第10 作者のためになる読者の意識
自己啓発じみて気持ち悪いぞこのエッセイ。
壮大な内輪ウケのあとがきあたりで書きましたが、これの一番怖いところは「書籍化したところで打ち切られる」ってところで、またそれが続けば「書籍化→打ち切りを連発する無能作家。こんなゴミいらない」と判断され以後ランキング上位に入ろうとも書籍化ができない、となってしまうという危険性です。
おこづかい稼ぎに少し書籍化できればそれでいいのなら僕は何も言いませんが、おそらくそういう意識の人も後で「売れてやる!」という意識になると思いますし、なろうから作家デビューしてその後売れっ子として活躍し続けるという意識の人ももちろんいます。さてさて、そんな人がそんな状況になったらどうなるでしょうか?
ハイ、もう簡単ですね。自信を失くします。夢を失くします。下手すると生きる希望を失くします。
なろうでちやほやされずしっかりと実力を付けていけばそうならなかったかもしれないのに、ちやほやされてしまったが故に残念な結果になります。その時に「ああ、俺、踊らされていただけだった」とか後悔しても遅いです。大作家になる夢が希望だった人はもうそれはそれはひどく落ち込むでしょう。
まあこれはまだ「読者に踊らされた」なんて(苦しいですが)言い訳もできますし、ある意味「なろう」の被害者にもなるので心理的に楽です。見方によれば同情もできます。
一番ひどいのは、不正で上がった人ですね。
こちらはもう意図的にサクラをしたわけですから、そんな状況になったら総バッシングというより嘲笑を食らい、「読者に踊らされた」という理屈も「俺が読者を躍らせた」が前提に入ってくるわけですから苦しい言い訳もできない。自分からそういう状況を作ったわけですから、なろうの被害者にもなれない。むしろ加害者になっちゃうかも。
そうやって逃げ道を潰され、生きる希望も潰えて、作家として華麗に舞い戻ることもかなり難しい。そこまでいけば大概「何やっても無駄」となり、結局書くのをやめますし、今まで好きだった「物語」の世界が大嫌いになるでしょう。後ろめたさからそれまで好きだったやつが嫌いになること、結構あるのですよ。
まあ流石に「死ねや」なんて僕は言いたくないので、酷く落ち込んだらカウンセリングや相談できる友人に話すなどした方がいいですね。たかが1つのサイトで起こったちっぽけな事件で命を絶つなんて馬鹿らしいでしょう?
とまあ話はこれくらいにして。とにかくなろうの「ランキングに上がればつまらない作品も面白いと言ってもらえる」という雰囲気は、長い目で見れば作者にとって害悪です。
となるとどうすべきか? 読者が止めるしかないですね、もう。
つまり、「なろうの枠に捉われず、純粋に作品として楽しいか」を基準にするのですよ。
なろうのあらゆる小説を、「ワン○ース」や「禁書○録」、「ダイ・○ード」や「ワンパン○ン」、「心霊探偵○雲」などの商業用の物語と同列に考えるのです。
そりゃ、例えば評価に「ラノベとして」や「アニメとして」、はたまた「映画として」や「純文学として」みたいな分類があるように、なろうも「ネットの小説として」を付け加えるべきでしょう(あとはジャンルの違い)。
でも、「なろうだから」で全て良しとするのはいかがなものなのかということですよ。
webから出版された漫画や小説って現代では結構ありますが。それらを見てくださいよ。
普通に面白いじゃないですか。「ネットだから」の雰囲気を超えて、普通に楽しめるじゃないですか。「魔法科高校の○等生」や「ソード○ートオンライン」、漫画なら「ワン○ンマン」や「旦那が何を○って○るのかわからない○」などなど。アレって、ネットだからで済ませられる面白さでしたか?
要するに、書籍科なんて大それた事はそこまでのレベルに行けばやっとできることなのですよ。いや、これらはレベルが違いすぎる気もしますのでもう少し落としてもいいと思いますが。
ネットだから、それで何でもかんでも「面白い」なんて言うから「じゃあ書籍科すんべ」ってなるんですよ。そりゃ最初は売れると思いますよ? でも後から尻すぼみになって結局ダメになるんだから。
それじゃあ不都合なんですよ。読者はそこまで困らないと思いますが、作者は痛い目見るのですよ。
だから、読者がなろうだからと言わず、ネットだからと言わず、「あくまでそこも考慮に入れた上で」純粋な評価を下す。それが、読者にも作者にも良いことになるのですよ。これから書こうと思う人にとっても。
まあだから、読者も作者にも言えることですが……「いい加減目覚めなさい」ってことです。
甘すぎる世界は、大海に出た時カエルを殺すのです。