2-11 神在月の神様事情!
――これから始まるは神在月の期間に出雲の地へ飛び込んでしまった男子高校生の物語である。
階段を上る足が重いのは、多分日頃の運動不足がたたっているだけじゃないだろう。
「あー、今日もついてるなー僕! ……なんか黒いのが。いっぱい」
悟は卑屈に笑いつつ、背中にずっしりと覆いかぶさってくるモノへと目をやった。
季節は紅葉鮮やかな秋。気付けば十月に入ったが、気温は上がったり下がったり。しかし今日は比較的暖かいし日差しが差し込んでいる。おそらくそれが幸いしたのだろう。万年不幸体質の悟にしては、憑いてる幽霊の数が少ない。
それでもまぁ、結構な数がわらわらとよってたかってきているのだから、怠いわ重いわ、最悪な事に変わりはない。お陰で田舎のちっぽけな神社の短い階段にさえ、こうしててこずっている始末だ。
今日も朝から悟の不幸体質は発揮された。買ったばかりの目覚まし時計は不良品で鳴らず、学校に遅刻しそうだと焦って高校への道を走っていたら何かに足首を掴まれて転び。そのうえ自販機でジュースを買おうとしたら手前でちょうど売り切れた。こういったバリエーションに富んだ不幸に苛まれるのは悟にとってはもう慣れたものだ。
……いや、慣れたらだめだ。僕だってもうちょっと幸せに生きて良い気がする!
そう思い直した悟は『この不幸体質も神頼みをすれば直るかもしれない』と一握の希望を持ってこの神社を訪れたのだった。
短い階段を上り切って見渡せば少し寂れた殺風景な神社の様子が目に映る。左側にはお正月によく目にする、神社の人間が入っておみくじやお守りを売るための小さな小屋があった。その並びには絵馬をかける場所があり、そして悟の正面の奥にあまり大きくはない神社の境内がひっそりとたたずんでいる。
よし、とりあえず絵馬を書こう。
『僕の不幸な人生が変わりますように 相田悟』
購入した絵馬に、これでもかと想いを込めて書ききった悟は一呼吸おいて絵馬をかける。
うん、これで少しはいいだろう。さて、今度は本命の……。
悟はその脚で境内の前へと向かい、それとなく手を合わせた。自然とため息に近い息が零れる。
神様はいいよなぁ。こうやって手を合わせられて、何もせずともお供え物とかもらったりなんかして。僕の不幸な人生なんてのとは比べ物にならないくらい良い生活を送ってるんだろう。なんか、うらやましい。
「えーっと、神様、僕の不幸体質を直してください。僕は……」
そこで悟はふと気づく。あれ、お参りするときって確か手叩いたりお辞儀したりするんじゃなかったっけ。二礼二拍手なんとか。
悟はスマホを取り出してパパッと慣れた手つきで調べる。あぁ、二礼二拍手一礼だな。よし、改めて……――
「フシャーッ!」
「わぁ!」
なんだかよくわからない大きな音に驚いた悟は反射的に声をあげ、その音の方向である左下をすぐに見た。そこには一匹のノラ猫が敵意をむき出しにしながら前足の爪を地面に突き立て、腰を低くしている。
え、待って。このポーズは。
即座に背筋がヒヤリとして悟が走り出すのとノラ猫が飛び掛かってくるのはほぼ同時だった。
なんだよ、全っ然不幸体質直ってないじゃんか! 神様の馬鹿!
悟は必死に神社の敷地内を走る。あれだけ重かった体にのしかかっていたはずの幽霊たちは走っているうちにうまく撒いたのか、気づけば居なくなっていた。そうだ、この猫もその作戦で撒こう!
そう思った瞬間につるりと手が滑った。宙に浮いたスマホのホーム画面に映っていた『10月』の文字を、スローモーションの視界の中で見る。そしてそのままスマホは地面の上を跳ねた。
反射的にスマホを拾おうと足を止めたが、ダメだ、猫が来る! 怖い!
悟はグッと拳を握って再び走り出し、猫の視界から一瞬でも消えるように境内の裏へと回って息をひそめた。猫は勢いのままに走り、悟に気づかず直進していく。でも、いつまでもここに居たらそのうち見つかるだろう。
その時。
猫に気をとられていて気づかなかったが人の目につかぬところに茂みがあり、そこにはもうひとつ人が一人通れるくらいの小さ目な鳥居があった。その古ぼけた赤がなぜか印象的に悟の目に映る。
悟は猫に気づかれぬようにそっと鳥居の前の茂みへと移動した。そこから覗くと鳥居の向こうにも茂みは続いているようだ。
この奥にも神様か何かが祀られてるのかな? でも、さっき早速神様に裏切られたような……。ええい、どうでもいい!
「この際ご利益があればなんでもいいよ! 僕の不幸体質、直れーーーっ!」
そう叫びながら悟はその鳥居にどんなまじないがかけられているかも知らずに飛び込んでしまった。
*
「ふぅ……なんなんですかねぇ、先ほどのあの悪霊の大群は。成仏させるのに手こずったではありませんか」
一枚の白い紙を額から顔に下げて表情を隠した人物が、白装束を着て神社の敷地をとぼとぼと疲れた様子で歩いている。すると足元にスマホが落ちていることに気づく。その人物は優しい手つきでそれを拾い上げた。
「誰かの落とし物でしょうか?」
人間の文明の発展は目覚ましい。便利そうだし、これなら退屈もしなくて済むでしょうね。
「にゃあー」
ふと鳴き声に表情の見えない顔を向けるとノラ猫がてくてくと駆け寄ってくる。
「おや、これは可愛い」
そちらに気を取られた神様は、自分の袖に拾ったスマホをしまってその猫を一撫ですると、満足したらしい気まぐれな猫は境内の裏へと走っていってしまった。そこで神様は自分のすべきだったことを思い出す。
「さて、出雲の国へ向かうまじないはさっきかけたことですし、私も向かうとしましょうか。他の神たちはもう着いていますかね。……はて?」
境内の裏へ来た神様は首をかしげた。まじないの効力が、失せてるような?
そこにちんまりとした愛らしい三毛猫が歩み寄り、途端に顔を全然可愛げもなく怒りの表情に変える。
「てめぇ何してやがったんだコラぁ! さっき坊主が一人『出雲之鳥居』を抜けてっちまったんだぞ、ばーか! このうっかりさんめ!」
「な、なんですって!?」
ガラの悪い青年の声で知らされた事実に、神様はサーッと血の気が引いていった。
この鳥居から出雲に行けるのは一人だけ。つまり神様はもう、出雲には行けない。というか人間の子が入っていってしまったなんて。どうしよう。
無意識に袖にいれていたスマホが、地面に音を立てて落ちた。
*
悟が異変を感じたのは先ほどの小さな鳥居を抜けた直後。
辺り一面がさっきまで自分がいた神社の景色ではなく黄金色の空間に変わる。そしてたちまち濃霧がすぐに悟の視界を覆いつくした。
「え、なに!?」
瞬時に、本能でヤバい所に入り込んだと察した悟が引き返そうと、背後に目線を向けた途端に絶句した。
……鳥居がどこにもなかったのだ。
ザワッと一瞬にして全身に鳥肌が立った。
おい嘘だろ神様! たしかにさっき神様の馬鹿って言ったけど、だからってこんな目に遭わせなくていいじゃん! ってか何この状況!? 夢だよね!?
試しに自分の頬をつねってみた悟は痛みとショックで目を見開いた。
……現実だ。
すると徐々に霧が晴れていき周りに何者かの影が現れる。それらは人の形をしていたり、動物の形をしていたり様々だ。悟はとにかく誰かを頼ろうと、近くにいた背の高めな男性へと近づいた。近づいて初めて気が付いたが、彼は白い紙を額に貼り付けて顔に垂らしていて、その表情は見えない。
「あのー、すみません」
悟が意を決して話しかけると、その人物は素早く悟を二度見して驚いた。
「君、なんで顔を隠しておらぬのだ! ここのしきたりを忘れたのか? ……む? 神格が微塵も感じられないな。さては新入りの神だな?」
「は? 神? 僕が!?」
「何を寝ぼけたことを言ってるんだ、君も『神在月』だから、わざわざここに来たのだろう?」
「か、かみありづき……?」
「面倒なものよの、こうして『出雲へ向かう道』を通り出雲に集わねばならぬとは。人間たちの世界では、どうやらこの時期を出雲では『神の在る月』、それ以外では『神無月』などと呼んでいるらしいが、的を射た呼び名だ。ここだけは人間に感心してやってもいい」
神無月。それなら僕も知っている。
たしか学校の授業で習った。『神無月』はたしか十月――と、ここまで考えて思い出した。そうだ、今は十月。ちょうど『神無月』だ。
思考にふけっている悟を見た人物――この会話から察するに神様の一人はため息をついた。
「本当に君は何も知らぬのだな。それならばしょうがあるまい、教えてやろう。とにかく、出雲へ着く前に我々は顔を隠さねばならないのだ。万が一人間と相対した時、我々はけして顔をあやつらに見せてはならぬからな。この紙を君にあげよう」
そう言って神様は何か分からない文字のようなものが書いてある紙をぐりぐりと悟の額におしつける。
悟はその神様が前を向いている間に両目のあたりにこっそり穴を開けた。
「さて、出雲に着いたら新米の神である君は、位の高い神から仕事を言い渡される。君はそれをこなさねばなるまい。位の高い神は顔に赤い紙を垂らしているからすぐわかる。頑張りなさい」
「あ、ありがとうございます……」
「達者でな。また会おう」
そしてその神様は歩き始め、前方に見え始めた光の中に消えた。