おまけ話「話に出てきた用語や出来事の解説」
◇第3より、「そもそもテンプレというのは物語として低俗で〜」とウンチクする人の心理。
こんな論がどうなのかは本筋と関係無いので話さないとして。
この話をする前に「溺れる者は藁をも掴む」と言っておきましょう。後々わかると思います。
さてさて、人間というのは成長するに従い頭も論理的になるものです。
議論の場においては、論理は必要不可欠の武器。これが無いのに騒ぐことは実質的に負けを認めることになり、実に醜いです。
それを多くの人はわかっているため、人は必ず反論の際論理を立てます。それが、どんなに稚拙であっても。
まあ「テンプレは云々」の論理が稚拙かどうかはさておき。要するに「自分が認めたくないだけだけどそれを論理も無く言うとあまりに醜いから無理矢理論理を立ててるだけ」の可能性が高いです。無意識か意識的にかは知りませんし、そうじゃないかもしれませんが。
だってこういうのって大概「作者のオナニーじゃん」って話です。つまり「人としての美徳」を説いてるわけです。
この「人としての美徳」ってすごく便利で。人間絶対美徳通りに生きられませんし、見る人によってその人が美徳通りに生きてるかどうかなんて変わりますしね。
例えば、誰かの役に立ちたい一心でボランティアに励む人に「偽善」と言ったり。
例えば、本当にそのままの性格で接してたら友達100人になった人に、「八方美人」と言ったり。
まあ要するに「いくらでも批判のしようがある」わけですよ。テンプレ書いて万物の法則や法律に逆らうのなら「やめときな」と言いますがそうじゃないから「別にいーじゃん」って僕は思いますね。
話がズレましたが、とにかく「批判したいけど体裁を保ちたいから論理を無理矢理立ててる」って話なのです。あくまで可能性の話ですが。
◇認知的不協和
これは要するに「自分の考え方や生き方とかと矛盾する何かがやってきたら嫌な気分になる」ってことです。
この状態になると、人は「自分の考え方」を変えるのは苦痛になるため「相手を批判する」ってことをします。
タバコの例はよく用いられる話で。タバコを吸う人が、後で「タバコは体にメッチャ害なんやで」と聞きます。するとすごく嫌な気分になります。
この不快感を取るには、もちろん一番いい方法は「タバコやめなさいよ」って話ですが。タバコって依存性があるからやめられないのですよね。
だから、「タバコ吸ってるけど健康な人だっている」という論をかまします。それでも確実に悪い状態なのは間違いないですけど、でもなんかほんの一瞬納得できそうな論です。その一瞬の納得があればもう十分なんですよ。先ほどの話にも通じますが。
つまり、この話が出た時に「頭を模索している」という人は、「自分の不快感を取るため相手の論を否定する論を探している」わけです。
まあ余談ですが、認知的不協和ってかなり変な奴ですよ。ちょっと例をあげてみましょう。
特に好きでもなんでもない女の人が溺れていて、それを男性が助けたとしますね。
すると、男性か女性、どちらが相手に好意を抱くでしょうか?
まあざっくり書いて「男性」です。え、意外? とりあえず話を聞いたら納得しますよ。
さて、男性は「特になんとも思ってない人」を助けちゃいました。
こうなると、「なんでなんとも思ってない人を助けちゃったんだ?」と考えます。すると答えを見つけます。
「あ、そっか。俺があの時、あの女性を良いな、って思ったんだ」
ああなんとも都合が良い。こんなこともあるって例という範囲を抜けませんが、無意識でも人はそう考えてしまう生き物なのです。
まあこれも認知的不協和の例です。さて、話のキモですが。
好きな人がいるそこのあなた。そう、絶賛片思い中のあなたですよ。
好きな人が困っているのを積極的にさりげなく手伝うのも吉ですが、それよりも「俺の仕事手伝ってよ」と頼んだ方がうまくいきますよ。いや、頼み方は考えてね?
そうすると、相手は「特になんとも思ってない人を助けた」と思い、その答えに「ああ、私が彼を良い人だと思ったから助けちゃったんだ」と思い当たります。
さて、かなり心が近づけますよね? どうでしょうか、役に立つ知識だと思いますが。
どうでもいいことを解説しつつ、今回はここまで。ありがとやしたー