短編詩集
『無知』
太陽は夜に星が輝くことを知らない
自分が他者に光を貸していることも
そもそも夜を知らないのだから
知ることはない 知る手段がない
それを傲慢さ故の無知だとか
そう批判することこそ
傲慢ではないのか
だけれど濃紺の夜を
銀砂のように光る星々を
夜空に君臨する女王を
知らないことを憐れむことは
哀れなほどに醜いことを
ずっと指摘したくてたまらなかった
『愛してるという』
愛してるという言葉によって
私を縫い止められるという錯覚
煌めくナイフが心を割いて
傷口が四十九日間涙を流している
あなたはこの傷口に杭を打ち込むのか
愛してるという言葉の隙間から
あなたの本心を覗き込む
紅く染まった傷口と
打ち込まれた無数の杭は
きっと私の心を反映した幻
『さようなら 私だったもの』
両足の間から甘ったるく生臭い血が
とろとろと とろとろと 流れ出す
いつの間にやら勝手に作られていた
赤ちゃんを夢見た細胞が
誰にも出会わず死んでいった
それをどうとも思わないまま
私は指折り五日目を待っている
どうして願いを成就させないのと
見当違いの恨みを抱いて
一矢報いようと私に性を突きつける
別に得ようと思って得た物じゃないのだけど
得たくても得られなかったから
そこに何があるのか
考えることをしない
さようなら、かつて私だったもの
新しい命にはなれなかったけれど
私から逃げられて良かったね
『あなたの涙』
私にとってのあなたの涙
両親や先生の子供時代
私にとってのあなたの涙
姫が望んだ五つの宝
私にとってのあなたの涙
水にひらめく金魚の泣き声
私にとってのあなたの涙
海に揺蕩う海月の骨の味
私にとってのあなたの涙
あなたが零した数滴の雫
私にとってのあなたの涙
私があなたに流させた
透明な塩辛い、心の血
『在りし日は幸福』
蒼い空の高さとか
草いきれの香り
唸りながら飛ぶ蜜蜂を
川のせせらぎと冷たさ
花弁の柔らかさ
傾いた陽が黄金色に染める雲を
美しく尊いと錯覚してしまうほどに
いつの間にか私、不幸になっていた
硝子の様に砕け散る水滴
蜘蛛の糸が日の光に白く浮き上がり
雀たちは季節によって姿を変えた
私の鼻が雨の予兆を嗅ぎつける
いつの間にか空が燃えて
西日が両目を貫いた
ふと涙を流したのは
光が美しかったからじゃなくて
ひどくひどく眩しかったから
ただそれだけのこと
『恋情と書いて焦熱』
揺れている 揺れている
あなたの瞳のその奥で
揺れている 揺れている
夕焼けより赤く 空より青く
瞳を翠に染め上げて
揺れている 揺れている
冷ややかな朝も 穏やかな午前も
円やかな午後も 柔らかな夜も
きっと夢を見る時間にも
揺れている 揺れている
うららかな春
うだるような夏
飛び越えるような秋
降り積もる冬
私たちが揺蕩う季節の隙間に
揺れている 揺れている
あなたの瞳に映り込む
私の二つの瞳の奥で
揺れている 揺れている
これまでも これからも
『二人で沈む』
さあ 二人で海の底を目指そう
月の光のドレスを纏い
子供たちを胸に抱いた
私たちの母親の胎内へ
そうして次は一緒に生まれるのだ
同じ場所で同じ時間に
たとえ結ばれなくとも
そうすればずっと二人で歩いて行ける
だから大丈夫 大丈夫
これは終わりじゃなくて始まりだから
どうかその目に海を作らないで
その頬に川を作らないで