2-02 後ろの聖賢者
傭兵稼業で路銀を稼ぎながら旅をしていた私は、ある宿屋での朝食時に数日前まで護衛を務めていた聖賢者の訃報を知った。
どういうこっちゃと思ったけど、なんかいた。
聖賢者死亡の記事が書かれているのであろう新聞読んでるおっさんの後ろに、その聖賢者が。
しかも普通にトースト食ってやがった、ほんとなんなんだあいつ。
「なんと、あの聖賢者さまがお亡くなりに!!?」
宿屋で朝食を食べていたらそんな叫び声が聞こえてきたので思わず顔をあげる。
叫んだのは私から見て正面右側にあるテーブルで食事をしつつ新聞を読んでいる肥満体型のおっさんだったようだ。
どういうことだ、四日前まではピンピンしていたぞ、まさか私がいなくなった後に何かあったのか?
いやまさかそんなアレがそう簡単にくたばるわけが……なんて思っていたら、目があった。
おっさんとではない、おっさんの後ろのテーブルでもくもくとトーストとサラダを食べるそいつと。
目があったのは本当に一瞬、なんなら向こうには目があったとすら思われていなくてもおかしくないくらい短い間だけ。
目を逸らしたついでに肥満体型のおっさんに視線をやると、おっさんはあのお方がどうしてだの騎士どもは何をやっていたんだなど色々一人で騒いでいた。
おっさん、その聖賢者さまあんたの後ろにいるよ。
……なんて言いかけた口をトマトとベーコンとスクランブルエッグのサンドイッチで塞いで、表情を変えないように顔面に力を入れる。
見てない見てない、私はなんにも見てない。
つい最近まで自分が護衛を務めていた聖賢者さまなんて見ていない。
ちらりと聖賢者さまに超似ている誰かさんの様子を伺うと、そいつは呑気にトーストを食べていた。
やっぱり赤の他人、ただの他人の空似?
髪の色も目の色もあの特徴的な色ではなくどこにでもいそうな黒なので、やっぱり別人だ。
状況的にそうに決まっている、というかそうであった方が都合がいいのに、私は直感的にそいつがつい先日まで護衛対象だった尊い御方であるのだとほとんど確信してしまった。
どうしろっていうんだ、私はただの旅の傭兵なんだけど。
立派な宿屋になるために全世界の宿屋巡りをしつつ、路銀のために傭兵として結構、かなり危ない橋を渡ってきた私だけどここまでの珍事は流石に初めてだ。
なんだって客層が中級から上級の一般冒険者な宿屋でどうやら死んだらしい聖賢者さまとエンカウントしなければならないんだ。
ここは聖都の教会でもなければ王城でもない、何故こんなところに出没しているんだ。
出没したいなら勝手に出没すればいいが、何故よりにもよって私と遭遇する。
いや向こうは気付いてないらしいしこっちも気付いていないフリしてるからまだ遭遇はしていないけれども。
というか死んだってどういうことだ、生きてるけど。
なんかのっぴきならない状況になって死んだフリすることになったとか? 嘘でしょ四日でそこまで事態急変する? なんもなくて平和だったからもういいだろう自分がいなくても問題ないだろうって思ったのもあって護衛降りたのに。
元々長くても半年のつもりだったから半年できっちりやめたけど、流石になんかあったらもうちょい続けてた、けどなんもなかったんだ本当に。
私が知らなかっただけかもしれないけど、だとしてもこの展開はおかしすぎる。
もし私が知らないところで何かがあって、死んだフリして逃げなきゃいけない事情があったとしても何故ここにいる。
まあいいどうでもいい、というか知ったら絶対巻き込まれるし今後の予定どころか人生計画すら狂いかねない。
というわけで何も気付かなかったことにして知らんフリを決め込むことにした。
向こうから絡まれても困るし、予定を早めてもうこの街を出発した方がいいだろうか、とかおそらく無駄になりそうなことを色々と考えながら朝食を食べ続ける。
さっきからやたらと視線を感じるのだ、おっさんの後ろ側から。
これはもうこっちの存在はとっくにバレているようだった。
気付いた上でこちらと同様に放置してくれると大変助かるのだけど、そううまくことが運ぶ気が全くしない。
それでも視線を無視して朝食を食べ切った。
よし、逃げるか。
と、食器やらなんやらをまとめていたら、そいつが立ち上がりこちらに近寄ってくる。
そうしてそいつは私が席を立つ寸前で、こうのたまった。
「久しぶり。護衛の依頼をしたいのだが、問題ないか」
単調で感情が一切こもっていない声色に渋々そちらに顔向けると、見覚えしかない無表情がそこにあった。
突っ込みたいところはとにかくいっぱいあったけど、まずは一言。
「全然久しぶりじゃあないな」
別れてからまだ四日なので、まったくもって久しぶりなんかではないと思う。
「そうか? 随分と顔を見ていなかった気がするが」
曇なきまなこで見つめられながら首を傾げられたので、そうだったかも? とうっかり納得しかけたけど、全然そんなことはないと思い直す。
「まだ四日だよ……というかなんでこんなところにいるわけ? 風の噂で彼岸に渡ったって聞いたけど」
「半永久的に仕事をサボることにしたから、放浪中だ」
絶句した、冗談でもそれは言っちゃだめだろうと突っ込みかけたけど、騒ぎになるととてもとても面倒なので賢く黙り込む。
こいつが言っていることが冗談でなく真実なら、聖賢者さまは恐れ多くも大事なお役目を放棄して、放棄するために死んだフリを上手いこと決め込んでこの場にいる、ということになる。
一番厄介で駄目なパターンだった、それならもういっそ最初に想定していた最悪のパターンである『あることを達成するために死んだことにして身を隠すことになった、手伝え』の方がまだ何倍もましだった。
おそらく人間の協力者なんて皆無だっただろうに、それなのにたった四日でそんな悪事を働きやがったのである、この御仁は。
そこまで考えて、私が言うべき言葉はもう一つしかないだろうと溜息を吐いた。
「……今からでも遅くない、自首しろ」
「いやだ。ただでさえ担ぎ上げられてるのに自首なんてしたら復活したやばい人ってもっと担ぎ上げられる」
「今ならまだ悪戯で済むと思う」
「悪戯で済ませるよりも復活した人扱いした方が都合がいい人がいっぱいいるから無理」
確かにあの聖賢者さまが死から復活したなんてことになったら本格的に神様みたいに祭り上げられるんだろうなと、そこだけは納得した。
「……なんでサボろうなんて思ったわけ?」
「理由を言ったら護衛の仕事を引き受けてくれるか?」
真正面から見つめられて、すぐに首を横に振った。
「お断りだわ。下手したら私が大罪人にされる。そこまで危ない橋は渡れない」
護衛の依頼を引き受けた後にこいつが生きていることがバレたら、私はきっと聖賢者さまを死んだことにして誘拐した極悪人にされるだろう。
聖賢者さまが仕事をサボるために死んだフリをしたとか、本当に死から復活したとかいうよりも、そっちの方が都合がいい人が大勢いるのだ。
罪人に仕立て上げられたところであの程度の戦力ならこいつさえ何もしなければ楽に逃げ切れるだろうけど、どう頑張っても一生犯罪者として生きるしかない。
そんなのは御免だ。
「そうか。ならいい」
「……流石に納得してくれたみたいで助かる。まああんた結構強いし、護衛なんていなくても」
「勝手についてくから」
「なんもわかってないなあんた!!」
ツッコミを抑えきれなかった、我慢できなかった。
半年とはいえあの聖賢者さま専属の護衛を務めていたので、路銀には十分余裕があった。
それでも動かなければ身体が鈍るので適当な討伐依頼を受けることに。
討伐ギルドの依頼ボードを見るとちょうど異常成長した大黒蜘蛛の討伐依頼が出ていたので、これでいいかと依頼書を剥がして受付に持っていく。
「この依頼、受けたいのだけど」
「こちらは……こちらの依頼は十名以上のパーティーが推奨でして……二人では……」
「……後ろのは関係ないやつだから一人で。それと大黒蜘蛛なら一人で十分だから」
そう言いながらいつぞや魔神兵団をぶっ飛ばした時に押しつけられた勲章を見せると、受付は瞠目した。
押し付けられた時はクッソめんどくさかったけど、こういう時に一発で大体のことがどうにかなるから今は貰っておいてよかったなと思っている。
「こ、これは……大変失礼致しました……!! 問題ございません」
「じゃ、受けさせてもらうわ」
渡された契約書にさらさらっと必要事項を記入して、それを受付に出した。
「はい……問題ございません。御武運を」
「ええ。それじゃあ」
昼食までには終わらせたかったのでさっさと立ち去ろうとしたら、受付が何やら神妙な顔で引き留めてきた。
「なにか?」
「あの……ワタリドリさま、ですよね……その、ご存知ですか?」
「聖賢者のことなら今朝知った。私が護衛辞めた途端死ぬとは思ってなかったわ……」
暗い表情を作ってボソボソと言ってみたけど、その聖賢者さま今普通に私の後ろにいるんだよな。
なんでいるんだろうな、邪魔だからさっさとどっかいってほしい。