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異世界童話『ミラー・バース』

1st:EP06:書架の詩集

作者: たかや もとひこ

               1

 祖父母の故郷に単身移住した私は曾祖母(ひいおばあ)さんが残した小さな平屋に身を寄せることにした。たった一人での新生活。都会での生活に空虚(くうきょ)さや交友関係に息苦しさを感じたからではない。女子大を卒業してアルバイト生活三年目にして、ふと違った時間の流れに身を置いてみたいと思い立ったからだ。

 それが私に、あの不可思議な体験をさせたかどうかはわからない。ただ、久しぶりに電話で話せた祖母は物忘れが改善したかのように涙を流していた。両親も驚くこの変化は祖母には正解だったようだ。


               2

 村役場が世話をしてくれたのは子どもたちが利用する山間留学施設の簡単な管理と運営だった。木造の古い廃校を利用したものなので、小さな図書室の管理も仕事に含まれている。陽光が差し込む廊下に細かな(ほこり)が反射して輝く。夏休みに入って留学生が来れば、その喧騒にこの静かな光景もかき消されることだろう。

 村の職員二人と一通り見て回り、職員室を改造した事務所に戻るとき図書室に案内された。流行りの本は、元々は教室だった各研修室の本棚に用意されているので、ここにあるのは、村の郷土資料と過去の卒業文集などがほとんどということだった。


 そして少女はそこにいた。


 しかし村の職員には少女は存在していないようだった。なぜなら職員が彼女の体をすり抜けて書架(しょか)の間を何事もなく歩いて行ったからだ。私は少なからず驚きはしたが、不思議と恐怖心は湧かなかったので、()えてそのことは口にしなかった。それほど少女はさりげなく、ごく自然に見えたのだ。まるで立体の静止画像のように。


               3

 翌日から仕事の合間に少女に会うのが日課になった。もちろん会うといっても彼女の存在を確かめがてら図書室に異常がないか見回るだけなのだが、奇妙に心が落ち着いた。

 少女は高窓(こうそう)から斜めに差し込む陽光の中で書架(しょか)にある一冊の詩集に優しく手を()え、そこに誰かがいるかのように、少し顔を上げ、いつも微笑(ほほえ)んでいる。後ろに(たば)ねた髪は着物の(えり)にかかり、山袴(もんぺ)の下には赤い鼻緒(はなお)草履(ぞうり)()いている。年齢は私より何歳か若いように見えた。おそらく過去にここに()た人なのだろう。幸せだった瞬間の記憶が結実(けつじつ)したと思える少女の(ビジョン)に興味を覚えた私は彼女を調べはじめた。すると彼女の(ビジョン)が日を追うごとに薄れだした。少女が消えてしまうまで、もう猶予(ゆうよ)はあまりないだろう。真実が知りたい。私は彼女が手を()えている詩集を手にとった。何の変哲もない戦前の古い詩集。裏表紙を開くと図書の貸出票入れが貼り付けてあり、茶色く変色した貸出票が差し込まれていた。そこには二人の名前が交互に書かれていた。一人は男性で、もう一人は女性。女性の名前を見た私は向こう側が()けるほど薄くなったしまった少女に近づくと、胸に()い付けられた名前を(かろ)うじて読みとった。

 貸出票の女性と同じ名前だった。


               4

 貸出票の二人はこの廃校の卒業生だった。

 図書といっても昔は村で本を貸し借りできる所はここしかなかったので、卒業後もしばしば通っているうちに出会って好意を寄せあう仲になった。そして相手を思う気持ちや近況を詩集に(はさ)み込んでは愛情を(はぐく)んだ。(おも)いが通じた二人はめでたく結婚できたが、しばらくして男性は戦争に()って帰らぬ人となった。妊娠していた女性は子どもを生み、女手一つで育てていたが、子どもが独立する前に体を壊して世を去った。幸い残された子どもは結婚して孫が独立した今でも元気でいる。二人に関するこの話は、その人から直接聞き取ったものだ。物忘れが(ひど)くはなっていたが、自分の両親のことは忘れることはないと涙を流した私の祖母。

 図書室の少女は曾祖母(ひいおばあ)さんだった。


               5

 会ったこともない肉親のことを初めて知ってからも私の村暮らしは続いている。今では道の駅で出会った二つ年下の男性と曾祖母(ひいおばあ)さんの平屋で一緒に暮らしてもいる。少し頼りないところもあるが二人でゆったりとした時間を過ごせているので、便利さに置いて行かれた生活も苦にはならない。幸せの瞬間というのだろう。


 詩集は今も図書室の書架(しょか)にある。


               了

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