エリエ 21歳
建てられてから随分経つだろうに、国営病院の外壁は未だ純白を保っていた。定期的に塗り直しでもしているのだろうか。こんなところに国民の血税が使われていると思うと、やるせない。
駅から乗ってきた無人タクシーを降りて、病院の正面玄関からエントランスに入る。自動ドアが閉まると、ジリジリと響く蝉の声がパッタリと途絶えた。院内はクーラーが吐き出す不自然な冷気に満たされていた。エントランスに人はまばらで、これほどの規模の病院に、まるで誰も入院していないのではないかと思えるほどだった。色が白やベージュで統一されていなければ、ホテルのそれと見紛うほど、エントランスは整然としている印象を受ける。受付に進むと、窓口担当者が立ち上がって恭しく頭を下げた。
「いらっしゃいませ、面会ですね」彼女はにこりと笑った。先日までの型落ち機体とは異なる、洗練された笑顔のデザインだった。引き継ぎはきちんとなされているようで、僕の顔を見るなり、分かっていますよ、とばかりに言葉を継いだ。
「エリエ様は22階の……」
「ああ、場所はわかりますので大丈夫です。手続きを」僕は左手首のサイクロを受付のレジスターにかざした。
「失礼しました」受付担当が機器を操作し、僕のサイクロの情報をピピ、と読み取る。
僕は会釈してエレベーターへ向かった。
エリエの病室からは都市が一望できた。エリエはよく窓辺に座って景色を眺めている。今日も例に漏れず、窓辺に張り付いていた。
他の部屋がどうなっているのかは知らないが、この病室はいつきても新築物件の匂いがする。シミ一つない床、絹のような光沢を放つベージュのカーテン、LEDのシーリングライト。エリエが仕事で使っているノートPCと充電器、そしてエリエが欲しいとねだるので買ってきたプラネタリウム、小さな箪笥とベッドサイドテーブルを除いて、この部屋には何もなかった。
「あ、お兄ちゃん」
「あんまり紫外線にあたると将来シミになるぞ」
「ご心配どうも。兄さんはもっと日に焼けたほうがいいよ。死んだ人みたいに白いから」
「アルビノなんだ」
「へえ、髪もまつ毛も眉毛も黒染めしてるわけ?」
「これが結構手間でね」
「今日のお土産は?」
僕はカバンから最新式のタブレット端末が入った箱をベッドサイドテーブルに置いた。
「ありがとう〜、仕事が捗るわ」エリエが窓辺から箱に駆け寄る。
「高かったんだから、元取れよ」
エリエは早速箱を開封し始めた。
「退院したら食事に連れてってあげるわ。何がいい?」
「すげー高いとこ」
「せめて美味しいものって言ってよね」
タブレットは窓から差し込む陽光を反射してキラキラと光った。
「リハビリは順調か?」
「順調すぎるくらい順調。順調なのにいつまで経っても退院できない。点滴をしているわけでもないのに。ほんとになんなのよ」
「生きてるだけでも奇跡的なんだから文句言うなよ。記憶はどうだ?」
「最近ね、受験生だった時のこと思い出したよ。地獄だったなあ、勉強漬けでさ、あの頃北海道行こうって言ってなかったっけ?」
「ああ、流氷だろ。行きたいって言ってたな」
「退院したら北海道でウニいっぱい食べよ」
「いいなそれ」
エリエはタブレットを充電器に繋ぐと、ベッドに腰掛けて僕を見た。
「お兄ちゃんが来る前は結構いい感じに色んなこと思い出すよ」
「他に思い出したことは?」
「事故のこととか」
エリエは俯いた。「すごい痛くて、怖くて、たまに夢に見るんだよね」
「じきに気にならなくなる」僕は言った。「仕事は順調か?」
「仕事? ぼちぼちかな」
「プログラミングはいつの時代でも役立つからな。必要なのもPCと目と腕と頭だけだ」
「あ、最近車屋さんのアプリ開発やったよ。小さなお店だけど」
「すごいな。何するんだ?」
「商談とか整備の予約できるやつ」
「へえ」
「大学の講義聴いて、仕事して、リハビリして。ずっとそんな感じ。娯楽が欲しいわ〜またワインとか買ってきてよ」
背後で病室のドアが開いた。
「うわ」エリエの顔が引き攣る。
「あら、聞かれちゃまずい話でもしてた?」エリエの主治医は言った。エリエはこの女医を苦手に思っているようだった。
「いいえ何にも、先生。こんな時間に珍しいですね」
「お兄さんがいらしていると聞いたから」彼女は僕を見た。
「……俺に何か?」
「妹さんの容態について報告をしておこうと思って」
「メールでいただけると助かります」僕は言った。「大切なことは記録に残しておきたい性分でして」
「学者様らしいわ」彼女は言った。「まあ、兄妹水入らずの時間に無粋でしたね。お詫びいたします」
「いえ、そんなつもりは」
「分かっています」彼女は言った。「経過は順調です。それだけお伝えしようと思って」
「それは良かった」僕は言った。
「いつ退院できますか?」エリエは言った。
「それはお兄様次第かしら」リムレスメガネの奥の目は至って真面目だ。
「どういうことですか?」エリエが首をかしげる。
「お兄様が熱心にお見舞いに来てエリエさんを元気づけてくれたら、早く記憶も戻って、身体も良くなって、退院できますよ」
「だってさ、お兄ちゃん」
「だったら1階の病室にしてくれ。22階は通うには遠い」
「えー、ここからの夜景気に入ってるのに」
ふふ、と主治医は笑い、それじゃあね、と言って病室を後にした。
「忙しいのにごめんね」エリエは言った。
「対して忙しくもないよ」僕は言った。
「嘘よ、見るたびやつれてるもん。よく食べて、よく寝てね。私も早く良くなるように頑張るから」
「ああ。勉強も仕事も頑張ってな」
それからエリエと30分ほど話をして、僕は病室を後にした。1階の事務所に主治医のオフィスがあるが、僕はそこを素通りして帰った。エントランスには相変わらず受付の他に誰もいない。退館手続きを済ませると、受付嬢は微笑を称えて礼を言い、会釈した。僕も反射的に会釈を返してから、汎用機体に会釈を返して一体なんになるのだろうかと自嘲した。
正面出入り口の自動ドアが開くと、むせ返るような熱気と蝉の声が吹き込み、僕を現実の世界へと引き戻した。




