第1話 第一王子毒殺依頼
『ミラベル・クレーディア、貴女との婚約を破棄させてもらう。君が毒作りのエキスパートだと知り、幻滅したためだ。手続きはこちらでしておく』
伯爵令嬢ミラベル・クレーディアは、ファシール王国第一王子エルトラン・ヘリオドールから婚約破棄された。
王家の紋章が記された、正式な書状での婚約破棄であった。
しかも、婚約も書状で一方的に行われたので、ミラベルは第一王子の顔を見たことすらない。
まさに前代未聞の婚約破棄劇であった。
この一連の出来事は瞬く間に流布され、ミラベルは「毒作りにうつつを抜かし、第一王子に愛想を尽かされた令嬢」という風評に晒された。
ミラベルの評判はもちろん、クレーディア家の権威そのものも地に墜ちる結果となった。
これに激怒した彼女の父は、ミラベルに告げる。
「お前のような毒娘は家から出ていけ!」
ミラベルは豪奢な邸宅を追い出され、王都の外れに家を持ち、一人暮らしをするはめになってしまった。
***
毒キノコを模したような小さな家があった。
この家こそが、現在のミラベルの自宅である。
「ん~ふふふ……毒と毒を混ぜると~、どうなるのぉ~? もっとすごい毒ができるぅ~……」
奇妙な歌を歌いながら、毒薬の調合を行う娘。
彼女こそがミラベル・クレーディア。人によっては『猛毒令嬢』『毒の申し子』などと呼ぶ者もいる令嬢であった。
紫色の髪を持ち、毒々しい色のドレスを身に纏い、美人の類ではあるのだが不気味な笑みを浮かべる彼女の容姿はまさに『毒の申し子』に相応しいものだった。
家を追い出された彼女ではあるが、毒を扱う専門職の免許を持っている彼女は、ここで毒の研究や調合を行いたくましく暮らしていた。
彼女の毒は、主に狩猟や害虫駆除で利用され大いに役に立っていた。
ノックの音がした。
「あらぁ? お客さんかしら」
ミラベルがドアを開ける。
外には仮面をつけた男が立っていた。
身なりは立派なことから、それなりの地位にいることは推測できるが、それ以外のことは一切分からない。
「ミラベル・クレーディアだな?」
「ええ、そうだけど」
ややくぐもった声。口の中に綿のようなものを含むなどして声を変えていることが分かる。
「あなたに用件がある。中に入れてもらえるだろうか?」
「いいけど、襲ったりしたら承知しないわよぉ」
仮面の男はミラベルの軽口など無視し、中に入ってきた。
ミラベルは男をソファに座らせると、紅茶を淹れようとする。
「結構。さっさと用件に入りたい」
「つれない人ねえ」
ミラベルもソファに座り、二人は向き合う格好になる。
「仮面は外してくれないの?」
「悪いが、外すつもりはない」
「あなたの顔に興味ないし、まあいいけど。それで私になんの用?」
ミラベルの問いに、仮面の男は答える。
「あなたに依頼したいのは……第一王子エルトラン・ヘリオドールの毒殺だ」
「……!」
全く予想していなかった展開に、ミラベルも驚く。
「理由を聞かせてちょうだいな」
「理由は簡単だ。エルトラン王子はあまりに身勝手で暴虐、臣下からの評判も最低だ。彼が王になればこの国は間違いなく滅ぶ。国を想うならば、当然のことだ」
ミラベルにも、エルトランに対しては思うところがあった。
あの王子のせいで、自分はもちろん、クレーディア家までが社交界のつまはじき者になってしまったのだ。
仮面の男もその事情は察しているようで――
「それにあなたもあの王子の被害を受け、恨みがあるはずだ」
「!」
「ミラベル嬢は毒作りにうつつを抜かし、王子の顔を見ることすらなく婚約破棄された、という話は貴族社会では語り草になっている」
トラウマを刺激され、ミラベルも顔に不快感を表す。
「しかし、エルトラン王子をあなたの力で毒殺してくれれば、溜飲が下がるだろうし、国も救われる」
「だけど……私は殺し屋じゃないわぁ。王子を毒殺なんてできるわけないでしょ」
「それがちょうどいい機会がある」
「え?」
「一ヶ月後……王都でフェスタが開かれるのは知ってるだろう」
年に一度、王都の大広場にてフェスタが開かれる。
フェスタにはさまざまな出店が並び、訪れた客を楽しませることになる。
そこには王族もやってきて、店で試食をするのが恒例行事である。
「そこにあなたは店を出して欲しい。王子は全ての店を回るから、あなたの店にも試食に来ることになる。その時料理に毒を盛ってくれればいい。フェスタのような環境では犯人捜しも難航し、あなたが捕まることはあり得ない」
「勝手に計画まで立ててくれちゃって……。悪いんだけど、私は……」
断ろうとするミラベル。
仮面の男はそこへ一押しの一手を打ってきた。
「前金として、これを渡しておこう」
金貨袋を差し出してきた。中には庶民であれば一生遊んで暮らせるほどの額が入ってきた。
「え、こんなに……」
「家を追い出され、いくら毒作りの名人とはいえ生活も苦しいだろう。しかし、これだけあれば少なくとも金の心配はなくなるはずだ。むろん、成功した暁にはさらなる報酬を用意している」
実家と絶縁状態にあるミラベルの生活が決して楽ではないのは当たっていた。
そして、さらなる一手。
「この偉業を成し遂げてくれたなら、あなたの名誉及びクレーディア家の名誉を回復することを約束しよう」
「……!」
ミラベルの心の中にある柱のようなものが揺れた。
今の生活は気ままで楽しいとはいえ、やはり貴族令嬢。自身や家の名誉を回復させ、復興させたいという思いはくすぶっている。
「正体は明かせないが、私はそれができる地位の人間だ」
ミラベルはゆっくりと口を開いた。
「や、やるわ……」
「今なんと?」
「やるって言ったのよ! ……王子様の毒殺」
「あなたならそうおっしゃってくれると思っていた」
仮面で表情は見えないが、なんとなく笑ってるような気がするとミラベルは思った。
「で、どうすればいいの?」
「これはフェスタに店を出す時の届出書だ。王宮で手続きすれば、店を出せるようになる。なんの店を出すかは自分で決めてくれ」
「分かったわぁ」
仮面の男は立ち上がった。
「あら、もういいの?」
「ああ、用件が用件だし、あまり長居をするつもりはない。私がもうここに来ることもあるまい」
ドアに向かう途中、男は何気なく植木鉢に生えている植物に手を伸ばした。
「あっ、ダメ!」ミラベルが叫ぶ。
「え?」
「それは毒草なの。触ったら、かぶれちゃうわぁ!」
「ちっ!」
舌打ちすると、仮面の男は家を出ていった。
一人残され、ミラベルはため息をつく。
「はぁ……引き受けちゃったぁ……」
第一王子への意趣返しと家の再興をできるチャンスをちらつかされ、「毒殺」などという大それた仕事を引き受けてしまった。
もちろん、ミラベルに人を殺した経験などない。
やることはフェスタで自分の店にやってきた王子に毒を盛るだけ。強力な毒さえあれば子供でもできるし、そんな毒を作れる能力を自分は持っている。
「とりあえず……事を進めるだけ進めてみるしかないかぁ」
毒殺の決心が固まったのか固まってないのかよく分からないまま、いつものように毒の研究を進めるミラベルだった。
再びノックの音。
「ん~? さっきの仮面の男かしらぁ?」
ドアを開けると、青年が立っていた。
金髪で高貴な顔立ちをしているが、先ほどの仮面の男とは違い、一般的な町民の服を着ている。
表情に影があり、気弱そうな印象も受ける。
「あなたは?」
「僕はエルトラン……い、いやっ!」
「?」
「エルト……エルトという」
「エルトね。私になんのご用?」
“エルト”を名乗る青年は、こう言った。
「死ぬための……毒薬を売って欲しいんだ」
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