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ヘヴィ/プラスティック=キャデラック  作者: 式丞 凜
Chapter1 ── Forte(フォルテ)
6/6

#6

「あの()、あんたの雇い主なのかい?」


 カウンターの中から女が尋ねた。白みがかった長髪を後ろで引っ詰めにし、ビア樽型の体躯を薄汚れたエプロンで覆っている。アニーと別れてのち、市場(マーケット)を当てもなくさまよい歩き、たまたま目に止まった(さび)れた酒場──その強化プラスティックのカウンターでフォルテは、ちびちびと偽麦汁オルタナティブ・エール(あお)っていた。


「見てたのか、あんたも」


 フォルテ──空になったグラスを掲げて5杯目を注文/どれだけアルコールを摂取しても、ものの数秒でシラフに(かえ)ることができる=フォルテの体内を循環する浄化ナノマシン群による恩恵/擬肢体には本来不要の飲酒行為=飲酒/喫煙──飲まずにはいられない気分。


「あんたが入ってくるまで、みんなその話題で持ちきりだったさ」


 女──偽麦汁オルタナティブ・エールが並々と注がれたジョッキを勢いよくカウンターに置きながら。


「それにしても」女がカウンターの下から半分になったジョッキを取り出して、一息でそれを飲み干した。

「よくあんな小憎らしいガキに雇われ続けてるね。あんた、()()()の趣味でもあるのかい?」


 上目遣い──挑発するように/分厚い唇──下卑た薄笑い。


「どうとでも受け取ってくれ」


 フォルテ──歯牙にも掛けず、偽麦汁オルタナティブ・エールを口に含む。


「へぇー。案外、まんざらでもなかったりして」


 女がなおも言い募る──フォルテがジョッキを置いて、じっと女を睨みつける。


「そんな怖い顔しなさんなよ」女──自分のジョッキをカウンターの上に置いた。

「ウチら擬肢体は、例の《不可侵性インペネトラビリティー》ってヤツのせいで人間へ危害を加えられない。でも、退職願いを出す自由くらいは与えられてるじゃない。どうして辞めようとしなかったのさ? あのクソガキに散々言われ続けてきたんだろ? よく我慢できるもんだ。ウチなら《不可侵性インペネトラビリティー》に抵触しない範囲で、ありったけの仕返しをしてやるのに」


 国際擬肢体法(IAL)、第六条──すべての機械生命体およびこれに準ずる機械類は、()()()()()()()()()()()人類への不利益を働いてはならない。


 その詳細=第六条/C項──とりわけ、人間に対する危害、損害は厳格なる姿勢をもって取り締まる必要がある。各国の司法・立法・施政機関がそれを担い、機会生命体への周知を徹底させるべきである。


 《不可侵性インペネトラビリティー》の制定──製造されるすべての擬肢体に組み込まれた安全装置/決して人間へ危害を加えないための頸木(くびき)


 直訳──”黙って人間サマの言うことに従え、この()()機械ども”。


 フォルテは煙草に火をつけた。深々と煙を吐き出し、遠くを見つめるように目を細める。


「つい二月前までのアニーは、あんなのじゃなかった。あの()は、今まで頑張り過ぎたんだ。プラスティック過ぎただけなんだ……」


「プラスティック? そりゃどういう意味だい?」


 女がフォルテの顔を覗き込んで質問──曖昧な唸り声ではぐらかす。


 吐き出した煙が、配管が剥き出しになった天井へ立ち昇る──その様子を呆然と眺める。


 安価なネオン灯に反射する紫煙──その煌めき/脳裏をよぎる、二月前のアニーの姿。


 明滅するビジョン=過去の情景──二月前のアニー/今は金髪に染めた髪は艶やかな黒色/素養が窺える嫋やかな物腰/決して感情を面に出さず、大人の言いつけを従順に守る素直な女の子。


 記憶の中──冴え渡ったアニーの声=”お気を付けて、お父様。いってらっしゃい”。毎朝の日課──仕事に向かう父を見送るアニーの背中/扉が完全に閉まるまで、白い歯をみせた会心の笑顔で父の背を見届ける。その紫色の瞳──敵意もなく/反骨心もなく/十全たる謹直さで溢れている。


 通称アニー/本名アニマート──深窓の佳人/箱入り娘。


 その父=擬肢体の開発を手がけるバイオテック企業の開発研究員/主任。


 その母=アニーの生みの親/アニーの父親の再婚相手/愚直なまでの素直さと寡黙さを備えた主婦。


 一家の方針=厳格な教育方針──すべて父親の采配。


 子どもを作ることができない体質だった父──連れ子として家庭に入ったアニー=まさに天からの贈り物/僥倖/祝祭。すっかり諦めきっていた子どもを持てた悦び──そして、その反動。


 一人しかいない子ども──長女アニー──迸った父の愛情は歪な形となってアニーへ向けられた。


 厳格な教育方針──敷かれたレール/束縛/拘束──一度載せられた線路からは、降りることも、止まることも赦されない。父の口癖=”いいか、アニー。おまえは、私の跡目を継ぐんだ。うちにはおまえしかいないんだ。おまえが、すべてなんだ”──そう語るときの父の目──そこに滲む執念/焦慮/必死。


 一日十三時間──総勢十八人の個別教師による英才教育の幕開け。


 その学科=基礎教養/ピアノ/言葉遣い/社交儀礼/絵画/テニス/料理/バイオ工学の基礎理論──一般的な十代の子どもが学ぶことを、アニーは六歳から叩き込まれた──否応なく/仮借なく。


 そこにアニーの意思など存在しない/感情を押し殺し、従順という仮面を被る/徹底的に自我を抑えつける。


 周囲の大人たちは、誰ひとりとして父に意見することができなかった。


 気弱な母──罪悪感を抱きながらも反論できず/目を真っ赤に腫らし、涙混じりに嗚咽しながら社交的な笑顔の練習をさせられるアニーの泣き声を、部屋越しに沈鬱な顔で聴いていた。


 従者たち──擬肢体(アンドロイド)/雇用主の命令は絶対服従/《不可侵性インペネトラビリティー》に抵触することは、解体処分(スクラップ)と同義──ゆえに沈黙/見て見ぬ振り。


 フォルテ──アニーが七歳のとき、彼女の父に雇われた/監獄のような毎日を耐え忍ぶアニー/それを見守ることしかできなかった/助け出したい衝動を必死に堪える──《不可侵性インペネトラビリティー》を遵守。自分に向けた言い訳=”俺に与えられた命令は、彼女を守ること。助け出すことは含まれていない”。


 夜──広壮たる屋敷の中に、アニーの泣き声が響く──その声を聴き忍ぶ、眠らない擬肢体たち/フォルテ。


 そして訪れた、転機──人類移住計画『プランB』の発動/惑星航行船団《方舟》による他惑星系への脱出/国連宇宙局から全世界の住宅へ送られた通達/誘導=”荷物をまとめて引っ越しの準備を! 火元と戸締まりの確認をお忘れなく!”。


 アニーの発奮/決意──脱出。地球からの脱出ではなく、父の束縛からの。


 《箱舟》へ乗り込む三日前──その夜。


 記憶の中のアニー=十一歳になったばかりの女の子/髪は黒く、口紅も、香水もしていない令嬢/レースのついたドレス。ガレージの中で不審な物音──懐に愛銃(フェンダー)をしのばせ、様子を窺うフォルテ──息を潜め、タイミングを見計らい、灯りをつけた──”動くな! 両手を頭の上に載せてゆっくりと膝をつけ! 少しでも動けば跡形も無く消してやる!”


 殺意をたぎらせたフォルテ──その目に飛び込んできたのは、車のトランクにキャリーバッグを詰め込むアニーの姿。


 意想外の不審者──動転/唖然/惑乱──銃を降ろし、まっすぐに少女を見た。


 雇い主の娘──雇われてからの四年間、言葉を交わしたことすらなかった。


 咄嗟によぎる迷い──雇い主に報告するべきか/否か。


 困惑げに少女を見つめるフォルテ──じっと見つめ返す紫色の双眸──ついぞ忘れていた百年前の女=最愛の人の顔が、重なって見えた気がした。


()たち、どうせ死んじゃうんですよね、フォルテ()()……」


 ふっくらとした小さな唇──滑らかな発音/冴え渡る声──磨き上げられた令嬢の振る舞い。


「君たち人類は新たな土地へと旅立つ。そこでは第二の生活が待っているはずだ」


 フォルテ──無難な返答。十代の少女へ、どんなふうに話せばいいのか分からない。


「私は……行きたくありません」


 アニー──消え入るような声/哀愁に満ちた昏い声音。


「私は、ここに残ります。ですが、きっと父様はお許しにはならないでしょう。私を殴りつけてでも、《箱舟》に乗せるに違いありません……」


 訥々と、しかし固い決意を感じさせる口調でアニーは言った。。


 だから、尋ねた。


「ここから逃げ出したいのか?」


 アニーの目が大きく見開かれた。


 一拍の間を置いて、まばゆいばかりの笑顔でこう問い返した。


「私を助けてくださいますか?」


 暗闇の中に一条の光明を見いだしたような、アニーの表情に──こちらをじっと見据える、輝ける紫色の瞳に、フォルテは胸を締めつけられた。


 これまで自分に散々言い聞かせてきた言い訳=”俺に与えられた命令は、彼女を守ること。助け出すことは含まれていない”。”


 訂正/修正/改正──その新たな言い訳=”このまま一人で行かせては、命令を守れない。彼女を護る──その命令を実行するためには、俺が彼女の側にいるしかない”。


 フォルテ──開きっぱなしのトランクからはみ出した巨大なキャリーバッグを指で差す。


「荷物はこれだけか?」


 アニー──一瞬、呆気にとられたように立ちすくみ、それから大きく頷いた。


「ありがとうございます、フォルテさん」


 目尻にうっすらと涙を浮かべ、今まで見せたこともないような笑顔で、アニーは言った。


「フォルテだ。俺のことはフォルテでいい」


「私はアニマート。皆さんからはアニーと呼ばれています。よろしくお願いします、フォルテ」


 差し出されたアニーの手──フォルテが応じ、手を差し伸べた。


 交わされた握手/手の中の小さな温もり──一世紀ぶりに()()()()()の輝きを感じたような気がした。


 そしてフォルテは固く心に誓った。この温もりを誰にも傷つけないことを。




「……ってなわけさ。まぁ、うちら擬肢体にとっちゃ徘徊者も捕食者もどっちも厄介な相手なんだけどね……っていうか、あんた、人の話聞いてんの?」


 女が荒々しくカウンターを叩いたのと、フォルテの意識が現実に返ったのがほぼ同時だった。


「あぁ……聞いてた」


 はぐらかすように答えて、残り僅かになったジョッキへ手を伸ばす。


「ちぇっ。どこまで聞いてたんだか」


 女──苛立ちまぎれに、床へ(たん)を吐き捨てる。


 ジョッキを飲み干したフォルテ──椅子から立ち上がり、店の戸口へと足を向ける/自動認証された《ウォレット》から酒場の代金が差し引かれる/ふと、思い出して足を止め、肩越しに振り返って女へ問いかける。


「そういえば、このあたりに腕のいい技術屋(メカニック)はいないか? こいつを修理したいんだが」

 外套(コート)の内ポケットに右手を突っ込み、黒い鋼鉄の銃(フェンダー)を取り出してみせる。


 談笑していた客たちがその異形をみとめ、店内は水を打ったように静まりかえった。


「けっ、うちの店でそんな物騒なモン見せんなってんだ。まったく(ファック)。腕は知らないけど、ここから一区画(ブロック)先に技術屋がいるよ」


「すまない。恩に着る」


 銃をしまい、店の扉を開けようとしたとき、背後から女が言い添えた。


「言っとくけど、そいつら《残留組(ステイヤーズ)》だからね。ぼったくられないよう、せいぜい気をつけな」


 忌々しげな口調──心底から人間を毛嫌いする機械至上主義者(マシーンニスト)の傾向。


 フォルテはそんざいに片手を振り挙げ、店を後にした。

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