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第12 意外と難しい感じるということ

 物語の感想は、本当に「物語の展開のみ」に感じることを書かないと正確性が減っていきます。ですので、何度も「偏見を捨てされ」と書いてきました。


 さてさて。「物語に特に偏見を持ってないけど」という人。実は面倒な問題は、「偏見」だけではないのです。

 それが、評価に臨む姿勢。前の話にも書きましたよね、「気張ってはいけない」と。「ただ感じることに徹して」と。


 人は多くの物事を感じて生きています。そして、それには人の考え方や何かに臨む態度など、多くの物が関与しています。

 例えば、真面目な人が宿題を家で全力で終わらせたとして、そんな感じの人が学校で誰かの宿題を写している人を見るとちょっと不機嫌になります。

 テストに全力で自分は臨むけど、隣の人は全力でカンニング。これもムカムカします。冷静に考えたら「そいつだけの問題」だから無視すればいいのに、なぜか自分の問題のようにイライラするのです。


 こんな風に、人というのは至極面倒な生き物。考え方や臨む姿勢1つかけ違えば、相手に不快感を与えます。

 だからほら、自分と違う感想を持った人を見ただけで怒る人いますよね。アレはそういう心理の作用です。人は誰かと同じでいたいと思う生き物なので、そこが関与しているのでしょうね。僕が参考にしているサイトでは「一体感願望」と表現していました。

 ちなみにコレは僕の勝手な見解という域を抜けませんが、こんな風に「俺と同じ意見を持ってほしい≒俺の意見が正しい」と思ってしまう人は「物語に対して人より明確な考え方がある」、「プライドが高い」傾向が強かった気がします。僕もそうだけど、やたら物語に口うるさい人ですよ。しかも感想までちょっと気取っている感じの。

 いえいえ、僕は「必ずそうだ」とは言ってません。あくまで「僕はなんか勝手にそんな感じがする」って言ってるだけで、統計も心理学的な論もないただの偏見です。え、偏見を持っちゃダメだろって? まさにその通りだけど、「偏見を持っても別にいい」と僕は振りかざします。意味不明? それは次回あたり書きますね。


 とにかく人は、物語を読む時でも「別の要因」で評価を捻じ曲げる生き物。「作者が嫌い」「嫉妬」「この考え方と馬が合わない」から、「この人が大好き」「尊敬」「あ、俺とこの人同じ意見だ」などなど。プラスもマイナスも評価を捻じ曲げる因子なのですよ。

 そして、「よし、評価書いてやるか」というのも。コレは「辛口評論家気取り」とか「絶対批判点見つけるマン」に多いです。まあ僕の見解ですがね。


 というのも、「絶対批判点を書こう」とか「内容のある感想を書こう」なんて考えると、例えば「書けなかった」という時に問題が起きます。

 面白かったけど、つまらなかったけど、なんでだ、感想を書けない。そんな風になると、「絶対批判点見つける」なんて感じの意識を持ってたらひどく不機嫌になります。これも「認知的不協和」の一種でしょう。

 そうなると、「書けなかった」と認めるのではなく、「別に問題ないところ」を「批判点」にしてしまうのです。「ええーい、もういい! 書いちゃえ!」って意識が、無意識かどこかで働くのですね。

 こうなると正確性が減ってしまいます。こんなちっぽけな因子でも、感想を書くのに邪魔になっちゃうわけですよ。


 だから、意外と「物語にのみ感じていく」のは難しい。他にもいろいろな因子があって、それに常に翻弄されていますから。

 以前、ニコニコ動画になんでかアップされてた映画「イップ・マン」を見ました。いや、だって一度見たことあるのを動画サイトで見かけたら気になるじゃないですか。

 イップマンは、昔の中国を舞台に、ブルースリーの師匠だった詠春拳の使い手「イップマン」を主人公にしたアクション映画です。

 その映画のシーンの中に、「大日本帝国軍が中国に攻めてきて、イップマンたちの生活が困窮する」っていうのがあるのですよ。

 この時点で映画のストーリーは「大日本帝国軍=悪役」という図式が出来上がります。そしたら、その辺りのシーンからもう大バッシングで。いやね、ストーリーは面白いしアクションシーンもカッコいいんですよ。でも、そんなの知るかというふうに頑として批判コメントが流れていくのです。


 悲しいことですが、人の考え方が作品に対して面白いと思う感覚を消しちゃったのですね。こんな風に、とにかく物語を見る際、よくわからないものが感じることを邪魔することがあるのです。


 物語を見る時。本当に評価をつけたいとき。感じることに徹したいとき。そこに、個人の考え方が入っちゃうとわけわからないことになることがあります。まあ、もちろん倫理的にアウトな描写もありますけど。

 でも、明らかに倫理的にアウトでない時。正確な感想を書くのなら、そこによくわからない因子を極力介入させないようにしなければなりません。それこそ、他人の考え方も受け入れられるような柔軟さが必要なのです。


「水になれ、友よ。コップに入れればコップの形に、カップに入れればカップの形になる、柔軟さを持った水に」

 ブルースリーの言葉ですが、この考え方はあらゆる意味で重要になってくるのです。

そろそろこのエッセイ書くのも飽きてきたわ。もうそろそろ終わろうかしら。

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