橋本かすみ 1
桜の舞うこの季節、私は高校生になった。身長は思ったより伸びなくて百五十五センチで止まってしまった。まとまりにくい髪の毛はハーフアップでツインテールにしている。この学校の制服はリボンかネクタイか選べるので、私はリボンにした。新しい制服に身を包まれ、気合を入れて家を出る。目に映るもの全てが新しくて、楽しみと緊張が同時に押し寄せた。
「初めまして。」という声と同時に後ろから肩を叩かれる。振り向くとお日様のように明るく綺麗な笑顔が目の前にあった。
「私、野坂雅。よろしく。」
「私は、橋本かすみです。よろしくね。」
「かすみ…かわいい名前だね。」
その言葉に思わずドキッとした。
「仲良くしてくれると嬉しいな。」
「もちろん、そのつもりで声かけた。」
と言って、また笑った。これが、私と雅の出会いだった。
彼女は身長が私より七センチ高い。すらっとしていて足が長くて私の理想の体型だ。肩につくくらいの長さに切られた髪が雅の美しさを際立たせている。ネクタイを少し緩めているその姿に私は目が奪われる。彼女に笑顔を向けられると胸が苦しくなる。ドキドキして、もっと私に笑いかけてほしいと思う。
この感覚を私は味わったことがある。でも、女の子に、友達にこの感覚を味わうのは初めてだ。あの日芽生えたこの気持ちは雅と一緒に過ごすうちにどんどん大きくなった。まだ、わからない。この気持ちは、気のせいなのかもしれない。そう言い聞かせ私は一日一日を過ごしていた。
そんなある日、私はクラスの男子に絡まれていた。
「ねえねえ、橋本さんって可愛いよね。中学の頃とかモテてたでしょ?」
「そんなことないよ。もう帰るからそこ通らせて。」
と言って無理やり通ろうとすると力強く手首をつかまれた。
「痛い。はな、して。」
痛さと怖さで思わず涙目になる。急いで涙を止めるために眉間にしわを寄せて睨んでみる。
「怒ってる顔も可愛いね。一緒に帰ってくれるなら離してあげる。」
と言いなかなか離してくれない。そんな彼の態度に困り果てていると
「やめなよ。」
と私の前に立ち無理やり掴まれていた手をほどいてくれる。
「なんだよ、野坂。邪魔するなよ。」
「嫌がってるんだからやめな。無理やり仲良くなろうとしても嫌われるだけだよ。」
と言いながら私の方を振り返りあの笑顔で笑う。そして私に思いっきり抱き着き
「そんなにかすみと仲良くなりたいなら、まずは私を攻略することだな。」
とふざけた口調で言うと相手も笑いながらツッコミを入れる。
「誰目線なんだよ。」
雅はすごいな。場の空気を悪くせずに解決できるんだ。
「橋本さん、ごめんね。ちゃんと友達になれるように出直してくるよ。」
「うん、ちゃんと友達になろう。」
と笑いながら言った。
雅が下駄箱まで送ってくれるというので二人で教室を出る。
「雅、ありがとう。すごく助かった。」
「いえいえ、忘れ物取りに行ったら絡まれてるからびっくりした。」
「本当にありがとう。そういえば、部活の時間大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
雅は中学からバスケをやっている。私は部活には入らなかったけど、時々雅の部活を見学しに行っている。
「じゃあ、今日はありがとう。部活頑張ってね。」
「うん、頑張る。…手首、大丈夫だった?」
私の手を取りながら言う。優しく手首を撫でてくれるその表情にドキドキする。顔を直視できない。私は「大丈夫。」と告げて急いでその場を去った。
心配してくれたのに、あんな態度をとってしまった。心臓の音がうるさい。雅に触れられた手首が熱い。もう、この気持ちを誤魔化すことはできない。気のせいじゃない。私は、雅が好きだ。きっと出会ったあの時から私は雅に恋をしている。気づいてしまったこの気持ちは隠さなければならない。
雅との関係を壊さないために、今ならまだ普通の友達に戻れるかもしれない。そう思いながらも私の心臓の音は変わらずうるさくて、手首の熱もなかなか冷めてはくれなかった。
自分の気持ちに気づいてからも雅とは変わらずに過ごしていた。変わったことがあるとするならば、今まで以上に雅の恋愛について興味を持ったことくらいだ。今まではお互いそういう話はしたことがなかった。
でも、好きな相手のことは気になるものだ。いつもと変わらないように、あくまで自然な感じを装い聞いてみる。
「そういえば、雅って好きな人とかいるの?」
思ったより緊張して声が震える。
「いるよ。というか、付き合ってる。」
「え、恋人がいるってこと。」
「そう、一組の松永奏多っていうんだけど、今度紹介するね。」
「あ、うん。楽しみにしてるね。」
私は自然に話せているだろうか。笑えているだろうか。彼氏がいる、そんなこと考えていなかった。雅は男女ともに友達が多いけど、恋愛的な話は聞いたことがなかった。勝手に、恋人どころか好きな人すらいないのではないかと期待していた。
自分の気持ちに気づいたばかりなのに失恋した。そもそも恋愛対象でない私は、対抗することもできない。諦めよう。それに、今ならまだ友達に戻れる。この気持ちも簡単に消せるかもしれない。こんなに仲良くできている、それだけで十分嬉しいことだ。そんな考えを巡らせていると、雅の呼ぶ声で現実に引き戻される。
「かーすーみー、聞いてる?」
「ごめん、考え事してた。」
「何かあったら相談してね。」
「ありがとう。」
雅は優しい。いつも私を気にかけてくれる。でも、ごめんね。このことは相談できないの。複雑な気持ちになって心が痛い。強くならないと、と自分に言い聞かせる。そのまま雅の目をまっすぐに見る。
「今日は委員会あるから行くね。」
と伝え足早にその場を去った。
委員会はそれぞれ各クラス一人ずつで、私の所属する図書委員では同学年の隣のクラス同士でペアを組み仕事をこなす。
私のペアは、一組の黒木想君。仕事の話ししかしたことがないけど、物静かで優しそうな雰囲気をしている。少し長めのサラサラの髪の毛を右側だけ耳にかけている。身長は百七十五センチあるらしい、と言う話を友達に聞いた。暗い色のカーディガンを着ているその姿はまるで、絵に描いたかのように綺麗だった。
委員会の仕事の量はあまり多くなく、いつもゆっくりとこなしている。そんな中、私は最近気づいたことがある。想君は、いつも決まった席に座り窓の外を眺めている。仕事の途中でも関係なく、真剣にでも愛おしそうに見ている。仕事をちゃんとやってほしい気持ちと、そんなに真剣になるほど彼は一体なにを眺めているのかが気になっていた。
視線を窓の外に移すと外ではサッカー部が練習をしている。あの中に誰か気になる人がいるのかと考える。私は興味本位で声をかけた。
「あの、想君はいつもこの席から何を見ているの?」
彼は少し驚いて、何と言おうか考えているのか妙な間の後に話した。
「サッカー部の…友達を見てる。」
「そっか、やっぱりサッカー部のこと見ていたんだね。」
「うん。仕事サボってごめんね。」
と席を立とうとした彼の肩に触れる。
「大丈夫。もう終わったから。…一緒に見てもいい?」
我ながら思い切ったことを聞いたと思う。彼は頷きながら向かいの席に座るよう促してくれた。
その席に座り、知り合いがいるわけでもないサッカー部の練習を眺めた。想君の視線の理由を考えてみるがわからない。それどころか、目に映るのはサッカー部なのに、頭の中には雅の笑顔と雅との会話ばかりが思い浮かぶ。思い返しているとどうしてもモヤモヤしてしまう。
「橋本さん、仕事ありがとう。」
不意にかけられた声にビクッと肩を揺らす。
「どういたしまして。」
短い会話を終えてまた視線はサッカー部に移る。サッカー部の練習はまだ続いているものの私は暗くなる前に帰ることにした。
鍵閉めは想君に任せて図書室をあとにする。帰り道、私はどうしたらこの気持ちに終わりを告げることができるのか考えた。でも、その答えが見つかることはなかった。