49. じゃあね。
「忘れもん、ない?」
「う、うん」
「パスポート、その他もろもろは?」
「大丈夫。 もってる。 今朝、しつこいくらい確認した」
「じゃ、 行こか」
大きな荷物は、あらかじめ送ってあるので、想子さんは、ショルダーバッグ1つだ。
空港に向かう電車の中では、なんだか、2人ともあまり言葉が出てこなくて、時々、窓の外の景色について、ぽそっと話すくらいだ。
隣同士に並んで座りながら、恋人ではない僕らは、手をつなぐこともない。肩と肩はふれあうのに、その肩に腕を回すことができない(あの雨の日は、例外だ)。 想子さんの膝の上の小さな握りこぶしを、僕は切なく見つめるだけだ。 誰よりも近くにいるのに、これ以上触れられない、僕。
想子さんの横顔を、窓の外を見るふりで、そっと見つめながら、僕は心の中でいっぱい問いかける。
(想子さん。今、何考えてるん? さみしくない? 楽しいの? 平気なの? 平気とちゃうよね? お昼に、僕の握ったおにぎり見ながら、泣いてたよね?)
今は、穏やかなその横顔からは、何も読み取れなくて。 僕は、なんだか泣きたくなってしまう。
(やっぱり、行くなって言えばよかった。 いつでも会えるところにおってや、って。
違う。
そうじゃない。
好きや、って。
ずっとずっと、いつもいつでも、誰よりも大好きや、って……そう言いたかった。
言えばよかった。 寝たふりなんかせんと、ちゃんと直接言えばよかった。
……いや、でも、もし言ってしまって、気まずくなったら、つらい。
もう、二度と、姉弟にも戻れなくなってしまうのは……いやだ。絶対に。でも……)
僕の頭に、本に挟んだルーズリーフのメッセージが、浮かぶ。
最後に付け足した1行を、僕は、少し、後悔し始めていた。 今さらやけど。
『待ってるから。絶対、僕のところに帰ってきて』 僕は、はじめ、そう書いた。でも、それでは、きっと、鈍感な想子さんには、伝わらない。 ただの弟からのメッセージだとしか。 そんな気がした。
それで、僕は、急いで1行付け足した。
『これは、僕からのプロポーズやで』
(どうやろ? 伝わるやろか? 微妙? 大好き、の方がよかったか? )
ぐるぐる考えているうちに、僕は、うとうとしてしまっていたようだ。
「ダイ。 降りるよ」
想子さんの声で、目が覚める。想子さんにもたれて、眠っていたみたいだ。
想子さんが笑っている。
「ダイの頭、案外、重いね」
「……脳みそ、いっぱい詰まってるから」
「ふふふ。 そうかもね」
想子さん、なんだか上機嫌。悔しいような、悲しいような。僕は、少しやけくそのような気持ちになる。
「まだ時間あるし、軽く、お茶する?」
想子さんが、提案する。
「そやな」
カフェに入って、想子さんはサンドイッチとコーヒー。僕はジンジャーエールを注文する。
「え、それだけでええの?」
「うん。 帰ったら、家で晩ご飯食べるし。おにぎり、まだ何個か残ってるから」
「そっか。いっぱい作ってくれたもんな。めっちゃ美味しかったよ。ありがとう」
「それなら、よかった」
「あ、そうそう。ごめんやけど、頼みがあるねん」
「なに?」
「枕カバーとシーツ類、洗濯するの忘れてたから、頼むね」
「うん。それくらい、お安いご用や。 自分のやるついでにやっとくよ」
「ありがと」
「なんか他に、やっといたらええことあったら、言うてや。やるから」
「うん。今は、それだけ。また思い出したら、メールで言うわ」
時間は、ゆっくりのようで、あっという間に過ぎてゆく。
大したことも、大事なことも、何一つ話していないのに、時間はどんどん過ぎてゆく。
想子さんが、立ち上がる。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん」
「見送り、ありがとう」
「気をつけて。行ってらっしゃい」
言葉が、心の上をすべり落ちてゆくみたいだ。
保安検査場の近くまで来ると、
「じゃあね」
想子さんは、手を振って、ゆっくり僕から離れていった。
(行ってしまう。行ってしまう。行ってしまう、想子さん!)
僕は、かたまってしまう。喉に、セメントが詰まったみたいになって、声が出ない。
ヘタレな僕は、彼女の後ろ姿をかたまったまま、見送る。
検査場に入っていく人の列に想子さんが並ぶ。
列が少しずつ、前に進む。僕は身動きもできずに、想子さんの背中を見つめる。
そのとき、一瞬足を止めた想子さんが、急に体の向きを変えた。
真っ直ぐに、僕に向かって走ってくる。




