#1
夜の荒野──追走劇──逃走者/追跡者──限りなくシンプルで明瞭なルール=”生か死か”。
真っ暗闇の中を切り裂く幾筋ものヘッドライト/エンジンの駆動音=獰猛な機械の雄叫び。
逃走者=時代錯誤なガソリン車──電気車輌が主流となった現代では滅多にお目にかかれない絶滅危惧種/前世紀、大統領の警護車輌として重用された堅牢な移動要塞/機械仕掛けの猛獣=キャデラック・ビースト。
追跡者=最先端の大型バイク──十一台の集団走行/いかめしい外装に対し、その駆動音は寝息のように静謐/気品すら感じる静かな走り屋。
だが、その駆り手どもが発する嬌声/奇声/喘声が品格を地の底にまで堕落させている。
「おい、時代遅れのガソリン野郎! そろそろ濡れてきたんじゃねえのか?」
集団の先頭を走るバイク──シートに跨がる男が叫ぶ/中指をおっ立てる──露骨な挑発行為。
「あんまり焦らしてっと、後ろからファックされちまうぜ!」
集団の中から別の男が挑発──右手に持った鉄パイプをぶんぶんと振り回す/さらなる挑発/露悪的な扇情行為。下卑た笑い声が集団の中から、どっと湧き起こった。
その光景をサイドミラー越しに見ていた男=逃走車輌の運転手=フォルテ──苛立たしげに舌打ち。
掘り出した石像を思わせる精悍な面立ち/シャープな鼻筋/骨張った頬/左頬に刻まれた大きな裂傷──酸性雨を弾くマイクロファイバー繊維を編み込んだ漆黒の外套/スーツ・シャツ・ネクタイ=すべて黒──まるで会葬者のような出で立ち/短い金髪の屈強な男=警護要員仕様の擬肢体。
黒い革手袋を嵌めた両手──ハンドルを壊れんばかりに握り締める。
「徘徊者どもめ、調子に乗りやがって」
ダッシュボードの速度表示計=時速190キロ/機械の獣が出しうる最高速度/V型八気筒エンジンの臨界点。
さらに舌打ち──これ以上の加速は不可能/耐爆・耐火・耐衝素材=厚さ五センチの軍用強化装甲と厚さ十二センチの防弾ガラスがもたらす車体重量──約九・五トン。鈍重な移動要塞/速度を犠牲に獲得した成果──ロケット弾にすら耐えうる堅牢なボディ。だが、その鉄壁の防御壁も今の状況では不利を招く。
この世界の第一原則──簡潔/明瞭なルール=”停まるな。時速190キロで疾り続けろ”。
停止/静止/制止──それが示すのは死。
後方から迫る徘徊者ども/前方で待ち伏せる捕食者ども──《方舟》に乗って地球を去った人類/主人を失った擬肢体と無人機械/機械生命体たちの織りなす饗宴/あるいは共演──両者に挟まれながら、ひたすら車を走らせる日々/《生存者》に定められた不条理な運命/帰趨。
湧き起こる、不退転の意志──背後の徘徊者たちを振り切る方策を考える。
「どうしたの? 考えごと?」
助手席──少女がフォルテの顔を覗き込みながら尋ねる/表情から何かを察したのだろうか、小さな体躯をもぞもぞと動かし、運転席へにじり寄る。
「なんとかして徘徊者を振り切らねば。これではいつまで経ってもラチが開かん」
サイドミラーを一瞥するフォルテ──先刻から変わらぬ後方との距離。
「アレ使っちゃえば? ダダダダ──ってぶっ放すの。絶対、スカッとするって」
手で銃の形を作り、銃撃の真似事をしてみせる少女──屈託のない笑み/口紅を塗った唇を尖らせて、銃声を再現/暴れたくて仕方ないといった様子。
「どこで弾を補充できるかわからん。できれば使いたくない」
「うぇー。もういいじゃん。そんな細かいこと気にしなくても。だいたい、フォルテは慎重すぎるんだよ。たまにはドンパチもいいじゃーん」
少女──どこまでも気楽な調子/不服そうな目でフォルテを見やる/小さな頭に被せられた大きなヘッドホン。そこから漏れ出す、古典的なロックミュージック──手にした再生機器を操作/出力先を切り替える=ヘッドホンからカーステレオへ。喧噪じみた音の洪水が突如、車内に流れ出す──前世紀に名を馳せたロックバンドの代表曲/少女御用達の制汗剤の名を冠した曲=”十代の魂めいた匂い”。
「アニー、今すぐ曲を止めろ」フォルテ──不快げに顔を顰めながら。
「えー、いーじゃん。ステイシー・ミラーズが尊敬するバンドだって言ってたんだよ? それに超クールじゃない?」
少女=アニー──リズミカルに頭を揺すりながら/さらに音量を上げる。
ステイシー・ミラーズ=今世紀最高と称された歌姫/アニーにとっての救世主/神にも等しい存在。
ファッションアイコン=ステイシー・ミラーズ──全身を極彩色で染め上げる”ブードゥー・スタイル”──流行の最先端。
ステイシーに心酔するアニーの服装=どこまでも最先端──右肩が露わになった真っ赤なダメージシャツ/左手は長袖/蛍光緑のホットパンツ/臀部にダメージ加工──扇情的/淫蕩的=幼児趣味のクソ野郎を悩殺=”ヘイ、オッサン! アタシと一発ヤってかない?”──まるでパーティーにでも誘うかのような軽率さ──底抜けにプラスティック。
フォルテの好む”ヘヴィネス”とは対照的──途方もなくプラスティック/その卑近さ/低劣さ/通俗さ/凡庸さに虫酸が走る。
「おい、いい加減にしろ」
フォルテ──前面の操作パネルへ片手を伸ばす/アビーの手──ぴしゃりとそれを撥ね除ける。
「ちょっ、やめろって。まだあたしが聴いてんの」
「気が散る。こんなのは音楽じゃない」
「はあ? それ本気で言ってんの? 意味わかんない! しねばーか」
アビー──肩にかかるくらいの金髪/頭に戴く蛾を模した髪留め/揺れる前髪の奥で光る紫色の双眸。
「汚い言葉を使うんじゃない。何度も言ってるだろ」
フォルテ──外套の内ポケットから煙草を取り出し/着火/一服。
アニー──ダッシュボードの蓋を開けて煙草を取り出し/点火/吐息──今年で11歳になったばかりの少女/精いっぱいの背伸び/反骨精神の発露。
「おい、煙草も止めろ。身体に障る」
「それ、煙草吸いながら言われても全っ然、説得力ないんだけど?」
紫色の瞳に怒りを滲ませる/ドアについたボタンを操作/窓を開け放つ──半身を乗り出し、後続集団を見やる/可憐な手を振り上げ──堂々と”ファックサイン”。
「いつまでケツにまとわりついてやがんだ、クソったれのサイボーグ野郎! ヤれるもんならヤってみろってんだ! てめえの腐れインポじゃ無理だろうけどな!」
ありったけの悪口雑言──言い終えるとシートに矮躯を沈め、フォルテを睨む/小さく鼻を鳴らす/ぷかーっと煙を吐き出す──紫色の双眸/その目が暗に告げる=”なんか文句あんの?”
反骨精神──思春期に特有のやり場の憤懣──表出。
フォルテが止めろと言えば言うほど、アニーの素行は悪くなる一方だった。
フォルテ──今晩三度目の舌打ち/吸いさしの煙草を窓から放り投げる/理性の箍が外れる──漲る戦意/体内を巡るナノマシンを満載した浄化液=〈生命の水〉が変容──疑似アドレナリンを生成/興奮・昂揚を促す。
「おい、姉ちゃん! 言ってくれんじゃねえか! 望みどおり全員でファックしてやるぜ!」
後方から浴びせられる色めき立ったダミ声──後に続くゲラゲラと笑う野卑な声。
それらすべてが──アビーの振る舞いも含めて──プラスティックだった。
「どいつもこいつもプラスティックだ」
フォルテ──気焔を吐く/ハンドルのボタンを操作──車体のフロントバンパー/リアバンパーに10センチ四方の亀裂が生じる/正方形が奥へと沈み込む/入れ替わるようにして排出される7.62㎜重機関銃の砲身。
前後から突き出した銃身──にわかに制動/車体が前につんのめる/力いっぱいブレーキを踏みながらサイドブレーキを引っ張り上げる/同時にハンドルを右に全開──アスファルトを旋回するキャデラック/悲鳴じみた擦過音をかき鳴らしながら、道路のど真ん中で急旋回/旋回/旋回/旋回。
「ちょっと! やるならなるって先に言ってよね!」
アビーの傲然たる抗議──無視。
洗濯機の中に放り込まれた衣服のように、車内のあらゆるものが宙を舞う/ハンドルに設置された引き金を絞る──撃発。
猛然と旋回しながら放たれるガトリング砲の弾雨──突然の制動に反応し損なったバイク集団めがけて、数百発の弾丸が乱れ飛ぶ。
「おいおいおい嘘だろ……」
先頭をひた走っていたバイク──その騎手から漏れ出る驚愕の言葉。
男の額に弾丸が命中/強化処理を施された脳殻を穿ち、蛍光グリーンの脳漿をぶちまけ、後頭部から排出/絶息した騎手もろとも大型バイクが盛大に横転した。
後続のバイク──ハンドルをよじるも間に合わず/巻き込まれて転倒/さらに後続のバイク──衝突/横転/横滑り。
11台の徘徊者どもがまたたく間に半減=残り5匹。
「クソっ! ボスがやられた! おい、お前は助けに行け。俺たちで仕留める。アイツのタマを切り取って口の中に放り込んでやる!」
副官らしき徘徊者──ことのほか冷静に指示を飛ばす/雪辱を誓い、猛追を開始──。
加速──なおも回転し続ける漆黒の車輌めがけて驀進/肩から引っさげた突撃銃を構え、全弾斉射。
運良く銃火を免れた3匹の徘徊者がそれに続く──電子拳銃/オートマチック/手榴弾──手にした武器を遺憾なく行使。電磁弾が/ナノコーティング済みの9㎜弾頭が/戦車を擱座させる爆薬が──機銃掃射しながら旋回するキャデラックを容赦なくぶっ叩く。
目まぐるしく回転するフォルテの視界──前面パネルに忠告=”残弾数が50%になりました”。 同時に車外で手榴弾が爆裂──間断なく撃ち込まれた銃撃の雨あられが軍用特殊装甲に食らいつく。
サイドブレーキを解除/ハンドルを左へ全開/右脚をブレーキからアクセルへ──加速/加速/加速──発進。
白煙が噴き上がる/タイヤの擦過音が鳴動する──迫り来るバイクを迎え撃つべく、車体を転身。
約八秒で最高速度へ到達するV型八気筒エンジンの超加速──だが、徘徊者を屠るのにそれほどの時間はかからなかった。
「死に晒せ、プッシー野郎!」
徘徊者の群れ──屍肉を喰らう下等の副官が怒声を発しながら猛然と迫る/背後から続く3匹の猟犬ども。
正視するキャデラック──フロントライトを最高に/白熱光の照射/徘徊者の視界が白く消し飛ぶ。
時速100キロに達した漆黒の車体がバイクと正面から激突/衝突──迫撃砲でも撃ち込まれない限り、傷一つつかない鉄壁の装甲──堅牢無比の車体に徘徊者どもが頭から突っ込む/加速度によって倍加/増加/増幅された衝撃が安価な中国製外殻を木っ端微塵に粉砕/撃砕。
代謝繊維を埋め込んだ、人体を模した皮膜/人工骨格/人工筋肉──擬肢体を構成する一切が、粉々になって吹っ飛んだ。
視界──後方へ流れ去る擬肢体どもの残骸/さらに加速──アクセルを踏み込む。
速度=最高時速=190キロ。
そのまま夜の荒野を逆走/疾走──ボスを救出しに向かった従順な徘徊者/ボスの亡骸もろとも、二人まとめて轢き殺す/ゴリッという鈍い音/脳殻が破壊された乾いた音。
殲滅──すべての徘徊者を返り討ちに。
車体を再度転身し、速度を緩め、生存した安堵を噛みしめながらフォルテは再び夜の荒野を南下し始める。
プラスティックなこの世界で、ゆいいつ信頼できる輝きを──ヘヴィネスの残光を求めて。