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2-03 偽物姫と伊達者騎士の婚姻譚

騎士ライオが結婚する。


その一報はゼファナ領の半分を驚愕させ、半分に嘆息を齎した。

つまり「あの節操なしに嫁入りする物好きがいるのか!?」という驚きと、「年貢の納め時か……」という同情である。

だが、その相手が領主の一粒種のリアス姫だと知られるにつれ、巷間の驚きは不安へと変わっていった。

「あの女好きのスケコマシが次期領主の夫になるのか」と。

ともあれ、余人の困惑を他所に新婚生活は順調な滑り出しを見せる。


「ちょっくら街に咲いてる花を摘んでくるわ」

「駄目に決まってるでしょう」


ただひとつ、姫が偽物であることを除けば。

 抜けるような青空に教会の鐘が高らかに鳴り響く。

 祝福の鐘の音と割れるような歓声に彩られ、ウェディングドレスを纏った新婦がしずしずと聖堂の扉をくぐる。

 外の喧騒とは対照的にしんとした静謐に包まれた聖堂に、招待客たちが密やかに息を呑む音が木霊する。

 七代に渡りゼファナの領主家に受け継がれてきた婚礼衣装は、七重のヴェールを以って花嫁のかんばせを覆っているが、それでも花嫁の美しさを隠しきることはできない。

 丁寧に結われた髪は収穫を待つ麦穂の如き黄金、細い肩から二の腕にかけて露出した肌は雪花石膏の如くきめ細かく、豊かに張り出した胸とほっそりとくびれた腰の対比は、艶よりも芸術品のような美を感じさせる。

 年の頃は十八。貴族としてはやや遅いと言える婚姻も、この姿を見せられては反論のしようがない。

 霊峰と大河に並ぶゼファナの至宝。女神に愛された姫君。リアス姫がそう呼ばれる理由を招待客はまざまざと理解していた。


「うおっ、すっげえキレイだな」


 一方の新郎である。

 こちらの評判は上々といったところであった……口を開かなければ、だが。

 黒髪を犬の尾のように後ろで結び、それなりに鍛えていることが伺える肉体を騎士の装いに包み、良く言えば人好きのする笑みを浮かべる伊達男。

 どちらかと言えば美形で、だいぶ軽薄で、とても女好きで、しかし剣の腕は一流と評される騎士であった。

 騎士ライオ、年の頃は二十後半。騎士としての経歴は十年目に差し掛かったところだが、娼館通いはさらに五年を足すことになる。


「いやー、急に結婚しろだなんて命じられたときはどうしようかと思ったけど、こいつは役得じゃねえか」

「…………」


 完全に浮かれている新郎を皆が醒めた目で見遣る。

 つまるところ、


(相手がこいつじゃなければなあ……)


 というのが余人の思うところだろう。

 なにせ討ち取った敵手の数より抱いた女の数の方が多いと云われる男である。

 おまけに、この婚姻が領主家側から持ち掛けられたものであるというのも困惑を大きくしていた。

 なんなら騎士ライオがリアス姫に手を出した故ではないか、と口さがない者は噂するほどだった。


 困惑と混乱と型通りの祝福を背景に式を進む。

 騎士ライオは定位置についた姫君と向き合うと、うやうやしくヴェールを捲った。

 露わになるのはどこか少女の面影を残す玲瓏なるかんばせと、意志の強さを感じさせるサファイアの瞳。

 美の化身とも見紛う新婦を前に口笛を吹かなかった己を騎士ライオは褒めた。自己肯定感の塊のような男である。


「今夜が楽しみだな」


 神官の誓言を聞き流し、されども式の予定通りに顔を寄せる騎士に、姫君もまたにっこりと笑みを返した。


「ええ、覚悟してくださいね」


 そうしてふたりは招待客が赤面するような熱烈な口づけを交わしたのであった。



 ◇◇◇



「ところで、これは寝物語に聞いた話なんだがな」


 深夜。

 ふたりだけの寝室に、衣服をくつろげてソファにだらしなく座る騎士の声が響く。

 同じく夜着に着替えてベッドにちょこんと腰かけた姫君は、あんまりな出だしに眉をひそめた。


「突然結婚させられた嫌がらせですか、騎士ライオ? 初夜に他の女から聞いた話など――」

「西の国では歯型で個人を特定するらしいぜ。歯並びってのはひとりひとり違うんだとさ」

「――――」

「おまえ、リアス姫じゃねえな」


 その瞬間、姫君の雰囲気が変わった。


 化粧を落としてなお美しかったかんばせは氷の如き鉄面皮に縁どられ、纏う気配は硬質なものとなる。

 戦場にいるかの如く騎士の産毛が粟立つ。

 右手が無意識に投げ出した剣の柄を手繰り寄せる。

 つまるところ、女から発せられているのは殺気であった。


「……まさか口づけで見破られるとは思いませんでした。女好きというのも侮れないものですね」

「リアはどこだ?」

「姫様は貴方如きに呼び捨てにされるお立場ではありません。ましてや居場所なぞ教えられましょうか」

「アイツ、そんなにヤバイ状況なのか?」


 偽物の姫はこれみよがしにため息を吐いた。

 このお軽い騎士は紛うことなきダメ人間だが、勘だけは良い。主に後腐れのない女を選ぶときに発揮されている勘だ。でなければ、何度刺されていたかわからないだろう。


「貴方の考えている通りです。身代わりを立て、その夫にどうしようもない不貞者で――けれど国で一番腕の立つ騎士を配するくらいには、姫様は危険なお立場にある」

「継承争いか」

「敗色濃厚です」

「オレも巻き込まれてるじゃねえか」

「逃げてもいいですよ。すでに姫様は余人の手が及ぶ場所にはおりません。累が及ぶ心配もない。犠牲は私ひとりで済む」


 だから逃げなさい、とサファイアの瞳が告げる。

 私に、姫様の友人を助ける名誉を授けてください、と。


 その静かな覚悟が、逆に騎士の心を決めさせた。


 あー、うーと唸り、ガシガシと頭を掻いて、後悔の時間は終わりだ。


 騙されたのなら笑って破談にすればいい。

 謀略ならまとめて剣の錆にするだけの話だった。

 だが、死を賭した女の覚悟であれば話は違ってくる。

 騎士ライオは顔を上げた。


「……自分で言うのもなんだが、オレはどうしようもない女好きで、剣の腕しか能のない失格騎士だ」

「そうですね」

「褒めるなよ」

「頭大丈夫です?」

「おうよ。けどな、二つ、破ったことのない誓いがある」

「騎士の誓約には六つほど足りませんね」

「まあ聞けよ。ひとつ、女を泣かせるのはベッドの上だけ」

「最悪ですね。死ねばいいのに。それで、もうひとつは?」

「リアを守ること」

「…………」


 その誓いはできれば聞きたくない類のものだった。

 軽薄で、女好きで、腕は良いが死んでも惜しくないと領主に判ぜられた騎士が発するには、あまりにも真摯な言葉だった。


「お前がリアとして死ぬっていうなら仕方ねえ。オレも一緒に死んでやる」

「正気ですか?」

「死出の旅路に騎士のひとりもついていなきゃいくらなんでも疑われるだろ。これでも国一番の腕だ。偽物の姫様にもそれなりの箔ってヤツがつくだろうさ」

「吐いた言葉は呑めませんよ」

「騎士に二言はねえ」


 偽物の姫はわずかに目を伏せた。

 胸に手を当て、常より少しだけ早い鼓動を覚える。

 死は怖くない。元よりこのときのために育てられた身だ。役目を果たせるなら本望だ。

 たとえ、なにを犠牲にしたとしても。

 だけど――


「道連れにする夫は騎士で、軽薄で、女好きですか。偽物にはお似合いですね」


 だけど、ほんの少しだけ、死ぬには惜しい男だと思ってしまった。

 それが、名前のない偽物が抱く、人生で唯一度だけの後悔だろう。


「いいでしょう。ならば、騎士ライオット・クルーエル、私と一緒に死んでください。

 でも、できれば私より後でお願いします。私は貴方の死にざまを見たくない」


 きっと泣いてしまうから。

 表情ひとつ変えず、偽物の姫は告げた。


 そうして、誰に知られることもない、ふたりだけの誓いが結ばれた。

 後にゼファナ中興の祖として歴史に記されるリアス・オルタ=ゼファナ。

 王配にして生涯無敗を誇る“一の騎士”。

 ふたりの物語はこの夜から始まるのであった。









「ところで、この舌はどこで姫様の歯並びを知ったのですか?」

()らねえ」

「夜は長いですよ、騎士ライオ。さあキリキリ吐いてください」


 しなやかな指が騎士の舌を掴んで引っ張る。

 一枚しかないのですね、などと嘯いたのはきっとおそらく冗談だろう。


「た、たしかにリアとは仲良いぜ。なにせお姫様だ。このオレがコナかけないはずがない」

「不忠な上にふしだらです。死ねばいいのに」

「だが、誓って手は出してねえ」


 キリッとした表情で告げる男の顔は、そこだけ見れば伊達男の面目躍如であった。


「なぜ……と聞くまでもないですね」


 この騎士は勘だけは良い。主に後腐れのない女を選ぶときに発揮されている勘だ。でなければ、何度刺されていたかわからないだろう。


「しかしそれなら、貴方の舌はどうして姫様の唇を知っているのですか?」

「知らねえって言ってるだろ。オレが知ってるのはオマエの方だよ」

「――まさか」

「中庭の手入れしてた地味なメイドだろ、オマエ。庭師でもねえのに不思議だったが、そうか、染料を採ってたんだな。地毛は茶髪だもんな」


 騎士ライオの無骨な指がそっと金子の髪をくしけずる。

 顔と言動に似合わぬ優し気な手つきに、姫は頬を薄く染めた。照れたのだ。


「驚きました。貴方にとっては星の数ほど手を出した端女のひとりでしょうに」

「女好きだって言っただろ」

「……まさか、全員の歯形を覚えているのですか」

「当然だ」

「率直に言って気持ち悪いですね」

「褒めろよ。旦那の数少ない長所だぞ」

「いえ、さすがにこれは……」

「え、ほんとに引いてない? なんで!?」

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