2-18 コスパ令嬢
「ゼニス・モーカリオス、お前との婚約を破棄」
「それはいけません殿下。その婚約破棄はコスパが悪すぎます」
マイルストン王国第二王子、プライマルに婚約破棄を言い渡される……ところだった彼女は、食い気味にその言葉を遮った。
ゼニス・モーカリオス。
王国財務卿の令嬢にして、何よりも得意なのはお金の計算。
これまで婚約に掛かったお金に関して、正確に計算して「勿体ない」と言ってみせた彼女に、プライマルは尻尾を巻いて退散するより他なかった。
そんな彼女を見つめる三人の男。
第一王子メガロニス。
若き天才商人タルト。
王国一の騎士ロザンデール。
男たちの思惑とともに、ゼニスは王国に巻き起こる、様々なトラブルや物語に関わっていくことになる。
「ゼニス・モーカリオス、お前との婚約を破棄」
「それはいけません殿下。その婚約破棄はコスパが悪すぎます」
(被せたわ)(食い気味に行った)(おいおい見てみろ殿下の顔を、次のセリフ忘れちゃってるよ)(あれは用意してたセリフ飛ぶよねー)
舞踏会に集った一同はざわつく。
主催は、マイルストン王国の第二王子、プライマル。
黒髪、黒瞳の、氷のようなと称される美しい顔立ちの青年だ。
そんな彼の表情が引きつっていた。
プライマルの前に立つのは、一人の女性。
栗色の髪を美しく結い上げ、印象的なる大きな目がプライマルを見つめている。
身につけたドレスは赤を基調としていて、それでいて派手過ぎない上品なしつらい。
よくよく見れば、昨年流行したドレスの型を上手にアレンジし、オーダーメイドのそれよりもずっとオトクなお値段で仕立て直した一品だ。
彼女は、王国の財務卿を務めるモーカリオス伯爵家の娘、ゼニス。
プライマルの婚約者だ。
いや、だった、と言ったほうが今は正しいのか。
プライマルが婚約破棄を公然と宣言したのだから。
──宣言した……?
「ごほん! おほん! おっほん!!」
プライマルは咳払いした。
(殿下、やり直す気だ)(形にこだわる人だもんな)(気持ちは分かる)(あっ、ゼニス嬢も息を吸い込んだぞ)
「ゼニス・モーカリオス! 俺は、お前との婚や」
「コスパが悪いかと存じます!! 殿下と私の婚約に、どれだけのコストが掛かっているのかをご存知ないのですか!」
(畳み掛けたーっ!)(見ろ、殿下の口がパクパクしてる)(まるでお堀の鯉だ)(氷の美男子も型なしね……)(相手が悪いよ)
ゼニスの肺活量は圧倒的だった。
コスパ。
彼女が口にしたこの言葉について、どうしてそのような考えに至ったか、その理由が怒涛の如く流れ出す。
「まず、あなたと私の婚約が決められたところから参りましょう。始まりは陛下と父との口約束からでしたけれども、王族と貴族の婚約が行われる以上、決められた書式で契約書が残されていなくてはなりません。この時、城内の書記官では契約書を作成するには地位が足りないため、パラノーマル辺境区に隠居されていた先代の文官長のアクティビス様を招きました。彼を守るために五十名の護衛が必要となり、往復で一ヶ月間の旅のために旅費が金貨百七十枚。さらにアクティビス様のための宿を用意するために金貨三十枚。次に」
「も、もういい、もう」
(ゼニス嬢の記憶力は流石だぜ)(女性ながら、次なる財務卿を拝命すると噂されてるだけある)(殿下が呼吸困難になってるわ!)(あの人フィーリングで生きてるからなあ)
「契約の用紙を作るために紙職人として、東方のチクラドリア帝国からかの有名なワンフー師を招き、これになんと金貨三百枚」
(三百枚!?)(我が男爵領の年間予算じゃないか)(たかが紙一枚に!)
オー、というどよめきが舞踏会場を覆う。
プライマルとゼニスという二人の婚約に掛かった経費が、今白日のもとに晒されつつあるのだ。
プライマルがゼニスを誘った狩り遊びに、護衛費用と狩られる獣の調達料、及びあらかじめ森の安全性を確保するため、一週間掛けて行われた山狩りの費用も含めて金貨百枚。
二人の船遊びの際、プライマルの見栄のために新造された帆船と、乗組員の調達及び訓練の料金が金貨二百五十枚。
王族と貴族が、仲を深めるために遊ぶのだ。
庶民のそれとは掛かる金額の桁が違う。
ゼニスが言葉を紡ぐ度、人々は驚き、どよめき、ため息をつき……。
最初は興味津々だった彼らの眼差しは、プライマルに注がれる呆れ一色に変わっていった。
(そんなにお金を掛けてるのに、今更婚約破棄!?)(並の貴族領なら潰れてるよ)(なんだってあんな考えなしな宣言を)(殿下お一人じゃ、掛かったお金を返せないだろうに)(いつも通り、フィーリングじゃない? フィーリング)(フィーリーング一つで国が傾くんじゃ堪ったもんじゃないよ)
「ぬ、ぬおおおお!!」
完全にアウェーになってしまった会場で、プライマルは叫んだ。
「うるさいうるさいうるさい! お、俺が決めたから婚約は破棄なのだ! おい、ビビアン来い! お前を紹介する……あれ? ビビアン! ビビアーン! どこに行ったんだビビアーン!!」
プライマルは慌てて、会場から駆け出していった。
どうやら、真実の愛は彼女とともにある、と用意したはずの新しい婚約者が、会場の空気に引いて逃げ出してしまったようだった。
「はあ……。お金がもったいないなあ……」
ゼニスは呟きを漏らすのだった。
結局その日は、舞踏会はお開き。
婚約破棄されたご令嬢、ゼニスは哀れ一人に……。
となったはずなのだが。
「ゼニス嬢、ゼニス嬢」
「あ、はい。なんでしょう、ドゥーデン男爵様」
「あ、覚えていて下ったか、ありがたい。さっきのゼニス嬢の口上、スカッとしたねえ! 王族だからって理不尽はいかんよね、お金は大事だし……。それで、相談が。実は、うちで持ってる鉱山がね、こう、赤字続きで……」
「ああ、存じ上げております。手習い程度ではございますが、私も財務卿の見習いとして父についてまわり、勉強させていただいておりますから。未熟者の言葉でよろしければ財務に関するアドバイスなども……」
「うわあ、本当ですか、ありがたい!!」
「ええっ、そういうのありなのかい!? じゃあうちの領地の問題も……」
「うちも」
「うちも」
舞踏会が、領地運営相談会へと一転するのだった。
この光景を、ずっと眺めていた者がいる。
彼は、舞踏会に絶対に招待されないはずの存在だった。
金髪碧眼の、優美な顔立ちの青年だ。
今は、柱の影で人々に気づかれないよう、事の顛末を見届けたところだ。
「へえ……。コスパか。興味深いね。ゼニス・モーカリオス。面白い女性だ」
マイルストン王国第一王子、メガロニス。
次期国王確実と噂される、頭脳明晰、武芸百般の男。
生まれながらにして全てを持つと言われている彼は、ただ一つ、自分が持っていないものをゼニスに見出していた。
「果たして彼女が、私の望む存在なのかどうか。確かめてみたいものだ」
あるいは、商人たちの中で愛想笑いをしていた若者が、上等なメガネを指先でお仕上げながらゼニスを見つめる。
「へえ……。財務卿のお嬢さんか。お貴族様にも、少しは金に敏い方がおられるようだね。僕、気になってしまうな」
マイルストン一の豪商、ネアンデールの息子タルト。
一代で王国随一の財をなしたという、父の才を余さず受け継ぐと噂される若き天才商人だ。
領土を持たぬ財務卿の娘ならば、その知性を活かし、ともに父をも凌ぐ商人として成り上がれるのではないか……。そう考えていた。
そして、舞踏会を警備する騎士たちの中にも。
「ほう……。利発な女性だ。なるほど、かのお方ならば我が剣を捧げるに足るか……」
マイルストン最強と言われる騎士、ロザンデール。
久しく戦のない現代において、武芸のみでは出世の天井も見えている。
眼の前の才媛が隣にあれば、己にも違った道が開けよう。そのような事を思っていた。
かくして。
様々な思いの籠もった視線の中、財務卿の娘ゼニスがせっせと相談を受け付ける。
忙しく動き回るその姿は、活力と輝きに満ちていた。
後に、国の安寧や、数々の国難を退けることになる救国の聖女の物語。
これが始まりだ。
人々は彼女を、コスパ令嬢と呼んだ。