理的・電子的な攪乱で敵の“システム”を揺さぶる。だが、それだけでは『天網』の思考そのものは止められない。そこで――」
「俺の出番、ですね」
俺がそう言うと、ユキはわずかに頷いた。
《思考同調者》。
3ヶ月前、初めて告げられたその名に感じたのは、戸惑いと重圧だけだった。だが、今は違う。数えきれないほどのシミュレーションを潜り抜け、俺の「ノイズ」は、今やこのチームの戦術に不可欠な羅針盤となっていた。
「相変わらず、とんでもねえ作戦だよな。俺たちが派手に暴れて、敵AIの注意を引いてる間に、一番大事な索敵をアキトの“勘”頼みでやるってんだから」
イソベさんはそう言って、ニヤリと笑った。もうその言葉に揶揄の色はない。全幅の信頼だ。
「アキトくんの“勘”は、AIの予測を超えるんだから!私、信じてるよ」
ナオミさんの言葉も、今では心強いエールだ。カンザキさんも、無言ではあるが、俺の能力を前提として彼女のハッキングプランを組み立てている。
「潜入は《サイレント・レイン》」
ユキが告げると、ナオミさんが「うへぇ」と顔をしかめた。
「あの拷問機械ね。3ヶ月経っても、あれだけは慣れないわ」
「まったくだ。まあ、文句言いながら飛ぶんすけどね」
イソベさんのぼやきに、俺も苦笑する。シミュレーターで体験した、魂が肉体から引き剥がされるような加速G。慣れることなどないだろう。だが、乗りこなすことはできる。
「脱出は《ネレウス・ファイブ》と《シェードランナー》によるスカイフックだ」
ホログラムに、人間を無人航空機で釣り上げるシステムの図解が映し出される。
「博士はECSジェル未経験だ。負荷に耐えられるのか?」
俺が尋ねると、ユキが即座に答える。
「だからこそ、私とナオミが博士に付き添う。アキト、あなたとイソベ、カンザキは、脱出路の確保と、追撃してくる『天網』の思考の攪乱に専念しろ」
「了解」
「ラボ制圧から博士の確保、脱出まで、我々に与えられた時間は300秒。これを1秒でも越えれば、施設の自律戦闘AIが起動し、我々は袋のネズミだ」
300秒。
その一人のために、俺たちが3ヶ月間、血の滲むような訓練を重ねてきた時間の全てをぶつける。
「失敗すれば全員が浮上地点に到達できない。制圧、情報奪取、救出を300秒以内だ」
ユキは静かに、だが強い光を宿した瞳で俺たち一人一人の顔を見た。
「タイミングを合わせろ。連携が成功の鍵だ。そしてアキト――」
「わかっています。俺が、みんなを導く」
俺がそう言うと、ユキは初めて、ほんのわずかだけ口元を緩めた気がした。
作戦は、静寂の底で密やかに動き出した。




