雨みかん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
冬といったらみかん。もうおこたの天板の上を定位置にしているといっていいわね。
みかんは食べ過ぎると身体が冷えるけど、適度に食べる分には、むしろ身体を暖める効果もあるみたい。外側の「ふくろ」部分とかも、一緒に食べるとなおよしともね。
昔は調子に乗って、ぱかぱか果物食べていたんだけどねえ。糖分とか考え出しちゃうと、ついセーブすることが頭をよぎっちゃうもんよ。
果物側にしたって、人間の都合で育てられているけれど、自分たちがおいしくいただかれるために存在しているなんて、どれほどが理解しているか。ひょっとしたら、食べられるより他に目的があって、そこにいる可能性もあるかもね。
私の昔話なんだけど、聞いてみない?
先に話した、私がみかんをかぱかぱ食べていたころの話。
冬休みに入ったのをいいことに、ちょっとでも寒い日がくれば、私はおこたに入りっぱなしでみかんを食べながら、適当にテレビを流し見するという過ごしぶりだったわ。
こたつの天板の上に置いてあった、かごの中のみかんたち。いつも小盛りでストックしてあるそれらを、午前中のうちに半分近くひとりで平らげていたわ。
皮を捨てるゴミ箱も、すでにおこたへ入る前にそばへ引き寄せている。
いまの私はみかんを燃料とする、大食らいの発電機状態だったわ。
と、いくつめかにあたるみかんの皮に、指を突っ込んだとき。
ぱらりと、屋根のうえで音が立った気がして、「ん?」とその場で見上げたわ。そうしている間も、指は止めない。感覚でだいたい剥ける。
ぱらつきはたちまちその音の数を増していき、窓の向こうにもどんどん姿を見せ始める。
雨だ。つい先ほどまで、晴れていると思ったのに。
母がとんとん、と階段をあがってくる音がする。はるか遠くのベランダには、干して間もない洗濯物たち。風も伴っているし、吹き込んできたら大変でしょう。取り込みにかかろうとしたんでしょうね。
――なに? 分かってんなら、お前も手伝ってあげないのか?
ふふーん、おこたに入った私はいわばオフ。
管轄外ってやつよ。
ところが、母が私のいる部屋へ来て、ベランダへ出ようとしたときに、ぴたりと雨がやんでしまう。
いぶかしげにベランダを見やる母の横で、私はみかんに濡れた指をしゃぶっていたわ。ちょうど食べきっちゃったところだし。
「天気雨かしらねえ」とつぶやきながら、ベランダの様子を確かめに行く母。私はというと、手を拭いた後でもぞもぞと這いずりながら、ベランダと反対側。テレビのそばへはまる窓へと寄っていく。
のぞき見る外は、確かにいくらか湿り気を帯びている。窓の下に張り出す軒にも、水玉模様が浮かんでいたわ。
それにしては、いささかまばらな印象を受ける。ほんのわずかな時間とはいえ、降りしきった雨はゲリラ豪雨かと思う勢いはあったし、もっと全面的に濡れていてもいいはず。
さんさんと差す、陽の光。思ったより乾くのが早いのかしらと、私もまた不思議顔。けれども、じきに足元の冷えを感じて、そそくさとおこたへ退却しちゃったわ。
用を足す以外で、ほとんど席を立たない至福の時間。
家にいる家族は、ときどき出入りするけれども、先着の私はソファへ寄りかかれる絶好のポジションをキープ。テレビも正面に受ける絶好のアングル。
誰かに譲るのが面白くなくて、人の気配がするや私は別の方向からおこたに入っていても、わざわざ移動して居座り続けたわ。
かごの中のみかんも、いよいよ底が見え始めていたけれど、今日は妙な流れ。
あれから3回、私があるみかんの皮を剥きにかかると、また雨がにわかに降り出すことがあったの。
いまはもう洗濯物は取り込まれているけれど、母はあの3度とも、雨に踊らされている。
やはり外は晴れたまま。こうも天気雨が連続するとは珍しい。
「やれやれ」と言わんばかりのくたびれようで、コーヒーカップを持ちながら母もこたつへ入ってくる。
時刻は3時過ぎ。夕飯の支度も考えれば、貴重な休み時間。そして我が家の一員は、どのような食いあわせであっても、みかんを食べるに支障なし。
私の流し見ているドラマへ目をやりつつ、母がかごのみかんへ手を伸ばし、皮の中へ親指を突っ込んだところで。
ぱららら。
すでに今日だけで何度も耳にした音に、私と母は顔を見合わせてしまう。
母は指をとめ、私もこたつからしっかり立ち上がって、二人してテレビ横の窓へ寄っていった。
空は夕焼けがにじみ出していたけれど、その中を右斜め上方から、左斜め下方へまばらに粒が流れていく。
これまでの雨は、ものの1分も続かなかった。代わりに勢いはすさまじく、降っている間はいささかも耳を休ませなかったの。
それが今度の雨は勢いこそ弱いけれど、なかなか降りやまない。テレビの時計を見るに3分は続いていて、雨足は強まる様子はなし。
普段なら「雨にもそんなことがあるでしょ」と軽く見るけれど、3度もおかしなことが続いた今じゃ、不審も募るもの。
それからさらに5分も観察するけど、天気雨は止まず。空に雲が全然出ていない状態も変わらないまま。
再度、一緒に顔を見合わせる私たちだけど、いざおこたへ振り返ってみて、声をあげてしまうのも、また一緒だったわ。
母に指をかけられ、空いた穴を上へ向けてひっくり返ったみかん。その穴からいま、泥を思わせる濁った液体が、穴のふち近くまであふれ、姿をのぞかせていたのだから。
おそるおそる手に取った母は、洗面所へ直行。私も後についていく。
つかみながらひっくり返したみかんの中から、出るわ出るわ、泥らしき水が。
先ほどまであった房などみじんもなく、たっぷりたたえた中身が排水口へ吸い込まれていくと、後には汚れた皮しか残っていない。
そして、それをはかったかのように、屋根を打っていた雨音がぴたりとやんでしまったのよ。窓の外は、みかんを剥く前の晴れ空へ戻っていたわ。
ふう、とため息をつく母だったけれど、私はそうはいかない。
今日の朝以来、はじめておこたから長く離れ、冷えていく身体。その冷えの速さが尋常じゃなく早く、またこのわずかな動きの間も、しばしば身体のそこかしこでぬめりと水音が……。
お風呂場に直行した私は、自分の肌着が泥だらけになっているのを確かめたわ。ちょうど母のみかんからこぼれていったものと、そっくりな色合いだった。
あのみかんを食べたせいだ、とすぐ思い当たったわね。
皮を剥き始めると雨が降り出し、食べ終わるとちょうど止む。これまでの1分足らずのストップも、私がちょうど食べ始めてから食べ終わるまでだったから。
事情を話して、すぐ長風呂したわ。
身体中を洗って、きれいにしたつもりでも湯船に浸かると、油脂まみれのものを突っ込んだときのように、またじんわりと泥が染み出し、広がりはじめる。
三度とも、いったんは身体の奥深くまで取り入れちゃったもの。一筋縄で行くとは思っていない。
すっかり泥が出なくなるまで1時間半以上は粘ったかしら。その日はトイレに行くのもおっかなびっくりで、気が気じゃなかったわ。
我が家では、みかんの皮は集めて油落としに活用したのち、畑の肥やしにする。
けれど今回はもう、ダイレクトに畑の隅の穴ぼこ行き。すでに入っている、他の生野菜のくずたちの上に彼らは寝転がった。
得体の知れない彼らを見張ろうと、その日は頻繁に畑へ出る私。
今日は晴れに加えて、気温もまた冬とは思えない暖かい日だったわ。いつもは湿りかけの畑の土が、ほとんど乾いてしまっている。
その空気の中で、皮たちに動きがあったわ。
昨日の湯船に浸かった私のように、皮の表面からあの泥たちがにじみ出したの。
とたん、降り注ぐ陽の強さは照り付けるものへ変わった。
のぞきこむ私の頭をじりじりと、音を立てて焦がしかねないもの。なのに、身体を残している数十センチ手前は、これまでと変わらぬ体感温度。
穴の中にのみ、この高熱は注がれていたわ。
それを受けて、みかんの皮たちのみがひとりでに身をよじり、くねらせ始める。そのさまはあたかも熱さに苦しむミミズのよう。
私があぜんと見守る中、ほどなく彼らの身にまとう泥も、たちまち乾きへの一本道。
信じがたい速さで身を失い、かげろうのように立つ蒸気たちは、きもち濁っているようにも見えたわ。
元あった皮さえ干からびさせながら、彼らは一直線に晴れ渡った空の向こうへ帰っていく。
もしかしたら、彼らは天を追い出される運命にあって、落ちてきたのかもしれない。
私たちの剥いたみかんは、いわば帰還のために必要なお膳立てで、それを知る彼らがこうも狙って殺到したんじゃないかしら。