1.転生は絶望のはじまり
中学の頃は、「こんな世界、早く滅びてしまえばいいのに……」と思っていた。
この先の人生など、どうせあらかた決まっている。
高校に行って、大学に入り、就職して、結婚して、子どもを育てて、定年を迎えて、老後生活を送って、死ぬ。
ただ、それだけだ。
退屈で、無価値で、先の見える、おもしろくも何ともない人生。
そこに「生きている意味」などありはしないし、仮にあったとしても自分には決して見つけられないと思っていた。
あれから3年が経った。
地球上の人間の9割近くが異世界人に虐殺された今となっては、そんな平凡で退屈な毎日こそが、何よりも幸福な人生だったのだと思う。
「俺たちは、もはや天国にすら行けない」
焼け焦げた匂いのするアスファルトに大の字に転がり、白河帝は「この世の地獄」というものを改めて噛みしめる。
左腕は、一年前の戦闘で肩から先を全て失った。
右足は、半年前の戦闘で使い物にならなくなった。
左目は、一ヶ月前の戦闘で潰れた。
そして、内臓は、今さっきの戦闘で派手に損傷していた。全身の感覚もロクに感じられないほどに意識がぼやけている。もはやそう長くは生きられないという冷たい死の予感が押し寄せてくる。
帝に残された右目が映し出すのは、空一面を覆い尽くす巨大浮遊物、通称『悪魔の鳥籠』。 地球全体を覆い尽くした異世界人たちの「城」だ。
『悪魔の鳥籠』は、地球人類から空と、自由と、未来と、平和な日々を根こそぎ奪い取った。
それでも何とか生き残った人間たち。だが、今もまだ異世界人によって人々は殺戮され続けている。
死を間際に迎えた帝の耳に絶え間なく響いてくるのは、老若男女さまざまな人間の悲鳴、助けを求める声、そして、悲痛な断末魔。
「まだ……だ……」
帝は半身を起こす。
致命傷を受けた体は、もはや死を待つしかない状態。だが、それでも帝はまだ戦うことをやめない。
帝は最後の『鬼神薬』を自身の首元に注射する。それは体の痛みを消し去り、脳を異常な興奮状態にし、運動能力を極限にまで高め、幼い子どもですら死を恐れない勇猛な兵士へと変えてしまう悪魔の薬。だが、使えば使うほど、副作用で自らの寿命を著しく縮めることになる。
だが、ほんのわずか生きながらえても、もはやそこにあるのは生き地獄だけだ。ならばと、誰もが進んでその薬を使い、戦場に散っていった。
「異世界人に一矢を報いよ。それが天国へ行くための唯一の道だ」
それが帝の所属する『地球人類解放戦線』の合言葉だった。
立ち上がった帝は、毎日のように見せられてきた虐殺風景を目の当たりにする。
廃墟と瓦礫の山となった世界。かつて栄えた文明の名残はもはやどこにもない。
そんな朽ち果てた街で、人間の死体から生みされたグールたちが、生きた人間に群がり、殺し、食らい、凌辱している。
まさしくゾンビ映画の再現。それが今まさに全地球規模で行われている。
「助け……て……」
グールの群につかまり、全身に食いつかれた少女が、苦痛と涙に溢れた顔で帝に助けを求めてくる。
帝は傍に転がっている日本刀を拾い上げると、少女に群がっていたグールを引きはがし、その首を片っ端から斬り落とした。
「だいじょうぶ……か、君……」
帝は必死に声を絞り出し、少女の肩を揺する。だが、帝の言葉に少女は応えない。
目に涙を溢れさせたまま、少女はすでに息絶えていた。
帝は唇を噛みしめる。だが、それはこの三年間で、何万回と体験してきたことだ。家族も、親戚も、学校のクラスメートも、おおよそ帝が生まれて出会ってきた人間はすべて殺された。あるいは、グールへと変貌したため、帝自身が殺してきた。
けたたましい悲鳴は、四方八方から響いてきて鳴り止む気配がない。グールに襲われている人間が、周囲にまだ何十人といるのだ。
非戦闘員を安全な場所まで移送するというのが、今回、帝たちに与えられた任務だった。
が、安全ルートを走行していた十数台のバスは突如原因不明の火災と爆発を起こし、乗員は全員外に投げ出された。そこに現れた無数のグール。その後は、数えきれないワニが生息する沼地に迷い込んだ羊の運命と同じだった。
ただ、一方的に殺戮され、食われるだけの虐殺時間。
その凄惨な光景を、異世界人たちは『悪魔の鳥籠』から見物しているのだ。そもそもバスの原因不明の火災も、突如現れたグールの群も、異世界人の仕業に他ならない。
人類の主要な都市と軍事力をたった三日で壊滅させた異世界人は、地球の人口が三分の一になった時点で、人間が苦しみ悶えながら死んでいく様をただただ傍観するだけになった。
人間の死体をナノマシンによって改造し、蘇生し、人類完全抹殺の生物兵器、グールとして送り込んで。
グールは生きた人間を見つけ出し、追跡し、殺戮し、食らい、凌辱する。
凌辱は女性だけが対象ではない。老若男女関係なく、グールは人間を犯す。生まれたばかりの赤子から、寝たきりの老人まで関係なく。
グールは凌辱行為によって対象の体内に自身のナノマシンを注入する。そして、そのナノマシンが対象の人体を侵食し、生体改造を行い、新たなグールへと変貌させるのだ。
人類がすべてグール化するのはもはや時間の問題だった。
「殺して……くれ、頼む、もうこんなこと、したくない……」
死者の内臓を貪りながら、グールの一体が涙ながらに訴えている。
グールは、人間としての理性や感情、記憶を完全に失っているわけではない。半ば生きていたときの心を残したまま、無理矢理、人間を食い漁り凌辱する化物として生かされている。
それも異世界人が意図してやっていることだった。
異常増幅され自分では全くコントロールできない「殺戮欲求、人肉に対する食欲、無軌道な性欲」と、「人としての理性と感情の狭間」で、人間が罪の意識に苦しみ、悶え、もがく様を、異世界人はただただ観察している。
「俺たちは、もはや天国にすら行けない」
帝は再びそう呟き、「完全なる死」を願うグールの首を叩き落とした。
生きる屍となったグールを活動停止に追い込む方法は、頭を粉々に潰すか、首を撥ねるかしかない。中途半端な損傷を与えれば、ナノマシンの力によって傷が回復するだけではなく、そのグールはさらに肉体的に強化され、狂暴化してしまう。
帝たち『地球人類解放戦線』の兵士が、銃ではなく刀を使う理由はそれだった。
「逃げろ! こっちだ!」
護衛の兵士の奮闘によってわずかに生き残った数人の幼い子どもに向けて、帝は叫ぶ。
帝はグールの包囲網に小さな穴を見つけた。護衛していた人間の大半は、目の前で食われているか凌辱されている。その行為に集中しはじめたため、グールの壁が手薄になったのだ。
帝自身、もはや限界だった。
『鬼神薬』の効果は切れかけている。手足の感覚はほとんどなく、もはや苦痛以外何も感じられない。
死は、今、まさに目の前にあった。だが、そこには絶望ではなく、むしろ不思議な充足感があった。
「自分は人間として生き、死ぬことができた。最後まで誰かを守るために戦って死ぬことができた。無意味な人生ではなかった」
あとはグールの群に突進し、全身に巻き付けた爆薬に点火、自身の肉体もろとも木端微塵にしてしまえば良い。そうすれば、人間を襲うグールにならなくて済む。
「早くしろ! おまえたちもああなりたいのか!」
恐怖にすくんでいる子どもたちを鼓舞するように帝は声を張り上げる。すると、一人が走り出し、それにつられるように他の子どもたちもその後を追い始めた。
『地球人類解放戦線』の救援部隊もきっとこちらに向かっている。運良く見つけてもらい、保護されれば、この場は何とか切り抜けられる。
「さよならだ、クソッタレな世界! クソッタレな異世界人ども!」
帝は『悪魔の鳥籠』を一瞥すると、残された力を振り絞りグールの群へと突進する。そして、爆薬の起爆スイッチへと手を伸ばした。
が、そのとき、逃走していた子どもたちの足がピタリと止まった。まるで時間を止められたかのように、一斉に、だ。
(体が……動かない……?)
動きが止まったのは帝も同じだった。どれだけ力を込めても、指一本動かせない。
と、そのとき、帝は背後から自分の肩を誰かがポンと叩いたのを感じた。
その人物は帝の脇をすり抜け、逃げようとしていた子どもたちの方へとゆっくり歩み寄っていく。
その後ろ姿を見た瞬間、帝の胸に激しい憎悪と怒りの感情が湧き上がった。
(異世界人!!!)
銀色の髪に、赤い瞳。
その二点を除けば、見た目は地球の人間とまるで変わらない。
異世界人が無造作に手を横に払うと、体の動きが止まっていた子どもたちの足が一斉にポキリと小枝のように折れた。
倒れ込み、痛みにのた打ち回る子どもたち。異世界人は、その様を口元に笑みを浮かべて眺めている。
人間を貪ることに夢中になっていたグールたちが子どもたちに気づき、新たな獲物を求めて立ち上がった。
(やめろ! やめろぉぉお!)
帝の叫びは声にならない。
グールたちは、帝のことは目に映らないかのようにその脇をすり抜け、子どもたちの方へ我先にと殺到していく。
「残念。おまえが命がけで戦い、守ろうとした英雄的行為は全部無駄でした」
異世界人は、そう言いたげな嘲りの表情を帝に向ける。
(殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!)
足を折られ、それでも這って逃げようと試みる子どもたちに、グールたちが折り重なるように襲い掛かる。
耳をつんざく悲鳴、飛び散る血しぶき、無残に刈り取られていく命。
だが、体の自由を奪われた帝はその光景から目を逸らすことすらできない。
帝が金縛りから解放されたのは、すべてが終わった後だった。今この場で生きている人間は、すでに帝一人になっていた。
異世界人の目的は、地球の支配でも、文明の破壊でも、人類の抹殺でもない。
ただの娯楽。
異世界人は、ただ自分たちの愉悦と快楽のために人間を虐殺し、虐待している。
帝にはそうとしか思えなかった。
生命の灯は消えかけている。
だが、帝には最期にやるべき仕事があった。
何としてでも、あの異世界人を道連れにする。今日ここで虐殺された人たちの恨みを絶対に晴らす。
帝は全身を引きずるようにして異世界人に向けて歩を進める。
対する異世界人も、嘲りの笑みを浮かべたまま帝に向けて歩み寄ってきた。
そして、二人の距離が互いに手を伸ばせば触れ合える距離にまで近づいた瞬間、帝は体に巻き付けていた爆薬の起爆スイッチを押した。
「くたばれ、異世界のクソ野郎!」
爆発が二人のいる場所を吹き飛ばす。それは人間の体を木端微塵にするには十分過ぎる威力だった。だが、帝は起爆後も自分がまだ生きていることに驚愕する。
爆発は確かに起こった。
だが、帝の体は爆風の影響を全く受けていない。
そして、それは異世界人も同じだった。「今、何かしたか?」と言わんばかりに涼しげな顔をしている。
「白河、伏せろ!」
と、帝の耳のイヤホンを通して誰かの声が響いた。
伏せるまでもなく帝の体力は限界だった。そのまま前のめりにその場に倒れ込む。
直後、その上を無数の弾丸が通過していった。
それは帝たちを助けに来た『地球人類解放戦線』の援軍だった。
十数秒間の銃撃。だが、顔をわずかに上げた帝が見たのは、銀色の粒子を全身にまとった無傷の異世界人の姿だった。
『物理キャンセラー』
生き残った人類は、その銀色の粒子をそう呼んでいた。
その粒子の前では、この世界のあらゆる物理法則が通用しない。もっと言うと、「この世界のものではない物理法則」が発生し、展開される。
そして、「この世界の常識ではあり得ないこと」が当然のことのように起こるのだ。
かつて異世界人との戦いで劣勢となり、追い込まれた人類は、『悪魔の傘』に向けて核攻撃を行った。
だが、核爆発によって生み出された膨大なエネルギーは、銀色の粒子の前に、まるでブラックホールにでも飲みこまれたかのように一瞬で消え失せてしまった。
その粒子の前では、地球人類のあらゆる兵器、機器が無力で無意味だった。
異世界人が、右手を銃の形にする。そして、その人差し指を救助に来た兵士たちに向けた。
指先に集中する銀色の粒子。それが閃いたと思った刹那、兵士の体が一瞬でビー玉サイズにまで押し潰される。空き缶をプレス機で圧縮するかのように。
そうして異世界人は指鉄砲を次々と兵士たちに向けて、悲鳴を上げる間すら許さず殺戮していく。
数十人いた援軍を全滅させるのに、数分と掛からなかった。
「さてと……」と言わんばかりに最後に帝へと指鉄砲を向ける異世界人。だが、何かに気づいたようにその手を下ろす。
「ごめん……なさい。助けてくれたのに、お兄ちゃん……」
異世界人の背後に現れたのは、先ほどの子どもたち。グールに襲われ、自らもグールと化してしまった憐れな生きる屍たちだった。
「殺せ! 今すぐ俺を殺せ!」
鬼の形相で帝は異世界人に向かって叫ぶ。
このままでは帝自身もグールとなり、生存者を襲うことになってしまう。
いや、それよりも自分が命がけで救おうとした子どもたちに食い殺されること、その子どもたちに罪の苦しみを与えてしまうことが許せなかった。
「こんなこと……したくない……のに。許して……」
子どもたちが涙を流しながら、帝の体に次々と覆いかぶさり、その肉を食いちぎろうとする。
そのとき帝は確かに見た。
その様子を見て、異世界人が愉快そうに笑うのを。
「貴様っ! 貴様ぁぁぁあ!」
だが、満身創痍の帝には何もできない。すでに体の自由はなく、自死するための爆薬も使ってしまった。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
屈辱的な死を与えられた悔しさがこみ上げる。だが、それを見て、異世界人はさらに愉悦を深めるのだ。
と、そのとき突然、帝の体に食いついていたグールたちの動きが止まった。
そして、まるで体そのものが砂に変わったかのように崩れ、風に吹かれた霞のように消えていく。
『物質の粒子崩壊』
まさにそう形容するしかない不可思議な現象だった。
気づけば、異世界人の目の前に別の異世界人が立っていた。
ウェーブの掛かった腰ほどまである長い銀髪。先ほどの異世界人よりも深い緋色の瞳。その体の線はほっそりとして、それでいて人間の女性と同じくふくよかな曲線があった。
新たに現われた異世界人の少女は、先に来た短髪の異世界人に何かを語りかける。すると、短髪の異世界人は、一瞬不満そうな顔を見せつつも、深々と頭を下げ、空間に溶けるように消えて行った。
異世界人の少女が、死にかけの帝を見下ろす。
そして、帝と同じ言語で話しかけてきた。
「楽になりたい? 助かりたい?」
帝は少女を睨みつけ、精一杯の敵意を込めて呟く。
「くたばれ、異世界のクソビッチが……!」
そして、そこで帝の意識は途切れた。
だが、死したはずの帝の耳には、異世界人の少女の言葉がまだ聞こえてくる。
「なぜ、戦うの? 勝ち目なんて億に一つもないのに」
「なぜ、生きるの? 希望なんてどこにもないのに」
「なぜ、人の死に怒るの? 悲しむの?」
「うるさい、黙れ」と、帝は思う。そんなのは答えるまでもない。
「俺が、おまえたちのような鬼畜人類とは違う、この世界の人間だからだ」
無表情だった異世界人の少女の口元がわずかに緩んだ。
「なら、あなたに選択肢をあげる」
消えたはずの帝の意識に光が差しこんできた。
「残りの地球人類とともに今日死ぬか、私の忠実な奴隷として明日を生きるか」
あなたはどうしたい?