表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

雨みかん 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 冬といったらみかん。もうおこたの天板の上を定位置にしているといっていいわね。

 みかんは食べ過ぎると身体が冷えるけど、適度に食べる分には、むしろ身体を暖める効果もあるみたい。外側の「ふくろ」部分とかも、一緒に食べるとなおよしともね。

 昔は調子に乗って、ぱかぱか果物食べていたんだけどねえ。糖分とか考え出しちゃうと、ついセーブすることが頭をよぎっちゃうもんよ。

 果物側にしたって、人間の都合で育てられているけれど、自分たちがおいしくいただかれるために存在しているなんて、どれほどが理解しているか。ひょっとしたら、食べられるより他に目的があって、そこにいる可能性もあるかもね。

 私の昔話なんだけど、聞いてみない?



 先に話した、私がみかんをかぱかぱ食べていたころの話。

 冬休みに入ったのをいいことに、ちょっとでも寒い日がくれば、私はおこたに入りっぱなしでみかんを食べながら、適当にテレビを流し見するという過ごしぶりだったわ。

 こたつの天板の上に置いてあった、かごの中のみかんたち。いつも小盛りでストックしてあるそれらを、午前中のうちに半分近くひとりで平らげていたわ。

 皮を捨てるゴミ箱も、すでにおこたへ入る前にそばへ引き寄せている。

 いまの私はみかんを燃料とする、大食らいの発電機状態だったわ。


 と、いくつめかにあたるみかんの皮に、指を突っ込んだとき。

 ぱらりと、屋根のうえで音が立った気がして、「ん?」とその場で見上げたわ。そうしている間も、指は止めない。感覚でだいたい剥ける。

 ぱらつきはたちまちその音の数を増していき、窓の向こうにもどんどん姿を見せ始める。

 雨だ。つい先ほどまで、晴れていると思ったのに。

 母がとんとん、と階段をあがってくる音がする。はるか遠くのベランダには、干して間もない洗濯物たち。風も伴っているし、吹き込んできたら大変でしょう。取り込みにかかろうとしたんでしょうね。


 ――なに? 分かってんなら、お前も手伝ってあげないのか?


 ふふーん、おこたに入った私はいわばオフ。

 管轄外ってやつよ。



 ところが、母が私のいる部屋へ来て、ベランダへ出ようとしたときに、ぴたりと雨がやんでしまう。

 いぶかしげにベランダを見やる母の横で、私はみかんに濡れた指をしゃぶっていたわ。ちょうど食べきっちゃったところだし。

「天気雨かしらねえ」とつぶやきながら、ベランダの様子を確かめに行く母。私はというと、手を拭いた後でもぞもぞと這いずりながら、ベランダと反対側。テレビのそばへはまる窓へと寄っていく。

 のぞき見る外は、確かにいくらか湿り気を帯びている。窓の下に張り出す軒にも、水玉模様が浮かんでいたわ。

 それにしては、いささかまばらな印象を受ける。ほんのわずかな時間とはいえ、降りしきった雨はゲリラ豪雨かと思う勢いはあったし、もっと全面的に濡れていてもいいはず。

 さんさんと差す、陽の光。思ったより乾くのが早いのかしらと、私もまた不思議顔。けれども、じきに足元の冷えを感じて、そそくさとおこたへ退却しちゃったわ。



 用を足す以外で、ほとんど席を立たない至福の時間。

 家にいる家族は、ときどき出入りするけれども、先着の私はソファへ寄りかかれる絶好のポジションをキープ。テレビも正面に受ける絶好のアングル。

 誰かに譲るのが面白くなくて、人の気配がするや私は別の方向からおこたに入っていても、わざわざ移動して居座り続けたわ。


 かごの中のみかんも、いよいよ底が見え始めていたけれど、今日は妙な流れ。

 あれから3回、私があるみかんの皮を剥きにかかると、また雨がにわかに降り出すことがあったの。

 いまはもう洗濯物は取り込まれているけれど、母はあの3度とも、雨に踊らされている。

 やはり外は晴れたまま。こうも天気雨が連続するとは珍しい。

「やれやれ」と言わんばかりのくたびれようで、コーヒーカップを持ちながら母もこたつへ入ってくる。

 時刻は3時過ぎ。夕飯の支度も考えれば、貴重な休み時間。そして我が家の一員は、どのような食いあわせであっても、みかんを食べるに支障なし。

 私の流し見ているドラマへ目をやりつつ、母がかごのみかんへ手を伸ばし、皮の中へ親指を突っ込んだところで。


 ぱららら。

 すでに今日だけで何度も耳にした音に、私と母は顔を見合わせてしまう。

 母は指をとめ、私もこたつからしっかり立ち上がって、二人してテレビ横の窓へ寄っていった。

 空は夕焼けがにじみ出していたけれど、その中を右斜め上方から、左斜め下方へまばらに粒が流れていく。

 これまでの雨は、ものの1分も続かなかった。代わりに勢いはすさまじく、降っている間はいささかも耳を休ませなかったの。

 それが今度の雨は勢いこそ弱いけれど、なかなか降りやまない。テレビの時計を見るに3分は続いていて、雨足は強まる様子はなし。

 普段なら「雨にもそんなことがあるでしょ」と軽く見るけれど、3度もおかしなことが続いた今じゃ、不審も募るもの。



 それからさらに5分も観察するけど、天気雨は止まず。空に雲が全然出ていない状態も変わらないまま。

 再度、一緒に顔を見合わせる私たちだけど、いざおこたへ振り返ってみて、声をあげてしまうのも、また一緒だったわ。

 母に指をかけられ、空いた穴を上へ向けてひっくり返ったみかん。その穴からいま、泥を思わせる濁った液体が、穴のふち近くまであふれ、姿をのぞかせていたのだから。


 おそるおそる手に取った母は、洗面所へ直行。私も後についていく。

 つかみながらひっくり返したみかんの中から、出るわ出るわ、泥らしき水が。

 先ほどまであった房などみじんもなく、たっぷりたたえた中身が排水口へ吸い込まれていくと、後には汚れた皮しか残っていない。

 そして、それをはかったかのように、屋根を打っていた雨音がぴたりとやんでしまったのよ。窓の外は、みかんを剥く前の晴れ空へ戻っていたわ。

 ふう、とため息をつく母だったけれど、私はそうはいかない。

 今日の朝以来、はじめておこたから長く離れ、冷えていく身体。その冷えの速さが尋常じゃなく早く、またこのわずかな動きの間も、しばしば身体のそこかしこでぬめりと水音が……。

 お風呂場に直行した私は、自分の肌着が泥だらけになっているのを確かめたわ。ちょうど母のみかんからこぼれていったものと、そっくりな色合いだった。

 あのみかんを食べたせいだ、とすぐ思い当たったわね。

 皮を剥き始めると雨が降り出し、食べ終わるとちょうど止む。これまでの1分足らずのストップも、私がちょうど食べ始めてから食べ終わるまでだったから。


 事情を話して、すぐ長風呂したわ。

 身体中を洗って、きれいにしたつもりでも湯船に浸かると、油脂まみれのものを突っ込んだときのように、またじんわりと泥が染み出し、広がりはじめる。

 三度とも、いったんは身体の奥深くまで取り入れちゃったもの。一筋縄で行くとは思っていない。

 すっかり泥が出なくなるまで1時間半以上は粘ったかしら。その日はトイレに行くのもおっかなびっくりで、気が気じゃなかったわ。



 我が家では、みかんの皮は集めて油落としに活用したのち、畑の肥やしにする。

 けれど今回はもう、ダイレクトに畑の隅の穴ぼこ行き。すでに入っている、他の生野菜のくずたちの上に彼らは寝転がった。

 得体の知れない彼らを見張ろうと、その日は頻繁に畑へ出る私。

 今日は晴れに加えて、気温もまた冬とは思えない暖かい日だったわ。いつもは湿りかけの畑の土が、ほとんど乾いてしまっている。


 その空気の中で、皮たちに動きがあったわ。

 昨日の湯船に浸かった私のように、皮の表面からあの泥たちがにじみ出したの。

 とたん、降り注ぐ陽の強さは照り付けるものへ変わった。

 のぞきこむ私の頭をじりじりと、音を立てて焦がしかねないもの。なのに、身体を残している数十センチ手前は、これまでと変わらぬ体感温度。


 穴の中にのみ、この高熱は注がれていたわ。

 それを受けて、みかんの皮たちのみがひとりでに身をよじり、くねらせ始める。そのさまはあたかも熱さに苦しむミミズのよう。

 私があぜんと見守る中、ほどなく彼らの身にまとう泥も、たちまち乾きへの一本道。

 信じがたい速さで身を失い、かげろうのように立つ蒸気たちは、きもち濁っているようにも見えたわ。

 元あった皮さえ干からびさせながら、彼らは一直線に晴れ渡った空の向こうへ帰っていく。


 もしかしたら、彼らは天を追い出される運命にあって、落ちてきたのかもしれない。

 私たちの剥いたみかんは、いわば帰還のために必要なお膳立てで、それを知る彼らがこうも狙って殺到したんじゃないかしら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ