2-09 異常少年が陵辱ゲーヒロインを救うそうです(仮題)
あの降り注ぐ光の雨を見て、炎に包まれる人々を見て、俺は悟った。
俺の信じていた世界は、全部嘘だったんだと。 ───幕内知樹
来たる戦いに備えて鍛練を積む少年、幕内知樹。
彼は日課である登山中、誘拐されていた留学生の少女ハンナマリ・ヒルヴィサロを救う。
しかし、彼女達を狙う影は一つではなかった……
地元のチンピラ、女を貪る社長、“人を狂わせる”兄妹、政府の秘密部隊───
果たして、彼が戦う目的とは……?
事態は誰もが想像し得ない展開を見せる!
※タイトルはあくまで仮題です。
地平線から差し込む陽の光を背に、少年は山道を踏み締める。
ひとつ歩みを進めるごとに膝が軋み、大粒の汗が顎から滴り落ちた。
汗が服にずっしりとした重みを付加した頃、ようやく彼の行先はなくなった。
羅刹山山頂。折り返し地点である。
「到着っと」
例の如く祠に一礼すると、山嶺からの景色を望む。
標高1500mある羅刹山の足元には酪農業が盛んな丘陵地帯があり、その向こうには羅宮凪市北部の街が広がっていた。
「視力ヨシ」
ここでのやるべき事を終えると、その場に腰を下ろす。そして背負ったリュックを乱暴に降ろした。
ドスンと音を立てたそれの中には、2Lもの液体が入るペットボトルが一本。
ボトルの次に顔を見せるのは土嚢だ。中身に水分を吸わせて、重心が右に傾くように調整されている。
リュックの中身、約42kg。この荷物を担ぎ、さらに10kgダンベルを首に提げ、同じく10kgの砂が入るウェイトベストを着用していた。
「これで目標達成っと。次はテッパチ追加すっかな」
達成感に心を躍らせながら、ペットボトルの封を切る。
スポーツドリンクを食道に流し込み、水分と電解質を補充。さらに持ち込んだプロテインバーを咀嚼し、エネルギーとタンパク質を肉体に充填させた。
これが月一回、最後の日曜日に行うトレーニングだった。
一本目を平らげると、腕時計を一瞥。時刻は午前五時半、登頂開始から一時間が経過していた。
「まだ時間あるな」
この辺りの地図は頭に叩き込んでいる。
そのため、途中の分岐で行ったことのない道に出られるのはわかっていた。
流石に遠回りになってしまうが、どのみち帰りのバス停には辿り着ける。
毎度同じルートでは、面白くない。
「回り道すっか!」
思い立ったが吉日。下ろした重石を担ぎ直すと、来た道を戻り始めた。
───この思い付きが、多くの運命を変える結果になるとは知らずに。
◆ ◆ ◆
県境の山道を、一両の軽バンが進む。
「おい、まだ着かないのか」
助手席に座る男が苛立ちを隠さずに言う。ダッシュボードでは彼が先ほどまで被っていた三つ穴バラクラバが天を仰いでいた。
「もう少しだ。ちょっとしたら県道を外れて、そこの納屋」
ハンドルを握る彼は記憶を辿るように返した。
ちらり。『羅刹山登山口』こう書かれた看板と矢印が目に入った。
運転手の肩を叩く。
「おい、山道があるぞ。本当にこんなところでいいのか」
「落ち着け、見ろよ。こんなロクに整備されてない山で歩くヤツ、そういないだろ?」
ひび割れ、時折崩落したアスファルト。ガードレールの変形は過去の事故を強く想起させ、突如視界に入った倒木にハンドルを切った。
「二度と通りたくねぇな」
目前に広がる惨状は、信用ならない運命共同体の言葉に説得力を持たせていた。
急ハンドルで打った肩を撫でながら、ふと気づく。
「なんか、静かじゃないか」
恐る恐る、助手席の男は背後を振り返った。
徹底した目張りにより視界が失われた荷台では白銀だけが煌めいていた。
「くそっ。おい起きろ!」
エンジンの唸りと、内容も聞き取れないラジオの声。半ば乞うような叫びに返答はない。
そこには、不安を催す沈黙が広がるばかりだった。
「勘弁してくれよっ」
まさかの思いを捨てられない二人は車を停める事に決めた。
すれ違い待避所でブレーキを踏むと、蒼白のコンビは荷台へ向かう。
「心臓とか悪いんじゃないだろうな」
「知らねえよ」
運転手はスマホに手を伸ばすが、すぐやめた。
ルールを破ろうものなら、何をされるかわからない。
「死んでたらどうすんだっ」
「そんなもん想定してるわけないだろ。こっちは攫ってこいって言われただけだ」
誰が言うまでもなく、これは共有している情報だ。
荷物を奪って届ける。それだけの話だったのだから。
「埋めちまおう」
「んな真似したら、俺らも埋められる!」
依頼主の素性は知らない。
しかし、会話をしているうちに最低限のことはわかる。
彼らは大金持ちで、力があり、冷酷だ。
もし逆らったら、殺してもらえるのだろうか?
耳鳴りを覚えながらも、運転手は荷台のドアに手を掛ける。
「なんにせよ、確認しなきゃならん」
相方の首肯を見ると、中をうかがった。
直後、彼の視界は足裏に覆われた。
「ぐあっ」
足のバネを用いたキックが顔面に入った。
白銀の長髪と碧眼に、透き通るような白い肌。見る者の気を惹く顔立ちの半分は、不恰好な猿轡によって塞がれていた。
そんな彼女の四肢は拘束されていたが、膝を曲げるぐらいは出来る。この余力で下手人に一矢報いたのだ。
「ハメやがって!」
しかし、相手は一人ではない。抵抗虚しく片割れによって車外に引きずり出された。
拘束は解けず、助けも呼べず。それでも、その目で威嚇を続けた。
「もういいだろ」
ふらりと運転手が立ち上がる。極限状態と痛みによって彼の理性は完全に折れてしまっていた。
「やっちゃうのか?」
「役得みたいなもんだ」
「そうだよな。こんな格好してんだもんな」
うつ伏せに寝かされ、押さえつけられ、世界が大きく制限される。
これから自分が何をされるのか。使えるのは触覚と聴覚だけ。
「なあ、どうすんだ?」
「うるせえっ、黙ってろ」
金属の摩擦音、布の摩擦音。そして、様々なものが地面に落ちる音。
腰に熱が触れる。布が取り払われ、そこで慣れない外気を感じた。
音が伝えた情報はこれから起きる惨事を予期させる。
憤怒に歪む表情に反し、恐怖で身体は震える。目から涙が溢れる。
男達は嗤う。
「お前が悪いんだぞ!」
心から噴出する怒りの言葉は、口を覆う布に遮られた。
特に強い熱が身体に触れた。その時だった。
「ごぉっ」
何か鈍い音。背後に大きな熱が覆い被さった。
「なっ、なんだあっ」
転がる気配に視線を巡らせる。それは、単なる拳大の石ころ。
「んだテメェは、えーっ!」
助手席の男はこの重量物が飛来した方向を睨んだ。そこにいたのは人間。言うまでもないことだ。
その人間は斜面に立ち、石を後頭部に叩き込んだのだ。距離は10m以上ある。正確なコントロール。
「お前は悪だな」
見下す視線と共に、レッテルが投げ付けられた。当たり前だ。人攫いが正しいはずがない。
しかし金が手に入るのなら彼にとって正義なのだ。
「だったらなんだよぉっ!」
一人ならば逃げるだろう。男はそう判断し、駆け寄った。
予想通り。相手は背を向けて坂を登り始めた。
警察に通報される。その前に、捕えなくては!
「待てやコラっ!」
しかし速い。大袈裟なリュックを担いでいるというのに足が止まらない。
こちらは荷物なぞないというのに、根や坂に足を取られてしまう。
背中はあっという間に消えてしまった。
「くそっ。速ええ……」
静寂のなか立ち尽くす。どうする、このまま追い掛けるか?
いや、それでは放置してきた現場が通行人に見つかるかもしれない。
しかし、逃せば通報は確定。ならば───
「……あの馬鹿、普通に人いるじゃねぇか」
逃避。楽な方へ。
呪詛を吐く以上の気力は萎えていた。
「通報されようが知るか。俺は金が欲しいんだ」
「だからお前は悪なんだ」
背後から気配。咄嗟に拳が出るも、苦し紛れの攻撃は空を切る。相手の姿は下、間合いの内側。
時既に遅し。条件反射よりも早く鋭い肘が男の顎を捉えていた。
◆ ◆ ◆
普段静寂に包まれている山は、珍しく喧騒の中にあった。
山肌をパトライトが赤く照らし、至る場所で紺の制服に身を包んだ捜査員が現場検証に精を出していた。
「ヒルビサロさん。救急車が」
救出された少女、ハンナマリ・ヒルヴィサロは顔を上げた。
寝起きのまま拉致された彼女には毛布が与えられていた。
そしてその内側にもう一着。汗でじっとり濡れたシャツがあった。
「このシャツの人は?」
「こちらで返却しておきます。救急車へ」
このスーツ姿の男は自身を外務省の人間と名乗った。
おおかた、父が慣れた言葉が出来た方がと気を回したのだろう。
「返すんじゃなくて、会いたいの。どこ?」
「彼は今取り調べを受けています。会えません」
「一言でいいから! お願い!」
彼は露骨に嫌そうな顔をした。それを知りながら、ハンナは主張を曲げなかった。
不毛な問答を続けていると、堅物の背後で集団が動いた。その中に、半袖姿の人影を捉えた。
「ねえ! そこの人!」
「あぁ……まったく」
通せんぼをすり抜けて、彼に駆け寄る。幸いにも、向こうは足を止めてくれた。
「よっ。調子どう?」
「サイアク……だけど、ホントの最悪じゃないかな」
彼は修羅場をくぐり抜けたとは思えないほど軽く応対した。
半袖シャツの彼の背後には警官が続く。手には彼の荷物を携えている。リュックは二人がかりだ。
こうして見ると彼が大して年齢の変わらない少年に見えた。
「ねえ。私はハンナ。あなたは?」
周囲から急かすような圧力を感じる。
誰にでも事情がある。ハンナとて、そこまでわがままではない。
「俺? 幕内知樹」
「名気屋の方に住んでる? だったら何かお礼を……」
「ほらっ、行きますよ!」
流石にこれ以上は許してくれないらしい。
警察の側も、知樹に尋ねたいことがあるらしく歩き出した。