小休止…Cow Girl
不幸の次に幸運が起こると、とても得をした気分になる。けれどその順序が逆になると、やはりまったく正反対の気分になる。起こっている出来事は同じなのに、何やら不公平だ。
私は今、とても損な気分である。
隣町へ伸びる道路添いに構えられた、一軒の小さなパブ。周りはほぼ荒野と言っていいくらい何も無い。そういう場所だからこそ、車での旅行者や運送屋などに重宝されている店だ。
かく言う私も、現在進行形で重宝しているところである。
受話器を握り締めて、ただただ幸運を待つ。こういう事は制限をつけなければ切りが無いので、あらかじめ潔く10コールまでと決めておいた。
3コール…4コール…
(頼む…頼むよ…)
5コール…6……7……
8コール目を聞き終わる前に、私の勘がダメだと叫ぶ。思わず受話器を置いてしまった。
不幸なことに限って続くものらしい。
「ぁああっもうっ、馬鹿!」
腹立ち紛れに帽子を後ろへ弾き飛ばし、髪をぐしゃぐしゃに掻き毟る。喉のところで帽子の紐が引っ掛かって少し苦しいが、それどころではない。
「ダメだ…」
呟きながら電話に背を向けると、パブの主人がこちらを向いて心配そうに首を傾げた。
「……急用かね?」
五十代半ばと思しき店主は、少ない口数と、皺がいかつい陰影を刻んでいる風貌からは想像できないくらい、細やかな気遣いに長けていた。それほど付き合いが長くなくても判る。人を見る目には自信があった。
「ちょっと友達の助けが欲しかったんだけど…」
こういう人には−−卑怯なようでも−−困っている事を正直に訴えるのが良い。今は背に腹は変えられないのだ。
「ツイてないよねぇ、こういう時に限って頼りにならないんだ」
身長差のある店主を見上げて弱々しく苦笑した後、肩を落として俯く。これからどうしようと思案する調子で顔は斜め下を向き、瞼を軽く伏せて…“手助けが必要な可憐な女”を演じる。
「……トモダチは何処に居るんだ」
食い付いた。慎重に糸を手繰り寄せるため、他意のない風に町の名前を告げる。
「ま、どっちにしてもそこには行かなくちゃ…あー、乗せてってくれそうなお客さん、いなくなっちゃったなぁ」
わざとらしいかもしれないが、独り言を装って嘆いてみる。事実、今は私と店主しかパブには居ない。重宝される店とは言っても、旅行者の入りというのは不安定だ。町の店のように−−町中にあっても絶望的に人気の無い店なら別だが−−常に客が居るような状況にはならない。
逆に言えば…こういう店の場合、店員が−−店主も含めて−−ひとり欠けても大きな問題にはならないわけで…
「……おい」
店主の太い声が、ひょろりと痩せた青年の店員を呼ぶ。ここには彼ら二人と、客が少なくなると店の奥へそそくさと引っ込むヘビースモーカーの女−−どうやら店主の親類らしい−−の三人しか従業員は居ない。
痩せっぽっちの青年は背筋を正して、店主の言い付けを聞く。
「俺が戻ってくるまで、頼んだぞ」
脅しているように聞こえてしまうのは低く迫力のある声と風貌のせいなのだが、青年は半ば悲鳴を上げるようにして了承を示した。新入りのようだ。
店主は再び私に向き直り、店の出入口へ顎をしゃくった。
「ごめんね、わざわざお店離れてもらって…」
申し訳なさそうに肩を竦める。思惑が叶って安堵しているのも事実だが、申し訳ないとも本当に思っている。
店主は窓から片腕を出し、慣れた風に片手でハンドルを握りながら小さく首を振っただけだ。それで十分、安堵が重なる。
使いこなされたトラックに揺られながら、私達は真直ぐに伸びた道路を走っている。運転席と助手席、どちらの窓から見ても、見えるのは輝くばかりの晴天と、その下に広がる茶色く埃っぽい荒れ地だけ。けれど、私は決して、この風景が嫌いではない。揺れるものの、大型トラックの座席も広々として−−大柄な店主には少々窮屈そうだが−−快適だ。
気分が良い。
「ね、ラジオつけてもいい?」
図々しいのを調子で頼んでみれば、黙りこくったままあっさりと首を縦に振る。
遠慮なく電源を入れ、ザアザアと土砂降りのような音を垂れ流す周波数を合わせれば、間もなく少し古びたロックが流れだす。
最高だ。
「私、この曲好き」
「…知ってるのかい」
「初めて聞いたけど、一目惚れ…じゃなくて、一耳惚れかな」
そうか、と唸るような返事が帰ってくる。いかにも不機嫌そうな唸りに続くのは、
「…………俺も好きだ」
たっぷりと間を置いた告白。
私は、この不器用で優しい店主が大好きになった。進行方向を向いたままのしかめつらしい横顔に、飛び付いてキスしたいくらいだ。
(どうしてもどうにかならない時は、あのパブで働こうかな)
まっさらに澄んだ青空を見上げながら、長年の夢と一目惚れを天秤にかけてみる。
窓を開けて風を感じたかったが、砂ぼこりも飛んでくるのでやめておく。
コバルトブルーの空、荒涼とした大地、真直ぐ伸びていく道
快適な馬に乗り、隣に頼れる相棒を連れ、ご機嫌な音楽をBGMに。
幼い頃、スクリーンに見た憧れのカウボーイを思い出しながら、最高に得した気分で帽子を被り直した。