第一章1
飛ばされた先は、どこかの森の池の傍だった。太陽が木々を照らし始めている。様子を見てくると言ってオーブが歩いて行ったので、律は仕方なくその場に体育座りをして水面を見つめていた。
「律、ここはシルトィ山のようダ。地図によれば街まで遠イ。急いでここを発つゾ」
説明書を片手に持ったオーブが帰ってきた。反応を見せない律の傍に寄り、膝をついて目線を合わせる。
「私、あそこをめちゃくちゃにしただけだわ」
顔を上げずにか細い声で律が言う。その頭をゆっくりと撫で、背中に腕を回してあやす。
「オマエのせいじゃなイ。悪いのは魔王だト、これからオマエもあいつらも知っていク」
じんわりとオーブの服が濡れていく。肩を震わせて、声を出さずに律は泣いていた。律の背を優しく叩きながら、オーブは空を見上げる。
「終わったことは動かなイ。行動しロ、律」
その言葉に顔を上げると、赤くなった目で頷いた。
「街へはどのくらいかかるの」
律の質問に答えるべく、オーブが説明書をパラパラとめくる。エレインが準備してくれたのであろう荷物の中に、この本はしっかりと入っていた。
「このペースだと七日ほどかナ。しかし本当に広い溝に囲まれているのだナ。昔は巨大な沼だったようだガ、すっかり干上がっているナ」
オーブが足を止めきょろきょろと見回す。あたり一面、土と岩ばかりの景色で、前方には壁が続いている。
「七日って呑気に歩いてる暇ないじゃない。走るわよ」
そう言って駆け出した彼女をオーブが追いかける。空元気でも何でもいいから、律の気が紛れればいいとオーブは思った。日が中天から少し傾いたあたりで、やっと二人は壁まで到着した。
「私クライミングなんてやったことないんだけど」
律が呆然と壁を見上げる。高さは4,5メートルといったところだろうか。オーブが運ぼうにも、上の景色が分からない以上やめておいた方がいい。
「登りやすい所を探しましょう」
「ウム。先に俺が登って確かめよウ、引き上げることもできるしナ」
律はありがとう、とほほ笑んで壁に沿って歩き始めた。
何度かずり落ちて、律がやっと壁を越えたときにはもう日が暮れかかっていた。オーブが登りやすいように指示をしたが、背負った刀で体が思うように動かなかったようだ。肩で息をしながらあたりを見回すと、少し離れた木の下でオーブが寝床の準備を始めている。
「もう少し進まないの? 」
律が不満そうに声をかけると、休んだ方がいいと言う。
「傷も多いし疲れただロ。今日無理に進むよリ、明日万全の状態で進んだ方が早く着くサ」
座れと手招きされ焚火の傍へ寄る。すぐさますり傷の手当てがなされ、荷物から取り出した携帯食と白湯が律の手に渡された。律は目を丸くしたあと、黙々と食べ始めた。
「なかなか手際がいいじゃないの」
律の声は小さくて、オーブが首をかしげて聞き返した。律はふんっと顔をそらして残りを食べ終えると、「おやすみっ」と叫んでオーブが敷いた布の上に寝転がった。
先ほどの律の態度が分からず、オーブは首をひねっていた。おろおろしながらおやすみと返し、何故機嫌を損ねたのかと悩んでいると、不意に視線を感じた。
かなり離れたところ、それも街がある方角から届いた視線。しかしその気配は一瞬で掻き消え、勘違いかと思わせる。その夜オーブが街の方角から視線を外すことはなく、一晩中警戒していた。
二人の歩みは順調だった。少し歩けば道に出ることができ、歩きやすさから進みも早くなる。予定より早く着けるだろうと話しながら、今日の野営の準備をしていた。
「水が足りないナ。もっと汲んでおくべきだっタ」
水袋を確認しながらオーブがそう言った。
「探しに行こうか」
「いや俺が行こウ。水音の聞こえたあたりはオマエにとっては遠すぎル」
周りに気を付けるように言い置いて、オーブは煙のように消え去った。
「速すぎ。あと耳もよすぎる」
苦笑いしてつぶやきながらも、火をおこす手は止めない。最初に比べれば手際がよくなったなあと律が思っていると、不意に背後に気配を感じた。身をのけぞってかわしたものは細い矢だった。
「何の用でしょうか」
刀に手を掛け警戒心を隠さずに問いかける。律の視線の先には樹上で弓を構えた女性がいた。年頃は律よりも少し上に思われる。
「へえ、避けられるんだ」
直前までばれてなかったみたいだけど。そういいながら飛び降りた女性は律の目を真っ直ぐに見る。
「あんたが持ってるそれが欲しいんだよね。剣の一種なんだろうけど見たことないし、高値で売れそうなのよねぇ」
妙にニヤニヤとした女性はためらいもなくそう言った。
「つまりあなたは盗賊というわけですか。どこで目を付けられたのか知りませんが、渡すわけがないでしょう」
柄を握り締め冷ややかに女性を見つめる。単独犯であることは冷静に周りの気配を探れば分かった。女性は飛び道具専門と見えて、律の実力と距離的に追い払うことは可能だろう。
「うん、まあ、普通そうよね。あんた女の子にしては強そうだし。でもねぇ、かすったでしょ」
女性が指をさした先には、確かにうっすらと傷がついている。
「これぐらいが何だと」
いうんですか。後半の言葉は声に出ていなかった。視界がぼやけ体がふらつく。
「よくある手でしょ、毒矢なんてのは。安心して。たっぷり塗ったけどただの眠り薬だから。あたし、殺したいわけじゃないし」
ゆっくりと近づいた女性が律の指を外して刀を取る。
「か……えし……」
意識が朦朧としながらも睨みながら手を伸ばす。
「ヤダ。あんたの相方が来るまでに逃げとかないとね」
女性はくるりと後ろを向いて街の方へと走り出した。逃げ足の速い女性を見ながら律は意識を手放した。
体を揺さぶる感覚と自分の名前を呼ぶ声が、律を眠りから覚まさせた。律の眼前には不安げな顔をしたオーブの顔がいっぱいに広がっている。あたりは濃い闇に覆われていた。
「どれくらい私は起きなかったの」
「俺が戻ってから一時間ほどダ。大丈夫カ、何があっタ」
体を支えたまま、オーブが白湯を差し出した。律の頭はまだぼんやりとしているようで、瞳は遠くを見ている。
「帰ってくるとき女の人を見なかった?」
「見ていなイ。近くに他人の気配は感じなかっタ。律、このケガはどうしタ」
腕の傷はすでに手当てがされていたが、取り乱しているオーブは刀がないことに気づいてはいないようだった。
「その女の人に刀を取られたの。矢に眠り薬が塗ってあったから何もできなくて。ごめんなさい、魔王を倒すどころじゃないわね」
オーブは驚いた顔をしたと思ったらすぐに、舌打ちをした。律が体を固くする。
「律に怒っているわけじゃなイ、俺がもっと警戒しておくべきだっタ。嫌な視線を感じていたのニ……。どっちに行ったか分かるカ」
オーブはすぐに笑顔を見せ律を励ました。律が事の顛末を詳しく伝えると、よしよしと頭を撫でた。
「勇者の剣は魔王城へ行くためのカギみたいなものダ。必ず取り返す必要があル。だが今日は休メ、薬の影響で眠いだろウ」
律を横たえ寝かしつけようとする。今からでも追いかけた方がよいのではないかと抗議するが、問題ないと取り合わなかった。
「居場所は分かル、心配するナ。いい夢を見ろヨ」
瞼を閉じ、寝息を立て始めたのを確認して立ち上がる。律を慈しむような眼差しはすでになく、可愛らしい外見とは裏腹の冷酷な目をしていた。
律があの時避けた矢は、すぐ近くの地面に刺さっていた。それを手に取り、目を閉じて集中する。〖追跡〗。〖知覚〗。この世界で使える魔法は一言術だけだが今は十分だ。見えない糸を手繰るようにして、律に危害を加えた女性を探していく。
「見つけタ」
場所は二人の目指す街より一つ向うにある。周りの様子からしてしばらくここから動かないだろうと判断した。
目を開けて矢を放り捨てる。一度認識したなら何時でも辿ることができるからだ。律との約束を守らなければならない。オーブは決意を新たにした。




