花野左折にツッコミたい!TS男子とのすれ違いコメディ
ぼくのクラスには、とんでもない美人がいる。
いや、美人というだけならまだしも、誰も口に出せない微妙な違和感まで兼ね備えているんだ──。
うん、そうなんだァ。
鼻がね。曲がってるんだ……。
名前は花野左折──以降は花野と呼ぶね。
性格は美人なのにやんちゃで、男勝り。
本人はきっと自分がメッチャ可愛いってことにも、気づいていないと思うよ。だからこそ、そのひん曲がった鼻が悪目立ちしてるってのに、なぜか周囲は誰もその鼻に触れようとしない! いや、触れるどころか、ぼく以外誰も気づいてないんじゃないのか!? って疑惑まで出ている(発信源は、ぼく)
そんな花野をぼくは、日々観察している──。
というより、勝手に気にしてしまっている。机に向かってノートを広げるときの、首の傾け方や、髪を耳にかける仕草。全てが何かを隠しているように見えるんだ。
今日もぼくは彼女をチラリと見やりながら、心の中で「あーあ…、鼻が曲がっていることに、誰か気づいてくれないかな~」なんてことを考えていた。
*
いつも通りの昼休み。クラスのあっちこっちから、楽しそうな笑い声や他愛ない話が聞こえてくる。
そんな中、真辺がひそひそ声で呟いた。
「なあ…柴崎。尾曽田って、マジでむかつくよな」
ああ…これはもしかすると真辺からのパスなのかもしれない。ぼくは周りにも聞こえる声で、こう言ってやった。
「あの陸上部のやつな? うん、 “鼻”につくよな!」
ぼくは渾身の力を込めて、その一言を放ったのだ。
これで誰かが食いついてくれれば、きっとあいつの鼻のことも話題にできるはず。ぼくはドキドキしながら、みんなの反応を待った。
なのに、花野はただ相槌を打つのみ。
「わかる、わかるぅ」
……何がわかったんだ!?
*
昼休みの騒がしさもどこへやら。今は重たい数学の授業中だ。
斜め前の席から、真辺が小さな声でぼくに話しかけてきた。
「この問題、ひねくれてるよなぁ」
その時、花野が、真辺のつぶやきに気づいてちらりと顔を上げた。
これはチャンスだ!
(来たあぁぁ! 絶好の機会だ!)
今の、ぼくへのキラーパスだよな? 真辺、ナイスパース!
(世界の真辺になれるかもよ?)
この状況なら、花野に当てつけてるようにもならない!
ぼくは心の中でガッツポーズを決め、精一杯の自信を込めて返してやった。
「あぁ……誰かさんの鼻みたいに、ひねくれてるよな」
一瞬の静寂。
「……何それ」
真辺は、ただ怪訝そうに眉をひそめただけだ。
そして肝心の花野はというと、呑気にぼくらの会話に入り込んできやがった。
「わかるぅ、ひねくれてて、ねじ曲がってるよね?!」
いや、それ、お前の鼻のことだっての!
なんで”それ”を先に言っちゃうかなぁ……。
(オウンゴールかよ!)
──と、ぼくが内心でツッコミを入れていたら、先生が「なんだー? 花がどうしたってー?」と口を挟んできた。
数人のクラスメイトが、ぼくを奇妙な目で見ていた。
─休憩時間─
「ちッきっしょー! 花野のやつぅぅぅ」
ぼくは、授業中の「私語厳禁というルール」を破ったとかで(ルールブックに書いとけーぃ!)数野和幸(先生)から、超厳しめのパワハラを受けているところだ。
「なんでぼくが、こんな乙女なことをしなきゃなんないんだよぉ……」
(少女漫画の主人公かよ!)
これじゃまるで、本当に、本物の女子中学生みたいじゃないかァ…。
「あれ? お花の水替え?」
そう言って花野が近づいてきた。
「丁寧に扱ってね。花ってすぐに折れちゃうから」
(うっせ、ばぁーか)
ケタケタ笑う花野の鼻は、相変わらず順調なご様子だ。
折れてるのは花だけじゃないんだぞぉ!
*
授業が終わり、放課後。
ぼくらは三人で学校の敷地を抜けて帰路につく。夕暮れのキラキラがどぶ川の水面に揺れて、街灯の光が花野の鼻先を照らしていた。
いつも、どぶ川の横を通るたびに、この独特の匂いが鼻をくすぐる。
「うっわ、臭っ!」
真辺が顔をしかめて叫ぶ。
チャンスだ!
今までの空振りは、すべてこの時のためだったのかも(?)そう何度も空振りばっかりしてられない。
(よし、今度こそ!)
今だ! さぁ。言うぞ。言っちゃうぞぉ!?
「ほんっと、鼻が曲がりそうだよねー」
……嘘だろ、花野。
なんでお前が先に言うんだよ!
*
体育の時間。
短距離走のメンバーが呼ばれた。
ぼくは花野と談笑しながら、真辺を列に向かうのを見送った。どうやら真辺は、陸上部の尾曽田と同じグループに入ったようだ。
尾曽田は、胸板も肩幅もがっしりしていて、走る前から「おれ、運動部男子っす!」と言わんばかりの体格だ。
一方の真辺は、同じラインに立っているのが不思議なほどに対照的だった。骨格は細く、肩から腕にかけても余計な角ばりがなく、動くたびにやわらかい線を描く。その頼りなさが、どうも男子らしさから少し外れていた。
スタートの合図が鳴り、尾曽田が先頭で飛び出す。
案の定、尾曽田が一着でゴール。その瞬間、
「くっそ、ムカつくわぁ!」
真辺が悔しそうに叫ぶ。
花野はその様子を見て、腕組みしながら軽く笑っていた。
「んー、でも。県大会一位らしいよ? 同じクラスメイトとして鼻高々だよねー」
(あ、きっとここだ!)
ぼくは鬼の首を獲ったように、言ってやった!
「高くてもねじ曲がってるからな!」
「え? 性格が?」
花野はきょとんとしている。
…いや、お前の鼻がだよ…。
いい加減、気づけよぉ。
◇ ◇ ◇
”それは”突然やってきた──。
いつもの帰り道。
三人は思い思いにペナルティーを課して、ミスしたら死ぬゲーム、という危険な遊びに興じていた。
花野は相変わらず、リコーダーでチャルメラを吹き。
真辺はいつものように、白線だけを踏んで歩いている。
ぼくはというと…石っころを蹴りながらドブにハマったら死ぬゲームも、今日は全っ然っ気持ちが入らないや──。
ぼくはとうとう、我慢の限界を迎えていたんだ。
「くそ、もう…言っちまうか……!」
ついそんな言葉が、口からこぼれてしまった。
(あれ…?)
ぼくはある異変に気付いた。
真辺を見たが、やつはまだ気づいていない様子だ。
それを止めたら死ぬ…。そんな重い十字架を背負いし「鼻曲がりの魔女」の異名を持つ花野から、リコーダーの音がやんでいたのだ。
花野が急に振り返る。
その奇妙に曲がった”ご自慢の鼻”をこちらに向けて、花野が真っすぐにぼくの目を貫いたのだ。
「ねぇ、あんたたち、ほんと面白いわね」
なんのことだろう? と真辺は、ぼくに視線を送った。
ぼくは言葉を発しずに、ただ静かに首を横に振ることしかできない。
「わかってるんでしょ!」
ぼくは、ドキドキを抑えながら聞きかえした。
「な……なにが?」
つ……ついに。
花野が自ら「鼻」のことに触れるのか?
花野の顔は、柄にもなく真剣そのものだった。
緊張が走る……。
そして、その口から放たれた言葉は、ぼくの想像をはるかに超えていた。
「あんた、なんでいつも男の制服着てんのよ、柴崎!」
「え…」
なんで、そんなとこツッコむのォー!?
ぼくは、全力でとぼける。
「いや…制服乾かなくて、弟の借りてきたんだよね…えへへ」
花野は呆れた顔で、肩をすぼめる。
欧米気取りのマセタやつだ…。
「それと真辺!」
次の標的は真辺だ。
真辺は、何を言われるのかと緊迫している。緊張からか、その艶やかな唇を二度舐めて、花野の次の一言に備えていた。
「あんたもその体型で、学ランなんて着てんじゃないわよ! 胸が目立ってしょうがないじゃない!」
真辺もぼくと同じように、ぽかぁーんと口を開けていた。
そう来きたか…。
だよね? そうだよね? もちろん…だよね?
「め…目立つかなぁ?」
真辺が学ランの胸元を摘まんでそういうと、第二ボタンが弾け飛んだ。
「う…ん。どうだろ?」
ぼくは笑いをかみ殺した。
「ほんっっと! うちの学校って変なやつしかいないわ~! きっも!」
ツッコミたい! ツッコミたいよ、花野!
なんでお前に”先に”ツッコまれなきゃならないんだよ。ツッコミどころ満載の、その鼻に──!”
結局、今日も花開かない、ぼくのツッコミ願望。
こうして、ぼくたちの「鼻につくクラスメイト」の物語は、今日も淡々と、しかし静かに波立ちながら終わった。
花野は勝利を確信したように微笑み、ぼくも真辺も、心の中で小さくため息をつく。
……花野。
全部、わかっててやってるな?
と、ぼくはそう思った。