うまれる、感情
大好きな人と結婚して、子供を産む。それが小さな頃からの夢だった。社会に出て大切な人と出会って、何度か別れも経験して。永遠を誓う相手に出会ったのは、三十五歳を過ぎた頃。
「私、早く子供が欲しいわ」
出産にタイムリミットがあることも、歳を重ねる毎にリスクが増すことも知っていた。決して早い結婚ではないことが、私の焦りの原因だった。
「そんなに急ぐ必要なんてないだろ。二人の時間も大切なんだから」
「でも、年齢を重ねるごとに、ずっとリスクは増していくのよ」
「リスクってなんの? 君は健康だろ。子供を産むのに、それ以外必要があるのか」
「私自身のリスクなんてどうでもいいの。問題は子供が健康に産まれてきてくれるかなのよ」
押し黙った夫に言い聞かせるように、私はそのリスクを説明した。
「ダウン症の子供は母体の年齢があがるほど、その出生率を増すのよ。自分の子供を障害者にしたいの?」
しばし考える素振りをして、夫はわかったよ、と同意を口にした。
夫を説き伏せて始めた妊活は難航した。
卵子が成熟しにくい身体であることを、私はこの時始めて知ったのだ。以前から生理不順はあったけど、仕事で掛かるストレスが原因であると思っていたのに。
「薬を飲めば、排卵を促すこともできますよ」
先生の言葉にすがる思いで、私は服薬を開始した。
それからが大変だった。卵子の成熟具合を確認しながら、タイミングを合わせての妊活の日々。先生が指定した日に夫の帰りが遅いと、喧嘩になった。思い描いていた甘い新婚生活が、いつしか妊活中心の生活になっていた。
そうしてようやく愛しい命が宿ったのは、一年後。でもそれは、薬を飲み続けてようやく授かれた命だった。自然の授かりものとは違うのではないか。自分の卵子には子供に引き継がれる欠点があるのではないか。年齢の心配と同時に、そんな不安が増していた。
その不安を口にすると、
「出生前診断というものがありますよ」
と先生は言った。
「出生前診断って?」
「羊水検査や母体血清マーカー検査といったものですね。ダウン症などの染色体異常の判定に有用です」
「障害が、わかるんですか?」
「限られたものにはなりますが……」
「やらせてください!」
先生の言葉を断ち切って、私は即答した。
「検査による流産のリスクも、検査結果が望まれないものである場合もありますよ?」
忠告など聞いたところで私の気持ちは決まっていた。早く安心感を得たい、それだけだった。
その後、形ばかりの夫の同意を得て検査を受けた私は、出てきた結果に愕然とした。
二十一番染色体トリソミー陽性。それがダウン症なのだと、穏やかに説明する先生の声がひどく遠くに聞こえた。
「この結果をどう受け止められるか。旦那さんとよく相談して決めてください」
相談しろと言われたって、リスクを説いて夫を説得したはずなのに、夫はこの結果を受け入れてくれるのだろうか。そもそも、私にダウン症の子供を受け入れられるだけの決心ができるのか。
苦労して得た命だ。例え障害者を持って産まれてこようとも、それはかけがえのない我が子だ。けれど自身が出産を急いだ理由を思い出して、決心が揺らぐ。そんな思考の繰り返し。
夫に診断結果と、自身の気持ちを告げれば、返ってきたのは意外にも優しい言葉だった。
「子供の幸せを第一に考えて選択しよう」
言葉の具体的な意味がわからず、首を傾げた私に夫が続けた。
「障害を持っていようとも、幸せだと感じられる環境を準備してあげられるか。どんなことがあろうとも、僕たち夫婦の元で育つことが幸せなことなのだと、子供に感じてもらうことが可能だと君は思うかい?」
「そういうことなら、私たくさんの愛情を注いであげられるわ」
産んでいいんだ、と興奮した私を見て、君は何もわかっていないよ、と夫はため息をついた。
「障害を持って産まれてくることを、親である君が少しでも恥に思うのだったら、きっと子供は幸せになれないだろう。君に迷いがある時点で、僕は産むべきではないと思う」
優しいと思った夫の言葉が、心に突き刺さった。
「でも……」
「君はどんな時でも、産まれてきた我が子の前で笑顔で居続けられる自信はあるのかい?」
私は反論できなかった。一度抱いた不安がどんどん膨らみ、他のことが目に入らなくなってしまった結果が、今の状況を生んでいる。我が子の障害に少しの不安が生まれれば、私の不安がいつしか我が子を傷つけてしまうのではないか。
もちろん産みたい、でも、夫の言葉に肯定を口にするだけの自信はなかった。
夫婦の出した決断は、中絶だった。
手術を翌日に控えて、寝つけずにいた私は、ベッドを抜け出し机に向かった。
思いが行き場を無くし押し寄せてくる。この気持ちを何かに吐き出さなければ、狂ってしまいそうだった。手近にあったチラシの裏に、半ば自棄のようにペンを当てる。
産まれて来ることがない我が子へ。
弱い私を、許してください。
許して、許して、と許しを請うその言葉は、いつしかチラシ裏を真っ黒に染め上げていた。その黒は私の心をも飲み込んでしまいそうだった。
私の心は今も晴れることはない。あの時の選択が果たして、正しかったのか、間違っていたのか。それは今もわからない。